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雨湯田葉 圭
雨湯田葉 圭
novelistID. 62436
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夢の中

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ある満月の夜だった。腕時計を見ると深夜1時を回ったところだった。その日田中は、仕事が終わった後知人と会っていた。その知人は田中の仕事が終わるまで待ってくれていて、先ほど別れたばかりだった。田中の家は住宅街の中にあった。月のきれいな夜であった。月を見ながら、田中は月のない世界を想像していた。もしも月がなかったとしたら、夜の世界はどれだけ暗かったであろうか。田中は闇が嫌いであった。というより、田中に限らずほとんどの人はそうだろう。人は闇から目をそらすように、夜になると眠りにつく。そうして朝太陽が出てくると、何食わぬ顔で目を覚ます。まるで夜など知らなかったように。しかし、夜は確かに存在する。月明かりで照らされようとも。人が光を発明しようとも。そして、例えどれほど深い眠りにつこうとも。夜は、その証として、「夢」を残すのだ。夢を思い出すとき、人は夜が確かに存在したことを確かめる。田中はそんなことを考えていた。
 ふと顔を上げると、少し前の方から、フードを被った長身の男が歩いてきた。その男は全身真っ黒な服装で、まるで闇に溶け込んでいるようだった。男は徐々に自分の方に向かってきた。男はとても美しい顔をしていた。気が付くと、田中は倒れていた。倒れている田中の顔を、男は立ったまま見ていた。田中は自分の胸をみた。すると、胸には包丁が刺さっていた。田中は、自分が死ぬことを悟った。しかし、不思議と痛みはなかった。まるで夢でも見ているようであった。田中はもう一度男を見ようと顔を上げた。しかし、男はもういなかった。代わりに、先ほど男がいた辺りに、満月が見えた。満月の周りには分厚い雲が漂っており、今にも闇に取り込まれてしまいそうであった。

 岸神光はコーヒーを飲みながら今日3月27日の新聞を読んでいた。新聞では、昨日の深夜、近所で起こった殺人事件の概要が述べられていた。会社員の田中浩介が、何者かに刃物で刺されて殺害されたということであった。事件は岸神の家から500メートルも離れていない路上で起こったらしい。死亡推定時刻は昨日3月26日の午前1時とのことであった。岸神がこの事件に興味を持ったのは、自分の近所で起こった殺人事件だからというだけではない。岸神は田中と面識があったのだ。岸神の仕事は外科医であるが、患者の中に田中がいた。田中は交通事故を起こし、死の淵に立っていた。そんな田中を救ったのが岸神であった。岸神はとても腕の立つ外科医で、これまで数多くの人を救ってきた。また、岸神は腕が良いだけではなく、正義の医者であった。人の命を救うという明確な正義が、岸神の腕を支えていた。岸神は私生活でも誠実であった。加えて容姿端麗であることも相重なって、周囲の人々からの人望は厚いものであった。新聞を読み終えると、岸神の心は悲しさで満たされた。単に自分の救った命だからというだけではない。どんな理由があったかはわからない。しかし、尊い命が失われるということは、岸神にとって許しがたい事実であった。岸神の心は正義の炎で燃えていた。岸神は田中を思い、静かに黙とうを捧げた。そうして朝一の診察をするため、病院へと車を走らせた。

 岸神の患者の名前は、黒岩といった。黒岩は目つきの鋭い男であった。服装は黒いパーカーに紺のジーンズというかっこうであった。背は高く、岸神と同じくらいあった。おそらく180を超すくらいだろうか。年齢も岸神と同じで、30歳であった。職業の欄には、会社経営と書かれていた。しかし、独特の風格と、先ほどX線写真の際に見えた背中の入れ墨が、彼の仕事が普通の職業ではないことを物語っていた。黒岩の病気は癌であった。先ほど看護婦から手渡されたレントゲン写真が、肺を中心に体中に転移した腫瘍を鮮明に映していた。進行はかなり進んでおり、岸神の腕をもってしても手遅れに思われた。岸神は静かに目を閉じた。そして、黒岩に真実を伝える決意をした。岸神にとって、患者は皆平等であった。たとえ黒岩の職業が何であれ、患者を救うことが自分の責務だと思っていた。だから黒岩を何とかして救いたいと思っていた。しかし、彼はもう手遅れであった。だとすれば、岸神にできることは、真実をきちんと伝えることだけであった。
 困惑した表情を浮かべていたことに気づいたのであろうか。レントゲンを持ってきた看護師が、岸神に声をかけてきた。
「黒岩さん、大丈夫でしょうか。」
看護師の名前は千葉絢子といった。目鼻立ちの整った、美しい顔立ちをしていた。また、性格も清廉潔白であり、男女問わず誰からも愛される存在であった。
「癌ですね。正直手遅れかもしれません。」
岸神は正直に話した。
「そうですか・・・・」
千葉は顔をしかめた。
「黒岩さんには真実を話します。彼を呼んでくれますか」
「わかりました。」
そう答えると、千葉は診察室から出て行った。
 千葉が名前を呼ぶと、黒岩は静かに立ち上がり、診察室へと入ってきた。
「どうでしたか」
黒岩は口を開いた。その顔に不安の表情は見られなかった。
「率直に言います。癌です。それも末期の。」
岸神は丁寧に、しかし威厳をもって伝えた。
「そうでしたか。手術はできないのですか?」
黒岩は一切顔を崩さず、淡々と答えた。まるで感情がないかのようであった。
「できないことはないです。しかし、成功率は極めて低いです。なぜなら、癌が体中に転移してしまっているからです。すべての腫瘍を取り出すことは極めて難しい。それに、腫瘍を取り出した後に臓器を移植する必要がありますが、その臓器が体になじむかどうかもわからないです。」
岸神の話を聞きながらも、黒岩は相変わらず無表情であった。
「手術をするかしないか、少し考えさせてもらってもいいですか」
黒岩は言った。
「もちろんです。ただしできるだけ早く回答をいただきたい。なにせ遅くなればなるほど癌の転移は進んでしまうからです。」
「わかりました。」
黒岩は静かに答えた。しかし、岸神は、一瞬見せた黒岩の鋭い眼光を見逃さなかった。その眼は、まるで獲物を狙う猛獣のように、岸神の体を捉えて離さなかった。岸神は一瞬身構えた。しかし、何も起こらなかった。静かに立ち上がると、黒岩は診察室を立ち去った。その時、診察室の外で、黒岩に話しかける千葉の声が聞こえた。
「どうでしたか」
このセリフに、岸神は耳を疑った。およそがん患者にいうことなどあり得ない、失礼極まりない言葉であったからだ。しかも、その暴言を吐いたのは、皆から性格がいいと評判である千葉であったから、岸神の驚きはなおさらであった。しかし黒岩は、この暴言にも、「ここでは答えられない」と平然と答えていた。そのあと、小声でやり取りが聞こえたような気もしたが、岸神には聞き取れなかった。いずれにせよ、大事に至らなかったことに、岸神は安堵していた。
作品名:夢の中 作家名:雨湯田葉 圭