うすべに~写紅桜恋絵姿様(さくらにうつすこいのえすがた)~
香桜留は弾かれたように父の顔を見上げた。父は娘を見下ろしながら言った。
「確かに儂は、一度はお前たちの結婚を勧めた。だが今は状況が違う。狂人に娘を嫁がせたなどと世間に言い立てられては、柳しげの恥」
恭介が世間では発狂したと言われていることを、香桜留も知っていた。でも、そうではないことも、香桜留は知っている。命よりも大事な絵が描けなくなって、どうして良いか分からず途方に暮れているだけだ。病気が良くなって、また絵が描けるようになれば、きっと元気になるはずだと、香桜留は信じていた。そして何より、香桜留にとっては恭介の傍にいることがいちばん幸せなのだ。
でも、香桜留は父に何も言い返せない。厳格で高圧的な父が、香桜留は幼い頃から怖くて仕方なかった。母は父の言いなりだし、家の使用人たちも、みんな父には意見ができない。だから、成長するうち、香桜留は自分の言いたいことを心にしまい込むようになっていった。そしていつしか、誰に対しても、うまく自分の本心を伝えられなくなっていった。内気でお淑やかなお嬢さん。周囲はそう言って、無口で控えめな香桜留をむしろ好ましいととらえていたようだが、香桜留は苦しかった。伝えたい言葉は心の中でどんどん膨れ上がって、絡み合った巨大な糸の塊のようになる。そうして行き場を失うと、心の奥深くに澱(おり)となって沈殿してゆくのだ。
黙っていては、恭介に会えなくなってしまう。でも、父に何も言えない・・・。
香桜留は自分の部屋に戻ると、障子を細く開けて、縁側の向こうに広がる黒々とした庭を眺めた。3月とはいえ、夜はまだ、かなり冷える。風が木々を震わせる音に交じって、座敷の喧騒が切れ切れに聞こえる。
香桜留の生家である芝居茶屋「柳(やな)しげ」は、猿若町随一と言われる歴史ある大店である。
父勘右衛門はその5代目当主。元は木挽町(こびきちょう)という場所にあったが、天保の改革の頃、芝居町の移転に伴いここ浅草に移ってきた。「柳しげの旦那様」。町のみんなは、父のことをそう呼び、頭を下げる。この町での父の影響力は絶対で、同業者であろうと使用人であろうと、家族でさえ、父は口答えすることを許さなかった。そんな父の顔色をいつも伺っていたから、香桜留は相手に叱られないように、嫌われないように・・・結局のところ、たぶん、自分が傷つかないように・・・。本心を押し殺して生きてきた。たとえ、本気で好きになった相手であっても。
そんなふうに自分を分析しながら、香桜留はふと、初恋の人のことを思い出した。9歳の頃だ。明治3年の冬のある日、大人たちに交じって、香桜留は店の宴席にいた。母親が当時贔屓にしていた役者がいて、その役者を宴席に呼んだのだ。まだ子供だった香桜留がなぜそこに座らされていたのかはよく分からないが・・・「柳しげ」の娘だから、特別扱いだったのかもしれない。大人たちの話は正直退屈で、香桜留にはよく分からなかった。そんな香桜留の様子を察してか、折を見てはいろいろ話しかけてくれたのが、三代目澤村田之助(さわむらたのすけ)・・・。母が贔屓にしていた役者である。当時、病気休業から復帰して間もなかった、女形の人気役者であった。浮世絵から抜け出して来たような、均整の取れた涼し気な美貌。そして、その美貌からは意外にも思える、強くまっすぐな瞳の輝き。香桜留は今でも鮮明に覚えている。不思議な魅力のある人だった。男の豪胆さと女の優美さとが、一人の人間の中に同時に存在する。香桜留は子供ながらに、何かただならぬものを感じ取っていた。何を話したか、というと、本当に他愛もないことだ。彼は少女の言葉に、優しく耳を傾けてくれた。宴席が終わり、その夜布団に入った後も、彼のことが頭から離れなかった。あの美しい人は、今頃何をしているのかしら・・・とか、あの美しい人も、私と同じようにお風呂に入ったりお手水(ちょうず)に行ったりするのだわ、などと今思い返せば笑ってしまいそうなことを、一晩中考えていたものだった。そして、母にせがんで翌月の舞台を見に連れて行ってもらった。その舞台の中で、田之助演じる姫君が愛しい人に恋文を書く、という場面があった。だから香桜留は、家に戻ってから、いちばん綺麗な便箋を用意し、芝居で聞き覚えた、少女にとってはまだ難しい言葉を、見様見真似で書き並べ、田之助に恋文を書いてみたものだ。けれど、渡すことはできなかった。その後宴席に出ることはなかったけれど、贔屓である母に頼めば、会うことは可能だったろうと思う。だが、舞台を見に行くことはできても、どうしても、母に直接会いたいと言い出すことができなかった。手紙はずっと長いこと、香桜留の机の上に置かれ・・・幼馴染の役者、瀬川菊之助が遊びに来たとき、ふざけて中身を開封されそうになり、大泣きした思い出がある。3歳から子役として舞台に立ち、当時田之助と共演していて楽屋で毎日顔を合わせていた菊之助は、香桜留の机の上にある手紙を目ざとく見つけ、それが田之助宛の手紙であると悟ると、
「何だよ。手紙書いて渡さねえとか、バカだろ。貸してみろ。俺が明日、田之助のお兄さんに渡してやるから」
と手紙を香桜留から奪い取った。
「やめて、やめてよ菊ちゃん・・・」
香桜留が泣き出して、泣き声を聞きつけた香桜留の母が部屋に駆けつけ、さすがにやり過ぎたと思ったのか、菊之助は手紙を机の上に戻した。手紙は、その後どこにしまい込んだのか、香桜留も覚えていない。明治5年、田之助は病気の悪化を理由に江戸歌舞伎を引退し、会う機会はなくなった。もちろん、香桜留が積極的だったとしても、当時25歳の田之助には既に妻子があったし、もし独身だったとしても、16歳年下の香桜留にとって叶う恋の相手ではなかっただろう。けれど、当時の香桜留は子供ながらに真剣だった。大人になるにつれ、それが少女の夢見がちな幼い恋であったと気付いても、伝えられなかった思いの苦しさはいつまでも胸の奥深くに残り続けた。田之助は明治11年にこの世を去った。
あの時のような後悔は、もうしたくない。私は恭介を、失いたくない。
もっと、勇気を出さなくては・・・。
座敷の喧騒が再び、風に乗って聞こえてきた。
3
数日後、いつものように月岡家の離れを訪ねると、玄関に出てきたのはお津多ではなく、恭介の兄の壱也だった。
「お津多はちょいと出かけていてね。さ、上がっておくれ」
壱也は笑顔ひとつない。どちらかというと、普段から不愛想な男だったから、香桜留はもう慣れていた。
格子の向こうでは恭介が、これ以上はないというくらいだらしない姿勢で本を開いていたが壱也が香桜留の来訪を告げると、急に起き上がって着物の袷を直し、手ぐしで髪をに直し始めた。あちこちはねた髪は、直しても直してもボサボサのままだ。香桜留は壱也の背中ごしにその光景を見て、笑いをこらえるのに必死だった。
その日は、恭介は随分と調子が良いようだった。手の痙攣や痛みは、だいぶ治まっているという。机の上には描きかけの絵があったから、香桜留が覗き込もうとすると、恭介は着物の袖で絵を覆った。
「こいつあ、ダメだよ。まだ、見ちゃいけない」
そう言ってニヤニヤと独り笑っている。
「恭介さんの意地悪」
作品名:うすべに~写紅桜恋絵姿様(さくらにうつすこいのえすがた)~ 作家名:蓮水 凛子