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涙をこえて。

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もう僕がだいぶ平成という時代に染まってからだから、
昔みたいなダイナミックな僕を、みわちゃんは知らない。



さあて、部屋に戻るぞ。
よし。心の切り換えは1秒で済んだ。
部屋に戻ると、みわちゃんがテレビをつけていた。

NHKがついている。ずいぶんにぎやかな番組だ。

画面に「第48回 思い出のメロディー」と書いてあった。
ああ、昭和の名曲を聞かせる番組だ。
ちょうど、北島三郎さんが「風雪ながれ旅」を歌っていた。

僕  「みわちゃん、ずいぶん渋い番組見ているんだね」
みわ 「今、たまたまつけていただけだよ」
   「じゃ、チャンネル変えるね」
僕  「うん」


そう言った瞬間だった。

「風雪ながれ旅」が終わって、萩本欽一さんが出てきた。
ザ・昭和のタレントだ。

そして、司会の女優さんにうながされて、萩本さんが
「それでは、ドーンといって、みよう!」と言ったのだ。


「ドーンといって、みよう!」


なんなんだ、これは。あまりにもまっすぐだな。
スッキリするようなこと、言ってくれるな。
昭和だ昭和だ。戦後だ戦後だ。

僕はちょっと面白かったので、リモコンに手を伸ばしたみわちゃんに
「ちょっと待って」と言った。


僕  「どうせもう終わるんだから、もうちょっと見る」
みわ 「変なの」


みわちゃんに「変なの」と言われて、
僕はちょっとだけ気持ちにさざなみが立ったが、
その次の瞬間、もっと大きな波に襲われた。

あの歌が、始まったからだ。
往年の名歌手が舞台に勢ぞろいして、
あの歌を、最後の全員合唱として歌い始めた。



「涙をこえて」。



僕が大好きな、歌だった。
最近、そういえばずっと聞いていなかったけど、この歌、あったなあ。


この歌は、昭和44年に作られた歌だ。バリバリ昭和元禄時代の歌だ。

それなのに、平成生まれのJ−POPのように、AメロからBメロへの転換が明確だ。
昭和最後の年にこの歌に出会った僕は、
まだJ−POPなんて聞いたことがない世界の、中学生坊主だった。

そのときに聞いた、このAメロBメロを駆使した歌の鮮烈さ。
初めてゾクゾクした、AメロBメロの感覚。
Bメロが司令塔のようになって、サビにつないでいく。

そして、平成のJ−POPみたいなのに、
昭和40年代の希望あふれるルンルン社会、
この世でたった一度出会える明日を信じる社会がこれでもかというくらい、
明るく歌われている。

なんなんだこの歌は。
昭和と平成をつないでいる奇跡のカスガイなんじゃないか。


そんなことを思っていると、サビの後に、メロディーのキーがぐっと上がった。
僕はさらに、ゾクゾクした。
なんだろう、この感覚。僕は、どうしていいかわからなかった。

みわ 「ほら、チャンネル変えるよ」
僕  「あ、ごめん」

ちょっと放心状態だった僕に、わけのわからないみわちゃんが冷や水を浴びせ、
僕はほんの一瞬の昭和から、正気を取り戻した。



あ。
そういえば、今週の火曜日だったと思うが、朝、竹橋の気象庁に調べ物に行く途中、
急いで乗ったタクシーのFMラジオからも「涙をこえて」が流れていたな。

10時少し前の、夏らしい、みっしりとした濃密な緑色の空気の中。
赤坂見附から竹橋に向かう坂を上りながら、「涙をこえて」を聞いた。

そのときは、ぼんやりとしか聞いてなかったけど、
2回目を聞いた今、ぼんやりがはっきりに変わった。

人間の記憶は、1回だとあいまいで、2回だとはっきりよみがえるのか。
僕は人間の記憶の不思議さを少し感じた。
でも、この久しぶりのメロメロと、少し不思議な感覚が、実はスタートだった。

この日の「涙をこえて」から、
ゆっくりと近づく美しい彗星に、ひそやかに飲み込まれるように、
僕の運命は、動き出していった。













平成29年1月。



新年早々、手帳を落としてしまった。

幸い、年が始まったばかりで中身は何も書いていなかった。
書いてあったのは僕の名前と携帯の番号だけだった。

僕は、あまり気にすることもなかった。
また、気象庁にある本屋に行って買えばいいか、と思っていた。



ところが、数日後の夜のことだった。

家にいたところ、携帯が鳴った。
みわちゃんは、ヨガの教室の新年会だそうで、いない。

携帯を見ると、番号非通知だった。
坂の上テレビは電話交換機が古いか何かで、
いつもかかってくる電話は非通知だ。

「予報、しくじったかな。呼び出しかも。」と思い、電話に出た。

すると、女の人の声がした。



「あのう、石井さんの携帯ですか」というのが、
記念すべき第一声だった。



僕 「はい。」
女性「あのう、手帳をバスで拾ったんですけど。」
僕 「あ、そうなんですか。ありがとうございます。」


ずいぶん親切な、でも、変わった人だと思った。


僕だったら、仮に手帳を拾っても、
バスの運転手か交番に届けるくらいしか、しないだろう。
なんでこの人、わざわざ電話かけてきたんだ?
その理由は、ずいぶん後にならないと判明しないので、
とりあえず話を続ける。


僕 「そしたら、お手数なんですが、
   最寄りの交番にでも届けていただけると助かります。
   どちらの交番が近いですか」
女性「えっと、中野坂上ですね」
僕 「ありがとうございます。お時間あるときで結構ですので」


中野坂上だったら、新宿の僕の家から、わりと近い。歩いても行ける。
僕は珍しいことに、ありがたいな、と思って話を聞いていた。

女性に名前を聞くと、田中さん。ありふれた名字だねえ。
めんどくさくなくていいや。

ここまでの僕は、淡々と考えていた。



しかし、次の瞬間、僕は急に、悪寒がするような感じがした。
突然インフルエンザにかかったような、あの悪寒だ。
記憶のどん底から突然湧き出る、妙な感覚、
時代を乗り越えて何かが訪ねてくるような、
変な感覚を覚えた。


何だろう。
意外にも、それは、すぐにわかった。


「この人の声、聞いたことある。」


少し甘く、かすかにかすれた声。
ひょっとして、もしかして、あの人じゃないか。

いやいや、まさかそんな。そんなことあり得ない。
映画じゃないんだから。
それに、名前違うし。


女性「では、近いうちに中野坂上駅前の交番に、届けておきます。
   失礼しました−−」

電話が切られようとした。

まずい!
ここで言わないと、僕、また後悔する。
僕は、意を決した。珍しく、めんどくさい方に。



僕 「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください」
女性「…何ですか?」

女性は、不信感をたたえた声で応えた。

私 「あのう、大変失礼ですが、間違っていたら申し訳ないんですが、
   ひょっとして、もしかして、
   田中さんって、池田さんじゃないですか?」

僕は、祈るような気持ちで、話を持ち出した。女性は3秒黙った。
放送事故か?と思えるくらい、長い間だった。

しかし、間があけた後は、事故ではなかった。


女性「…そうですけど。」


僕は声を大にして言った。


僕 「あの、私、予備校でお世話になった、石井です!」
作品名:涙をこえて。 作家名:石井寿