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遠い空の下 ~昭和二十年、秋から冬へ~

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「私も正直に言いますね……お父様もこの戦争は勝ち目が薄い戦争だと考えていらっしゃいました、戦わずに済むものならば戦わない方が良いと……でも戦わずに、何もせずに日本が欧米の列強に奪われてしまう、植民地にされてしまうことを受け入れることも出来ないとも……千恵はまだ小さいけれど、武雄なら知っていますね? 欧米の列強が東南アジアの国々に何をして来たのかを……戦わなければ日本もそうなる、そうされてしまう、そう思えばこそ、たとえ敵わない相手であっても、お父様は戦わなくてはならなかったのです、戦わずにはいられなかったのです……わかりますか?」
「はい……」
「はい……」

 力強い返事を聞いて、千鶴の表情が緩んだ。

「では二人とも涙を拭いて……泣いてばかりではお父様に申し訳がありませんよ……武雄は千恵を守ってくれたのですからお父様もきっと褒めて下さいますよ……さあさあ、おなかが空いたでしょう? いつも通りお芋しかありませんけど、まだお砂糖が少しあります、今日はそれを使って大学芋を作りましょうね……」

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 おそらくは今でも学校で悔しい思いをすることもあるのだろう、と思う。
 しかし、二人とも家では明るい笑顔を見せてくれるし、元気に友達と遊びに行く。
 千鶴はそのことを嬉しく、そして心強く思う。
 日本の行く末はまだまだ不透明、千鶴自身も武雄や千恵と同じように、心無い批難を浴びて悔しい思いをさせられることも少なくない。
 それでも胸に誇りを抱いていれば耐え忍ぶことが出来る、顔を上げて暮して行くことができる……夫は立派な人だと信じているから、そんな夫を慕っているから……。
 そして子供たちもそれは同じなのだろう……
 
 サツマイモばかりではあってもおなかを空かさせずに済んでいる、父は魚を釣ってきたり、たまには鶏を貰ってきたりしてくれる、母も野草を摘んできてくれたりしてくれる。
 
 あとは……夫が、義雄が無事に帰ってきてくれさえすれば……それだけが大きな気がかり……。

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 その年の冬、南方からの初めての復員船が到着した。
 そして、義雄の部隊に居たと言う人が訪ねて来てくれた。
 山田と名乗ったその人と、千鶴は座敷で向き合った、傍らには両親と子供たち。
 どんな知らせを持って来てくれたのだろう……期待と恐れが入り混じった気持ちが座敷の空気を張り詰めたものにする。

 山田は、激しかった南方での戦場の様子をひとしきり話してくれた。
 次々と玉砕して行く同胞の部隊……座敷の空気が重さを増して行く……そして話が追い詰められた義男の部隊に及ぶと、山田は居住まいを正した。

「大尉はご立派でした……追い詰められ、銃弾も尽きて、もはやこれまでとなった時には、多くの兵は死を覚悟しましたし、中尉、少尉の中には玉砕を主張する方も少なくなかったのですが、大尉はそれをお許しになりませんでした」
 戦場の様子を話していた時の厳しい表情が、少しだけ緩んだ。
「これから申し上げるのは、大尉が皆の前でお話しになったお言葉です、私は一字一句正しく覚えております、ご家族の方もどうか一言もお聴き漏らしになりませんように……」
 そう前置きして山田は後を続けた。
「『今ここで死んでも何一つ変わらない、生きて日本に帰ることが出来れば、その時日本がどうなっていようとも日本のために働くことは出来るはずだ、お国を思う気持ち、故郷を思う気持ち、家族を、大切な人を思う気持ちがあるのなら、ここで無駄に命を散してはならない……屈辱だと思うのならその思いを抱えたまま死んではならない、どのような形であれ、いつかその思いを晴らすために、今は恥を忍んで生きるべきである』……その後、大尉は自ら先頭に立って壕から出て白旗をお振りになり、おかげで私はこうして帰ることが出来ました」
 父は深く頷き、母は目頭を押さえる。
 武雄は山田の顔を食い入るように見つめ、千恵は顔を輝かす。
 千鶴はと言えば、夫への尊敬と思慕を改めて胸深くしまいこんだ。
 ……しかし、一番聞きたいこと、知りたいことはまだ……。
「それで……それで夫は……」
「生きていらっしゃいますよ、ご無事です、大尉は私にそれだけ伝えて欲しいと……」

 何よりの知らせ……緊張の糸が緩み、一緒に話を聞いた子供たちや母、剣道師範の父までもが大粒の涙をこぼした。


 部下を差し置いて自分から先に復員船に乗る夫ではない、帰るのはいつになるかわからない……でも、生きているとわかってさえいれば、ただひたすら帰りを待てば良いだけのこと、託された二人の子供を守り、育てながら……。

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 ラジオから『里の秋』が流れて来る……。
 優しく美しいメロディに家族のささやかな幸せを歌った歌詞……千鶴はこの歌がとても好きだ。
 繕い物の手を休めて聴き入り、ほっと一息入れる。
 あの芋掘りの最中に見た赤とんぼが思い出される、来年に、いや再来年になるかもしれない、でも、きっと夫と一緒にあの光景を見ることが出来る。
 その時、夫に褒めてもらえるように、子供たちを立派に育てて行かなくてはならない。
 その時が来るまで、千鶴には本当の意味での終戦は訪れない……。
 歌が終わると、千鶴はまた針を動かす。
 ひと針ひと針に、今はまだ遠い空の下の大切な人が一日も早く帰れるように、願いを込めながら。

(終)