涙をこえて。
意外なことに、急用の理由は誰にも聞かれなかった。
こんなもんなのだろうか。
というか、僕は普段余計な心配をしているということなのか。
よく考えたら、逆の立場になって、
僕が「急用があるから」と言われたら何も聞かずに代わっていただろう。
だって、他人が聞いてはいけない理由なのかもしれないから。
よく考えたら、それと同じか。
ああ、僕はなんで自分を
他人の立場に置き換えて考えることが出来ないんだろう。
こんな歳にもなって。情けない。
ただ、何はともあれ、仕事の引き継ぎはできたので、
僕は急いで坂の上テレビを出て、新宿駅に向かった。
新宿駅では、ロマンスカーの切符売り場に行く時間も惜しかったので、
僕はICカードで改札を通り、
ホームにあるロマンスカーの自動券売機で指定券を買い、
5分後に発車するブルーのロマンスカーに乗り込んだ。
箱根から帰ってきた翌日に、また箱根に行くなんて、もちろん初めてだ。
箱根駅伝復路の翌日に、また往路があるなんて、普通は誰も考えない。
でも、佳子さんと再会してからは、
こうした考えられないことに、よく出会っている。
佳子さんは、つくづく不思議なことを引き寄せる人だと思った。
ブルーのロマンスカーは、平日昼のけだるい雰囲気を載せて、走り始めた。
乗客はまばらだった。
懐かしい代々木の予備校の付近は一瞬で通り過ぎた。
自動音声の無機質な車内放送が始まった。
「停車駅は、新百合ヶ丘、相模大野、本厚木、秦野・・・」
うわ、ずいぶん途中止まるロマンスカーだなあ。今急いでいるのに。
急いでいるときに限って、よく止まる電車に乗ってしまう。
僕は少しいらいらしていた。
それは、今すぐ佳子さんに会いたいのに、時間がかかりそうだということと、
佳子さんとみわちゃんの関係や、
今何が起きているかの全体像がわからないという
多重のマイナスからくるものだった。
でも、いらいらしても仕方ない。
いらいらして解決するものだったら、いくらでもいらいらするけど、
いらいらしていたら、かえって解決の邪魔になるからやめる。
僕は予報士を15年近くやってきて、
いらいらが予報の邪魔になるということを知り、
何年か前から、いらいらするのを論理的にやめてきた。
しかし、きょうという日は、さすがにその論理も通用しにくかった。
僕は少し感情的になりつつあった。苦しいね。これは。
佳子さんへの恋心で苦しいのとは、全然違う。
やっぱり、世の中はマイナスの苦しさに満ち溢れているんだな。
ああ、プラスの苦しさだけならいいのに。
僕はそんな仕方のないことを考え続けていた。
ふと、窓の外を見た。
ロマンスカーは新百合ヶ丘に停車するところだった。
進行方向に向かって右の窓側に座っていた僕は、
ちらりとロマンスカーが入るホームの隣のホームを見た。
多摩線のホームだった。
僕は高校時代、多摩に住んでいたので、
代々木の予備校からの帰り道は、この新百合ヶ丘で多摩線に乗り換えていた。
当時と同じように、新百合ヶ丘始発の多摩線の電車が、
ホームでドアをがらんと開けて、しいんと待機していた。
ドアの中には、人はまばらにしかいなかった。さすが多摩線。人が少ない。
「あっ」
その様子を見て、僕は急に記憶がよみがえった。
僕が代々木の予備校に通っていた高校3年の夏のことだった。
僕はその日の夜、夏期講習を終えて、
新百合ヶ丘の駅で始発の多摩線の電車に乗り換え、出発を待っていた。
出発まで少し間があったので、携帯ラジオをつけた。
当時僕はヘッドホンステレオなどという、しゃれたものは持っていなかった。
当然スマホはない。
ラジオだけが、僕の頼りだった。
野球も音楽も好きなので、ラジオがあれば当時は生きていけた。
その日も、プロ野球巨人戦のナイトゲームの中継を聞こうと、ラジオをつけた。
すると、手が滑って、
普段使わないテレビの音声を聞くモードに変えてしまった。
1チャンネル、NHKが入った。
すぐに元に戻そうとしたが、鈴木健二アナウンサーの声が聞こえた。
僕は中学生のとき、鈴木さんの本を読んで面白いと思ったので
鈴木さんが何をしゃべっているのかが気になった。
「小学生にも人気があったのですか、この番組」
何のことだろう、と思っていたら、今度は女優さんが
「そうなんです。では、番組でよく歌われた歌『涙をこえて』です。どうぞ」
と言って、僕は驚いた。
「え、涙をこえて!?」
僕は中学1年のときに、
隣のクラスの合唱曲として「涙をこえて」に出会い、メロメロになったが、
僕の実家はかなり田舎で、レコード屋も遠かったので
「涙をこえて」をレコード屋で捜すことはなかった。
僕の知っている「涙をこえて」は、
田舎の中学生の下手くそな声の塊に過ぎなかった。
その歌をこれから歌う。本物の「涙をこえて」が聞ける。
高校生の僕は、突然の幸運に驚いていた。
僕は耳を澄ませた。
快活で滑舌のよい澄んだコーラスと、アップテンポの演奏に惹かれた。
最後の「アーッ」「アーッ」「アーッ」というコーラスのところでは、鳥肌が立った。
そうか、「涙をこえて」って、本当はこんな曲だったんだ。
中1のとき出会ってから、5年経って、ようやく本物の「涙をこえて」に出会えた。
僕は本当にうれしく、巨人戦のことはもうすっかり忘れていた。
その後もこの番組を聴き続けたところ、
「思い出のメロディー」だということがわかった。
家に着くと、たまたま父親がビデオにこの番組を録画していたので、
僕はそのビデオの「涙をこえて」の部分を再生してカセットテープに録音し、
勉強の合間に、テープが擦り切れるくらい聞いた。
このテープと、それから何と言っても佳子さんの存在が励みになり、
僕は、ものすごい長時間の受験勉強にも、耐えられた。
もし、この多摩線のさびしい電車の中で
本物の「涙をこえて」に出会っていなかったら、
僕は一体、どんな人生を送っていたのだろう。
こんなに大きな思い出を、いつの間にか忘れていたのも不思議だが、
新百合ヶ丘のホームと多摩線の電車を見て、急に思い出ががよみがえったのも、
また不思議だ。
人間の記憶は、やはりどこかにすべて眠っていて、
きっかけの連鎖で再起動されるものなのか。
そして、自分の人生の場面場面に「涙をこえて」が何度も出てくるのは、
さらに不思議だ。
そういえば、以前、坂の上テレビの先輩に言われたことがある。
「石井、いいか。
人間ってのは、縁がある人やものには、とことん縁があるんだ。
たとえば、転勤や転職をしても、縁のある人には何度でも出会う。
逆に、縁のない人には、同期であっても、もう一生会わない。
だから、縁のある人とは、絶対に決定的な喧嘩をしちゃダメだ。
仮に、何年も会っていないとしても、安心はできんぞ。
縁のある人とは、簡単に切れないから、何年か経った後に、
急にまた出会うことがある。不思議だよなあ。」
僕の場合で言うと、佳子さんは、間違いなく縁のある人だ。
だってもう、二度と会えないと思い、