小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

小説を書く―かけがえのない時間

INDEX|1ページ/10ページ|

次のページ
 
「かけがえのない時間」

 注意一秒怪我一生とは、よく言ったものだ。あまり詳しくはお話しできないのだが、ふとした不注意で、ハプニングが起きてしまった。
 本人としては不注意ともいえない、いつもと同じことをしていたのに、とんでもないことになってしまった。
 さあ、大変だ。今まで普通にしていたことも、なかなか大変になってしまった。日が経つにつれて症状は改善していったが、いまだ本調子ではない。十年前も確か似たようなことがあったはずだが、あのときは意外に早く改善されたはず。なかなか改善しないのは、やはり年のせいか。自嘲気味に考えることが多かった。
 そして、そんな状態が二週間余り続いたある日、ふと思った。
 自分は今までなにげに小説を書いていたけれど、「小説を書ける」ということは何と幸せな恵まれたことなのだろうか。
 書けるというのは、良い作品をという意味ではない。単純に「作品を書くという行為」そのもののことだ。つい最近も、これと似たようなことがあった。
 皆が当たり前にしていることが自分には当たり前ではなかった。小説とはまったく関係ない話だけれど、体質的な問題で普通にできないことがあることが判明したのだ。
 人間というものは、自分がその立場になってみないと判らないことがある。それを身に染みて悟った出来事だった。
 話題は元の話に戻るが、状態は今、ゆっくりと改善されつつある。
 穏やかに日々を暮らせるということは普段は当たり前に思いがちだが、本当は「当たり前」ではない。皆さんができることが自分には「体質のせい」で当たり前ではなかった。小説を書けることは当たり前だと信じていたら、実は当たり前ではなかった。
 ハプニングばかりだけれど、二つの出来事から得た貴重な教訓もある。
 そう思ったら、小説を書く時間というものがとても愛おしい、かけがえのないものに思えてきた。
 作品の完成度など、この際、二の次だ、作品を書くという行為そのものが素晴らしい!
 などと、実に自分に甘すぎる結論に到達してしまった、、、が、実際、完成度も大切だが、「書くこと」、書き続けることそのものが大切ではないか。
 ふと、そんなことをしみじみと考えた私だ。


☆最新刊「霞み桜」、【あとがき】より


あとがき

 三ヶ月に渡って書き続けてきた?霞み桜?もこれで完結とあいなります。
 派手さはないですが、私自身はこの作品が大好きでした。殊に第一話のヒロインの結衣。壮絶なその生き方は到底、私には真似できないと共に、大切な人たちを守るために自らを犠牲にすることも厭わなかったその生き方に惹かれました。
 自分自身の作品に惹かれるというのは妙な言い方かもしれませんが、これは作品の完成度とは関係なく、人物だったり作品だったりが好きということです。もちろん、どの作品もすべて大好きなのではありますが―。
 モチベーションの維持など大変なときもありましたが、結衣の真っすぐで凜とした生き方に恥じないように最後まで頑張って描ききりたい、源一郎の身の振り方も納得のいく形で作品を描きたいと思い、人物たちに励まされて完結させることができたと思います。
 拙い作品ですが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
 毎年、この時期に書く?桜小説?、丁度、この作品が今年の桜小説になりそうです。本物の桜が咲くまであと少し、待ち遠しいですね。

東 めぐみ拝
2016/03/18   

  
 

〜終わりに〜

 毎年、この桜咲く春を待ちわびる時期に「本」を創るのも私にとっては一つの行事のようになりました。
 毎度ながら、作品のイメージに合わせて表紙のデザインを考えたり、一生懸命校正したりするのも楽しい作業です。
 丁度、この作品の最終話「妻の秘密」を書き上げた頃、私は現在、活動中の小説サイトをすべて止めました。アカウントや作品はどこも残してはいますが、事実上の退会でした。
 今から一年前のことになります。現在はブログを拠点に小説作品を発表しています。
 多くの方に作品を読んでいただくなら、もちろん小説サイトでの活動が望ましいことは判っていましたが、色々と考えた末の決断でした。この一年間、けしてすべてが順調とはいえませんでしたが、何とか自分の思うようにやってこれたのではないかと思います。
 お話は変わりますが、去年一年間、私は放送大学で「上田秋成の文学」という講義を受講しました。秋成は江戸期に活躍した小説家で、「雨月物語」の作者として有名ですね。「雨月物語」の中に「菊花の約(ちぎり)」という作品があります。
 たまたま知り合った男二人がある一定期間の後に再会を約して別れたものの、片方が致し方のない事情があり、約束の日時に会いにゆくことができませんでした。友との約束を守るため、その男性は自ら命を絶ち、亡霊となってまで友に会いにいった―と、簡単に要約すれば、そういう話です。
 テキストの一文には、このような説明があります。

「菊花の約」は、人を死に導くことさえある、信義の美しさと悲しさを描いた物語である。

 講師の長島弘明先生の言葉です。
 私はこの下りを読んだ時、真っ先に拙作の「霞み桜」を思い出しました。
まさに、私がこの作品で描きたかったテーマに、長島先生が明確な形を言葉にして与えて下さったように感じました。
 私が「霞み桜」で描きたかったのも「信義」でした。
 第一話のヒロイン結衣が生命と引き替えにしてまで守り抜いたもの、守りたいと切に願ったもの。
 それはもちろん、大切な人たちではありましたが、結衣の捨て身の行為の先にあるものこそが、彼女が守ろうとしたものこそが「信義」であったのではないでしょうか。
 まさに、美しくも哀しく、壮絶な結衣の生き方であり最期であったと思います。
 拙い作品ではありますが、そのようなことをわずかなりとも作品から感じ取っていただければ嬉しく思います。
 一つ一つの作品を紡ぎ、こうして「形」にしてゆくことが私の書き手としての足跡となりつつあります。
 今まで結衣のようなタイプのヒロインはあまり私は描いたことがなかったため、この作品は一つの記念、宝物のような存在になりそうです。
 「霞み桜」を書き上げてから一年、漸くこの物語を一つの形にすることができ、ここのところの私のささやかな迷いも晴れ、また一つの道を目指す気力がふつふつと湧いてきました。
 これからも道に迷ったり、くじけそうになったとときは、死をも厭わず自らの信義をしっかりと守り抜いて亡くなった結衣の真っすぐ筋の通った生き方を思い出そうと思います。
 それでは、ここまでご覧いただき、本当にありがとうございました。

 
                    平成二十九年三月吉日



☆「秘すれば花」と気づいた出来事。

 皆様、おはようございます。
  今日も良い天気ですねー。爽やかな初夏、緑が眩しい季節になりました。
  とはいえ、私、どうやら風邪を引き込んだ末っ子のをまた移されたようです。。。