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涙をこえて。

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佳子「いいのよ。彼氏役をやってもらったから、
   そのアルバイト代だと思って、ねっ」

ええ、これってアルバイトだったんですか。僕はさらに落胆した。

これでこの物語は終わりなのか。それってあまりにも寂しくないか。
僕がその辺のことを何とかして伝えようとしたところ、
佳子さんはまた意外なことを言った。

佳子「いいの。たぶんまた来ることになるんだから」

僕は真意がわからなかった。それは、客として?それとも、佳子さんの彼氏役として?
その答えを聞く前に、僕は宿の車に押し込められた。

僕 「あの、僕」

なおも抵抗しようとする僕に、佳子さんは引導を渡した。

佳子「遠足は、家に帰るところまでが遠足です。
   最後まできちんとしないと、ねっ(笑)」

遠足?ずいぶんと子供じみた話をしてくれるなあ。
僕はちょっと馬鹿にされた思いがした。
しかし、僕が次の言葉を告げる前に、車は発車してしまった。

僕 「あっ」

僕がそういって振り返ると、佳子さんは赤いスカートをひらつかせて、言った。

佳子「がんばって、ねー!」

何をがんばるのだろう。仕事のことか?ずいぶん最後は月並みだなあ。

しかし、ここの「がんばって」というのは、
実は仕事とかではなく、全く違うことに対するエールであることを
僕はしばらくして知ることになった。

もちろん、このときの僕はまだ全く何も知らない。
峠の上からものすごい勢いで下る車の中で、僕はまだ、寂しさだけを抱えていた。




あ。

また、今回も連絡先を聞かなかった。
佳子さん、華の独身だとわかったんだから、聞いてもいいのに。
僕は、自分の段取りの悪さを悔やんで、帰途に就いた。












帰りは、ロマンスカーには乗らず、
各駅停車と快速急行を乗り継いで、新宿まで帰った。

ロマンスカーに乗ると、往路の佳子さんとのことが思い出されてしまい、
切ないからだ。

往路は、オロオロもしたけど、よく考えたら最高だった。
だって、偶然にも佳子さんと隣同士の席になり、
そのあと一晩一緒に過ごせたんだから。


しかし、きょうの復路は、最低だ。
追い出されるように帰ることになってしまい、
僕の心は袋だたきにあったような気がする。

箱根駅伝でいうと、
往路優勝したのに、復路でがくんとシード落ち、みたいなものか。
なんて浮き沈みが激しいんだ。すごいことだ。

そんなことを思って、マンションの近くまで来た。


しかしこのとき、僕は箱根で起きた「すごいこと」に心を奪われていた。

「すごいこと」というのは実は厄介で、
「もっとすごいこと」の前ぶれであることが、ある。

大きめの地震があって「すごいことだ」とびっくりしたけれども、
実はそれは前震で
「もっとすごい」本震がそのあと来た、というのは
残念ながら、近年、繰り返しあった。

本当は「すごいこと」が起きた段階で
「もっとすごいこと」が起きるかもしれないと
準備しておくことが、大事だ。


人間は「すごいこと」が起きると、
ついその「すごいこと」を振り返ることに集中してしまい、
次に「もっとすごいこと」が起きる可能性に
思いを致すことをやめてしまう。



このときの僕も、そうだった。
箱根での「すごいこと」ばかり考えて、帰ってきた。


平日の昼間なので、のんびりと家の鍵を開けた。
すると、意外なことに、中からみわちゃんが飛び出してきた。

僕 「みわちゃん?」
みわ「おかえり」

その声のトーンの低さに、驚いた。

みわちゃんと言えば、いつもかわいらしい、丸ゴシックのような声をしていたが、
このときはどう聞いても、厳しい明朝体の声をしていた。
何があったのだろう。

僕 「どうしたの?会社は?」
みわ「きょう、休んだの」

みわちゃんが会社を休むのは極めて珍しい。
僕と付き合い始めてから、風邪を引いたことはあったが、
インフルエンザじゃない、人にはうつらない、と言って
38度の熱があるときも会社に行ったみわちゃんだ。

そのみわちゃんが休んだ、と聞いて僕はちょっと怖くなった。

僕 「どうしたの?休むなんて」
みわ「石井さんに、話がしたかったから」
僕 「話?」
みわ「そう」

いったい何の話なんだろう。僕は思いつくフシがなかった。

僕 「何の話?」

僕がそう言うと、修羅場が始まった。

みわちゃんの顔はみるみる赤くなり、夜叉のような表情になった。
そして、みわちゃんはクッションを、思い切り床に叩きつけた。
クッションの中の白い羽毛が飛び出してきて、華やかに乾いた空気の部屋に散る。

僕 「ええ、どうしたの?」
みわ「ゆうべ、LINEくれなかったでしょ!」


僕はそこで初めて「しまった」と思った。
毎朝毎晩「おはよう・おやすみなさいLINE」を、
僕たちは欠かさず交換してきた。
同じ家の中で、隣にいるときも送りあっていた。

しかし、今朝僕が気付いたように、
ゆうべから、みわちゃんにはまったくLINEを送っていない。
これは、付き合い始めてから、初めてのことだった。

みわ「なんで送ってくれなかったのよ!すごい心配したのよ!」
僕 「いや、ごめん。本当にごめん。」

僕は必死で謝った。

実は、今までも、LINEを忘れそうになったことはあったが、
エレベーターに乗ったときとか、
隙間隙間の時間でスマホを見てばかりだったので、
スマホを見て思い出す、ということで危機は救われてきた。

ところが今回の箱根では、ロマンスカーで佳子さんに会って以来、
実はまったくスマホを見ていない。佳子さんの方ばかり見ていた。
帰りの電車の中では落胆して、スマホを見る気力がなかった。

それに、なんだか腑抜けてしまって、眠かった。
こんなに長い時間スマホを見なかったのは、
6年前にスマホを買ってから初めてだ。

みわ「すごい心配して、いっぱい送ったのに!」
僕 「いや、ほんとごめん」

僕があわててポケットの中からスマホを取り出し見ると、
画面は通知の嵐だった。
LINEの通知が30件、電話の着信通知が5件あった。

僕 「あの、電話もしてくれたんだ」
みわ「そうよ!メールもいっぱい送ったんだからね」

見ると、みわちゃんからのメールは10通来ていた。

僕 「いや、いや、ほんとごめんなさい」

僕は誠心誠意謝った。しかし、みわちゃんは許してくれなかった。

みわ「だって、約束したでしょ。
   おはようLINEとおやすみLINEは必ず送るって!
   約束破る人、キライ!」

みわちゃんは、僕が今まで見たことなかったような、怒り方をしていた。
僕はさらに謝った。

僕 「本当にごめんなさい。僕が悪かったです」

スマホを見るヒマがなかった、というのは言い訳になるし、
実際にはヒマはあったので、それを言うのはやめた。

僕 「みわちゃんを心配させて、本当に悪かったです」
みわ「本当にそう思ってるの?」
僕 「うん。思ってる」

僕は本当にみわちゃんを心配させて申し訳ないと思っていた。

みわちゃんは、小学生のときはポケベル、中学生のときはPHS、
高校生・大学生のときは携帯、社会人になってからはスマホと、
物心ついた時から、
作品名:涙をこえて。 作家名:石井寿