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小説を書く―かけがえのない時間

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 私の初心は「一人でもたくさんの人に自分の作品を読んで貰いたい」ということだった。そのために、よりよい作品を書きたいとも願っていた。
 自分で意図したわけではないとはいえ、気が付いたときには自分は「初心」から遠く離れた場所に流されてしまっていた。
 その瞬間、これではいけないと思った。
 小説サイトの休止を決意するのは、随分と勇気の要ることではあった。何故なら、活動場所を失うことになるからである。
 だが、このままではいけないという想いは強かった。結果、私は活動休止を決意した。
 離れてみて、私は自分がとれだけつまらないものに拘っていたかを知った。空白期間は、自分が「初心」を取り戻すために必要な時間だったのだろう。
 私の好きなイラスト入りポストカードには、こんな文章が書いてある。
「誰かを追い抜く一歩より夢へ踏み出す一歩が大事」。
 まさに、そのとおりではないか。
 夢の形は人それぞれ、夢の叶え方も人それぞれ。
 一人でもたくさんの人に読んで貰いたいというのが私の初心であり夢だとしたら、私は私の夢に向かって歩んでゆけば良い。
 そんな風に思えるようになった。
 もちろん、凡人だから、また拘ってしまうこともあるかもしれない。だけど、そのたびに私は「初心」を見つめ直してゆこうと思う。
 小説を書いて発表するということをずっと楽しんでゆきたいと思うから。


☆『【美文】とは何か、長年の疑問が少し見えてきた』

 若い頃、せっせと公募の文学賞に応募し続けていた時期がある。本人いわく「投稿時代」だ。「公募ガイド」なる公募コンテスト情報誌の存在を知人から教えて貰い、「公募カレンダー」なるものを作って、ターゲットのコンテストに投稿していた。
 今、憶えば二十代、独身であった時期だから、できたことなのだろう。
 時には恐れ知らずにも大手出版社に原稿を持ち込んだこともある。とはいえ、地方暮らしだから、わざわざそのために上京するというわけにもゆかず、郵送で送ったのである。 社名や文庫レーベルの名前は控えるが、日本でも名の知れた大手出版社であり、若い女性向けの恋愛小説やファンタジーをたくさん出している文庫レーベルの編集部であった。
 運が良ければ返事が貰えるくらいで、そこまで期待していたわけではない。
 だが、幸運にも返事が返ってきた。
 編集者からの手紙に今も忘れられない一文がある。
―美文というのは単に美しい文章というのではない。
 頂いたお返事とは少し違うかもしれないが、とにかく「美文」という言葉だけはやけに鮮烈に憶えている。
 内容は「美文」というものがどのようなものであるかという定義に近かったように思う。当時の私からしたら、何か謎かけのようなものであり、結局、美文というのが具体的にどのようなものなのかは判らずじまいだった。
 未熟故のことだったのだろう。
 あれから二十年余りが過ぎた。あの頃から今もたいした進歩はないが、それなりに書き手としても人間としても経験を積み、多少は見えてきたものもある。
 そして、今日、ある小説を読んでいて、ハッとした。
 最近、アマゾンでたまたま見つけて注文した小説だが、面白い。何より、文章が美しい。今日、その作品を読んでいて、
―この人はキレイな文章を書く人だなぁ。
 と、無意識に感じた。その瞬間、何かストンと落ちてきたものがあった。
 文章がキレイ、美しいというフレーズから、自然に「美文」という言葉につながった。注意してキレイだと思った文章を読み直してみても、けして「美文」ではない。
 つまりキレイな言葉、美しい言葉ばかりを連ねているわけではないのである。では、何故、この人の文章を美しいと感じたのか。
 私なりに考えてながら、再読してみた。そこで、はたと気づいた。
 美しい言葉を使っているわけではなく、「表現力が豊か」な文章なのである。例えば、季節の風景の描写一つをとっても、ありたきたりのものでもなく、かといってキレイな言葉を使っているわけでもない。
 しかし、一つ一つの言葉がよく吟味されていて、その表現、言い回しに味がある。味があるというより趣があるといえば良いのか。
 それで、二十年前のあの編集者の「美文」へと想いは繋がっていった。
 確か、あの人はこんなことを言っていたのではなかったか。
―美文は美辞麗句、美しい言葉ばかりを連ねたものではない。
 あの謎かけのような言葉を聞いてから、長い年月を経て、私は漸く一つの応えを見つけたような気がする。
 美文とは雅語を並べた文章にはあらず、味わい深く、よく考え選び抜かれた的確な言葉で描かれた文章こそ、まさに「美文」なのではないか。そして、その「美しさ」の源とは「豊かな表現力」であるのではないかと。
もちろん、これはあくまでも私なりに考えた「美文」の条件であって、これが編集者の言いたかった応えと同じかどうかは判らない。
だが、今、読んでいる小説はけして難しい言葉を使っているわけでもないのに、何故か一つ一つの文章や人物の心理表現、情景描写が心に残る。
このような文章こそがまさに美しい文章というなら、美文とは「人の心に訴えかけ、揺さぶる文章」ともいえるのかもしれない。


☆歴史・時代物を描く意味~気軽に読めて、歴史に興味を持って貰える「きっかけ」になれば。

 
さて、今日の小説更新部分では、王妃であるファソンが民の生活に触れることになります。
 今まで王妃として、国母として民の心に寄り添いたいと願ったていたファソンですが、雑炊屋の女将から「民のリアルな声」を聞いて、ショックを受けます。
 いつだったか、師匠から
―自分の目指すジャンルは明確にしなさい。
 と、アドバイスを頂いたことがあります。
 師匠の持論は「エンターテイメント小説」が良くないというのは間違っていて、実はエンターテイメント小説と純文学の線引きは、とても曖昧なものだとということでした。
 私も同じように思います。
 なので、
―東さんは、そのどちらを目指したいのか?
 ということになるのですが、私自身、そこまで明確なジャンル区分というのを意識したことがなく、それは今でも似たようなものです。
 ただ、自分の書いている作品の傾向を見ると、やはり「エンタメ」よりではないかなと思います。
 一時は本格的な歴史物を目指そうと考えたこともありますが、書いていく中に自然と
「誰でも気軽に読めるような歴史・時代物」を書いて、その中で
―歴史って?
 と、歴史や人物に読んだ人が自然に興味を持って下さる―そういう作品を描きたいという気持ちに気づいたのです。
 恐らく自分の作品も、そういうスタンスに合っているのだろうと思います。
 あまり難しいものではなく、サクサクと読めて、読んでいる中に歴史に興味を持って貰えたら良いなーと考えています。
 そこから先の難しい知識や内容は、本格的な歴史小説や研究書にお任せするとして―笑
 まあ、入門書というほどたいしたものではないのですが、歴史に興味を持つ「きっかけ」のようなものであれば良いと考えています。
 強いていえば、それが私の「スタンス」というか「こんな作品を描きたい」という目的意識かもしれません。