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小説を書く―かけがえのない時間

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 その朝は旅で取りためた写真を整理した。何しろ二百七十枚も撮影していたので、大変だ。午後からは、いつものように末娘と食材や日用品の買い出しに出かけた。帰宅して郵便受けを覗くと、例のものが来ていた。
―そろそろ来る頃合いだな。
 とは思っていたから、特に愕きはしない。早速、開封する。
 その封筒の差出人は「岡山市民文芸祭事務局」となっている。これは毎年、行われている「岡山市民文芸コンテスト」の選考結果通知だ。去年は何と現代詩部門で岡山市長賞を頂いた。一昨年、初入選しただけでも十分な愕きだったが、更に最優秀賞に当たる市長賞受賞とは自分でも青天の霹靂だった。
 コンテストの規定では、「その年の市長賞受賞者」は来年の同一部門への応募はできないことになっている。選考に公正を期すためというのは判る。
 それで、今年は応募したくても出せない状態だった。二十四年前から毎年、欠かさず続けてきた応募を今年は休まざるを得ない。
 ただ、他部門への制限はないので、随筆部門にのみ今年は応募した。しかし、実のところ、これにはかなり躊躇ったのだ。二年前に初入選するまでも現代詩は毎年、作品集には掲載して頂いてきた。入賞者だけでなく、掲載にも審査があるのだ。
 ところが、何年か前から随筆は掲載されなくなった。つまり選外になってしまったのだ。その頃、随筆部門の選考委員が替わったように記憶しているが、関係があるのかどうかは判らない。もちろん、私の力量不足か、私自身に何か原因があるのだろうとは思っていた。
 何年か同じ状態が続いたある年、私は意を決してNHK学園のエッセイ講座の門を叩いた。ずっと以前から、この講座を受講してみたいという気持ちがあったが、諸事情もあり果たせないでいたのだ。
 若い頃には同じくNHK学園で文章教室、小論文セミナーなど、文筆関係の講座を何年も受講した経験はあれども、エッセイは初めてである。
 エッセイ講座ができたときから、やってみたいという想いがあり、何年も経ってやっと実現の運びとなった。
 まずは入門講座から始め、次いで「友の会」に所属して学んだ。大体、一年半、お世話になって、とりあえず「休止」届けを出した。本当はずっとやれば良いのだろうが、色々と考えることもあり、また再開するにしても、ひとまずここで打ち止めにした。
 エッセイ講座を受講中も市民文芸に応募してみたが、結果は変わらずで随分と落胆したものだった。自分の力不足を棚に上げて
―効果ないじゃない。
 と、憤慨に近い気持ちを抱いてしまったのも正直なところだ。
 そして迎えた今年の市民文芸コンテスト。本音を言えば、出そうかどうか迷ったし、直前まで出す気はあまりなかった。
 だが、今年は現代詩も出せないし、だからといって毎年続けてきた応募を止めるのも寂しい。というわけで、随筆部門に応募することに決めた。
 満を持して―のつもりで応募した去年に比べると、随分と力みがなくなっていたとは思う。ただ応募の休止が忍びなくて、それなら何か新規の作品を書いてみようということで書いた作品を投稿した。
 それが、「寄り道」という作品になった。内容はご覧いただいてお判りのように、息子の高校まで三者面談に出かけた際の出来事を綴ったものである。本当に、この文章のとおりで、言ってみれば特に変わった出来事に遭遇したわけでも何でもない。
 ただ、そのときの心の動きというか、私自身が感じたものがやけに鮮やかで、これは是非、書き残しておきたいものだと思った。最初は詩に託してみようかと考えたのたけれど、コンテストの締め切りも迫っていたので、エッセイにした。
 話が元に戻るが、その「寄り道」が何と今年のコンテストの随筆部門で市長賞を頂いたとの選考通知が舞い込んだのだった。
 信じられなかった。応募を始めてから二十四年かかった。去年の現代詩での初受賞は応募から二十三年めだった。今の時代に「苦節○○年」という言葉は受けないのは承知で言うが、私にとっては紛れもなく「苦節二十四年」だった。
 現代詩の方はずっと掲載して貰えていたので、「苦節」という言葉は浮かばなかったけれど、随筆は違った。掲載どころではなかった、これも随筆講座で学んだお陰なのかもしれない。
 予期せぬビッグサプライズに、もう一つ感じたことがある。それは人生はまさに、偶然が積み重なって続いてゆくものだということだ。
 実は息子の三者面談には普通なら、主人に送迎して貰うはずだった。ところが、その時、たまたま夫婦喧嘩していて―笑、私は怒っていたから電車で行くことにしたのである。更に、エッセイをお読み頂いてもお判りのように、本来乗るはずの電車に乗っていたとしたら、その前の途中駅止まりの電車に乗ることはなく、従って「サプライズ」体験を途中の駅ですることもなかった。
 たまたま主人と冷戦中で、たまたま乗るはずではなかった電車に乗ったからこそ、「サプライズプレゼント」は生まれたのである。
 そして、その偶然の重なりがいつも良い方向へと導いてくれるとは限らないことも私は知っている。今回はラッキーな偶然の積み重ねであったにすぎない。
 けれども、もうかなり前から、私は「サプライズプレゼント」のような考え方をするようになっていた。人生は泣いても笑っても同じ一生だ。泣いて過ごせば不幸なだけの人生で終わるし、笑って過ごせば、愉しく幸せな一生を過ごせる。
 自分の思い通りに人生がゆかないのは当然で、ならば思い通りにいかない人生の中で、いかに悦びを見つけられるかどうか、が「幸せかどうか」を決めるポイントになる。些細な出来事でも見方を変えれば悦びになるし、つまらないと見過ごせば、それは悦びにはならない。
 小さな花を道端で見つける。「キレイな花を見られてラッキー」と思えば、その人は幸せな体験をしたことになるし、「ただの雑草みたいな花」と通り過ぎれば、その人にとっては何の意味もない。人生とは、そんなものではないか。
 だから、あの夏の盛りの日、途中下車した駅で過ごしたひとときも、私にとってはけして悪いものではなかった。むしろ、自然をより身近に感じられ、普段気をつけて見ることのできないものをじっくりと見られ、嬉しかった。
―途中下車したお陰で、色々なものが見られた。
 と、むしろ弾んだ気持ちで後から来た本来乗るはずだった電車に乗って高校へ向かったのだ。到着して息子に話したら、
―普通、そんなことする?
 と、呆れられたが、それでも何となく幸せな、ほっこりした気持ちは変わらなかった。
 これからも「さりげない出来事」に悦びを見いだせるように生きてゆきたい。また、この受賞を励みとして更なる精進を重ねてゆきたいものだと思っている。





☆「『誰かを追い抜く一歩より夢へ踏み出す一歩が大事』~無駄な欲を棄てたら、小説を書く面白さが判る~」


今日、完結したばかりの現代物は10月に書いたもので、現在、発表している作品たちの 中では最も新しいものになります。
 更新しながら読み直しましたが、やはりラストシーンは中島美嘉さんの「雪の華」が似合うというか、流したい雰囲気だなと作者としては思いました―笑
 あれは最早、冬の定番の名曲です。