涙をこえて。
誰かと個別につながった道具に浸かって生きてきた。
特にみわちゃんは、こういう道具が大好き、というか
ないと生きていけないと思っているようで、
主要な人から連絡がないと、耐えられない、ということは前から知っていた。
だから僕も連絡は絶やさないようにやってきたけど、
それは結構負担のかかる話で、
たとえば同じ家の同じ部屋で、コタツに一緒に入っているのに
なんでLINEを送らせようとするのか、など疑問に思うところはあった。
ただ、そんなみわちゃん相手に
連絡を1日以上絶やしてしまった僕は、確かに悪い。
僕はなおも謝った。
僕 「いや、ほんとにごめんなさい。申し訳ないです」
みわ「じゃ、なんで連絡くれなかったの?」
「変でしょ」
「変態!」
そう言われて、僕は少しひっかかった。
いや、確かに1日以上連絡を絶やした僕は悪い。
でも、「変態」とまで言われる筋合いはあるのか。
僕はちょっといらっとした。
そこで、みわちゃんに対抗するために、あえて嘘を混ぜた。
僕 「すみません。
実は、箱根の峠の上にいて、電波が届きにくかったんだよ」
「でも、箱根を降りたら、そのことの説明も含めて、
すぐ連絡しないといけなかったね。すみません」
実際には、峠の上でも携帯の電波は十分届くはずだが、
まさか、佳子さんへの対応に精いっぱいで
連絡するのを忘れていました、とか、
気づいてはいたけど、後回しになっていました、などと言うと、
火に油どころか、火にガソリンを注ぐことになってしまうので、
和平を優先する意味でも、嘘を混ぜた。
するとみわちゃんは、案外簡単に矛を収めた。
みわ「あ、そうなの?うーん、なら、仕方ないかも、なあー」
僕 「いやごめん。帰り道すぐに連絡すべきだった。ごめんね」
僕がそういうと、みわちゃんは少し落ち着いた。
嘘も方便で、これで結果的にはいいのかもしれないが、
僕はあまりいい気分ではなかった。
なんでLINEが来ないことに、そこまで怒るのか。
僕にはよくわからなかった。
送らなかった僕は確かに悪いけど、
無事に帰ってきて、対面できたことに対して、
何も言ってくれないことについて、僕は多少の疑問があった。
みわ「今度から、気をつけてね」
僕 「うん。ごめんね」
僕はそう言って、頭を下げた。
それを見ると、みわちゃんは、
ベランダに通じる窓のところまで歩き、外を見た。
みわ「あのね」
僕 「うん」
みわちゃんは、こちらを向いた。
みわ「土曜日、パパとママに会ってほしいんだ」
僕 「え?」
僕は、突然の申し出に驚いた。
みわちゃんのご両親には、実はすでに同棲前から会っていて、
同棲するときもご両親に許しを得た上で同棲している。
なんで、今また?僕はまた疑問に思ってしまった。
僕 「あの、ご両親には、何回かお会いしているよね」
みわ「うん」
僕 「何かお話したいこととか、あるってこと?」
みわ「うん」
僕 「何だろう」
すると、みわちゃんは一息ついて、こう言った。
みわ「パパとママがね、
石井さんに、婿養子に来てほしいって、言いたいって」
僕 「婿養子?」
みわ「うち、去年、妹がお婿をとらずにお嫁に行ったでしょ」
僕 「うん」
みわ「それから実は、あなたが婿養子をとりなさいって、
猛烈に言われていたの」
僕 「え、そうなの?」
みわ「そう。で、何度も石井さんに頼めって言われていたの」
僕 「そうなの?」
みわ「でも、まだだからって言って、防いできたんだけど、
最近、それなら家に帰ってこいって言いだして、大変なの。
それできのう、実家に帰っていろいろ話したのよ」
僕 「そうだったんだ。それで?」
みわ「何度も言ったんだけど、
だめで、もう連れて来なさいって話になっちゃった」
僕 「そうなんだ・・・でも、どうしてそんなに婿養子にこだわるの?」
みわ「財産よ」
僕 「財産?」
みわ「そう。うちはパパがおじいちゃんの資産をたくさん受け継いだんだけど、
このままだとママと私と妹しか相続できないから、
石井さんにもぜひって」
僕 「ええ、僕にも」
みわ「そう。いい話でしょ」
みわちゃんのお父さんは資産家で
「山河不動産」という会社を営んでいると聞いたことがある。
僕に財産をくれようとしているのか。
それは確かにいい話だし、みわちゃんを大事にしたい気持ちはあるけれど、
財産をもらうために婿養子に行くというのは、なんだか釈然としない。
僕 「でも、ずいぶん急だね。
この間までは、結婚はいつでも、とか言っていたのに」
僕は、去年ご両親に会った時に、そう言われた。
みわちゃん自身も、急いでいなかったはずだ。それなのに、なぜ?
みわ「うん。確かに去年はそう言ってたんだけどね」
そう言うと、みわちゃんは少し話題を変えた。
みわ「私、跡継ぎをそろそろ、って言われてるの」
僕 「跡継ぎ?」
みわ「そう。赤ちゃん。私ももういい歳だから、そろそろって」
確かに、みわちゃんは今年33歳だ。そろそろ、という気持ちもわかる。
僕 「なるほどね」
みわ「そう。パパとママがね、3人は産みなさいって」
僕 「3人?」
みわ「そう。子供は多い方がいいからって。だからそれを考えると
そろそろ石井さんに来てほしいなって」
僕 「あれ、でも、去年ご両親に会ったときは、授かりものだから
いつでもとか、何人でもいいじゃないのって言っていたと思うけど、
ご両親の考えが、変わったのかな」
僕がそう言うと、みわちゃんは少し急ぎ目に言った
みわ「そうだっけ。でも、きのうはそう言っていたよ」
僕 「そうなんだ」
そこで僕は、みわちゃんの体に何かあったのか、心配になった。
僕 「あの、みわちゃん、
例えばなんだけど、体の方に、何かあったとか?」
みわ「え、何で?」
僕 「だって、急にそういう考え方になったってことは、みわちゃんの体に
何かあったのかと思って、ちょっと心配になったんだよ」
みわ「あ、それは大丈夫。心配ないから。ありがとう」
僕はみわちゃんの体に異変があったわけではないと知り、少しほっとした。
みわ「でね、善は急げで、赤ちゃんもなるべく早くしたいんだけど」
僕 「なるべくって?」
みわ「できれば、早く」
僕 「それって、今年中とか?」
みわ「もっと早くてもいいの」
僕 「ええ、だって仕事もしてるし」
みわ「仕事はもういいのよ」
普段、受付の仕事に対して結構誇りを持っているみわちゃんから、
意外な発言が飛び出した。
仕事での愚痴はよく聞くが、行き詰っているとか、
もうやりたくない、という話は聞いたことがなかったからだ。
いや、ひょっとしたら、離婚した話みたいに、
僕がみわちゃんのことをよく聞いていないから、
ひょっとして「仕事はもういい」という気持ちを
聞き逃していたのかもしれない。
僕はいろいろ考えた。
僕 「じゃあ、ちょっといろいろ考えてみるね」
みわ「ありがとう。じゃあ、土曜日は大丈夫?」
僕 「明日、会社に行って、休めるかどうか調整するから、