小説を書く―かけがえのない時間
まあ、それは良いのですが、昨夜、あれあれと詰まらないことをまた考えておりまし た。ここ数年にわたっての自分の歩いてきた道を改めて振り返って書き綴ってみたい。そんな想いがここのところ高じておりました。
しかし、ブログや小説サイトで発表するにはあまりに本音をぶっちゃけすぎるし、ということで、どこか適当な―書いて発表したら見てくれる人はいるが、そこまで多くの人に見られるというわけではないような場所がないかなと探してみました。
そうしたら、検索に、とあるSNSサービスが引っかかりました。
「何かを書いてアップして読んで貰いたいが、そこまで多くの人に読まれるのも抵抗がある」といったような人には丁度良いとのことで、実際にそういうライターの方が利用されているというご自分の使用例を交えて書いていらっしゃいました。
―うん、ここは良いかもしれない。
と、登録してみたものの、使い方がイマイチ判らない。
元々はアメリカが本拠地のサイトなんで、英文の説明なんですね。まあ、意味はわかるのはわかるんですが、結局、説明を読んでいくと、スマホじゃないとこのサイトは使えないらしいことが判明。
残念、私はガラケーですから、できるはずがありません。諦めました。
アカウントもすぐに消しました。
次はヤフー関連のサイト。ここも良いのではないかと登録してみたものの、どうも私の書きたいことは「一個人の感想」にすぎず、到底皆様のお役に立てるようなものではないありません。「個人の主張」はお控え下さいとのことなので、ここも無理そうということで、止めました。
そして、ここではたと気づいたことがあります。
やっぱり、そうそう、そこまで都合の良い場所はないんじゃないかな、と。
誰でも自分の気持ちを文章にしたい、すればしたで読んで貰いたいという想いはあります。話を聞いて貰いたいという心境と同じですよね。
でも、それって単なる我が儘かもしれない。
本音の本音のところは、やはり自分一人で抱えておくべきものじゃないかなと改めて想いました。
秘すれば花、という言葉があります。
何事も「少し秘密の部分を残してこそ、おくゆかしい」とでもいう意味でしょうか。
今はネットでは何でもいえる時代。
そこまでさらけ出さなくても良いのにと思うくらい、自分を切り売りしている方もいる。ですが、やはり、何でもさらけ出せば良いというのでもない。
そんなことをふと考えた私、やはり、本音の本音は自分だけが知っていれば良いと思い直しました。
☆ 日本に居ながらにして【韓国を感じられる】場所~小説と時々、韓流と私~
日本に居ながらにして【韓国を感じられる】場所~小説と時々、韓流と私~
二日前、岡山県立美術館に行ったことはもうお話ししました。その往復、岡山でも繁華街といわれる商店街を娘と二人で通ったときの話です。
正直なところ、ここが岡山でもいちばんの賑わいを見せていた時代は昔となりました。
大型ショッピングモールができたため、古くからの商店街は人が集まらず、深刻な経営難から店をやむなく閉めるところも出ています。
そんな中、連休ということで、商店街の方たちも露店を出して値引き商品を出したりと工夫を凝らされたのでしょう。
洋服店、化粧品店、様々なお店の露店が建ち並ぶ中、商店街も途切れる辺り、紀伊國屋書店の斜め向かいに、ひっそりとしたたたずまいを見せるお店があります。
韓国雑貨店です。
以前、韓流にハマッてまもない時期、私はこのお店に脚繁く通い詰めていました。
韓国まで行くのも今は、それほど困難な時代ではなくなりました。とはいえ、やはり海外、東京に行くのとは訳が違います。
というわけで、韓国大好きな私は韓国への憧れだけを募らせつつ、随分と年月が経ちました。ただ、この憧れが引いては「韓流時代小説」書く意欲にも原動力にもなってくれるのです。
最初はヨン様のファンになったことから「韓流」に目覚めたものの、元々、歴史や時代劇が好きなので、たちまち韓国時代劇の虜になりました。
最初に見た韓流時代劇は「妖婦 チャン・ヒビン」。かなりの大作で、これでもう一挙に韓国史の世界にハマり込みました。
数を重ねてみる中に、憧れだけでは済まなくなり、
―何とかして、この世界を自分の筆で表現してみたい。
という気持ちが強くなり、ついに小説を書くことを決意。そんなたいそうな気持ちも何もなく、ただ、あのドラマと同じ世界を作り出してみたいという欲求に突き動かされた結果でした。
なので、恐らく、私の作品をご覧になった方は「ドラマみたい」だと感じられるのではないでしょうか。とにかく、あの世界を描きたかったので、自然とそうなったのではないかと思います。
韓国朝鮮の歴史も何も知らず、本当に興味と憧れだけで始めた執筆。本当は勉強してから描けば良かったのでしょうが、私は外国人ですし、大体、朝鮮王朝時代だけでも憶えきれないほどの歴史があるのですから、その他の長い歴史まで含めたら勉強しているだけで時間切れになってしまいます。
そんなこんなで、今でも知識もないままに描いているという、けしからぬヤツです。
そんな中で、描くために調べて学んだこともあり、少しではありますが初期の頃よりは少しは知識も増えました。
韓国に憧れつつも、韓国にはいまだ行ったことのない私が唯一、国内で「韓国」の雰囲気を感じられる場所、それが韓流雑貨店でした。
そのお店に感じの良い若い女性がおられました。私の作品も幾つかは読んでいただいたこともあります。
かなり長い間、通っていたのですが、事情があり行くことがなくなりました。
先日、通り道にワゴンが出ていたので、久しぶりにお店を覗いてみました。
その女性ではなく、韓国語教室もなさっているご主人がおられました。
その方は流ちょうな日本語を話されますが、韓国の方です。
その女性のことを訊ねますと、この春で止められたのことでした。
立ち入ったことかもと思ったけれども、ご結婚でもされたのかと思ったのですが、そのご主人によれば、そうではないとのこと。
―この繁華街自体に人が来なくなって会社の経営が難しくなってきたのを彼女から察して、自分から止めるという話になりました。
ご主人はそのように言われていました。
いかにも奥ゆかしいあの方らしいと思えました。
もう数年前のことなので、ご主人が私を憶えているとは思っていなかったら、ご記憶にあったようです。
―以前もよく来て下さっていましたね。
何となく嬉しい気持ちでした。
「韓流ブーム」という言葉に表されるように、韓国文化がもてはやされたのは確かにブームであったのかもしれません。
ただ、私自身、最初は興味と憧れから入った韓国朝鮮の歴史でしたが、今は真剣に学んでみたいと思っていますし、これからもマイペースで韓国朝鮮を舞台にした作品を描き続けていってみたいと考えています。
作品名:小説を書く―かけがえのない時間 作家名:東 めぐみ