広瀬川にかかる橋
しかし、歩いて行ったのでは間に合わないし、走ったのでは途中で倒れてしまいそうだ……。
ガードレールに手を突いて、頭を左右に振った時……星彦の眼にレンタサイクル店が飛び込んできた……あれだ!
17:45
「あいにくだねぇ、今、あれ一台しか残っていないんだよ」
店の主人が指差した先にあったのは、二人乗り用の自転車だった。
17:55
「走った方がマシだったかも……」
星彦はそうつぶやきながらも立ちこぎで重たい自転車を走らせる。
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沙織はレストランのあるホテルの近くの橋のたもとにいた。
星彦は無事で仙台を目指していることは分かっている、六月に会った時、星彦は花火を見ながら食事をすることにこだわっていた、だから、おそらく星彦はここを目指している、そう感じたのだ。
レストランには少し前に電話を入れた。
遅れるかもしれない事情を話すと、支配人は『分かりました、席を空けてお持ちしています』と言ってくれた。
そして、沙織は、橋のたもとに立って対岸に眼を凝らし続けている。
……と、陽炎のように揺らめきながら、いや、実際にふらつきながら走る二人乗り自転車、しかもそれを一人でこいでいる……。
(あ……もしかして……)
まだ遠くて顔ははっきり見えない、しかし、沙織は直感した……。
(星彦さんだわ!)
思わず大きく手を振る、すると自転車の男性も手を振り返してくれた。
間違いない、星彦だ!
停電、架線事故、爆発事故……その後はどうやってたどり着いたのかは分からない。
でも、幾多の困難を乗り越えて来てくれた……本当に来てくれた……。
沙織は星彦を目指して走り出した。
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ようやく広瀬川にかかる橋のたもとにさしかかった。
(ようし、後ひとこぎだ)
力をこめてペダルを踏む……と対岸で手を振る女性。
(沙織だ! 待っていてくれた!)
思い切り大きく手を振った……一秒でも早く会いたい!
ペダルを踏む脚にいっそう力がこもる。
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沙織が走る。
星彦も二人乗り自転車を乗り捨てて走る。
橋の真ん中で、二人は固く抱き合った。
「もう……こんなにぼろぼろになってまで……」
「ごめん、高速道路で事故があって」
「知ってる……どんなに心配したか……」
「スマホもバスと一緒に焼けちゃって……電話番号は覚えてないし、連絡できなくて」
「いいの、無事ならいいの、こんなになっても私に会うために……」
「どうしても今夜沙織に会いたくてさ……」
「星彦さんのばか……わたし……わたし……泣いちゃうじゃない……」
沙織を抱きしめる星彦の腕にいっそう力がこもった……。
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「ちょっと遅れた上に、こんな格好で大丈夫ですか?」
「事情はお聞きしてます、『男の勲章』です、お気になさらずにどうぞ」
レストランの支配人は窓際の、花火がもっとも良く見える席に二人を案内してくれた。
19:00
予定通りに最初の花火が上がる。
「きれい……見て……広瀬川に映って、まるで橋が架かったみたい」
「うん、カササギが二人を会わせるために架ける橋だね」
「本当に……」
「実は受け取ってもらいたい物があるんだけど」
「……なあに?」
「これ……ケースがちょっとへこんじゃったけど」
「これって……」
「これを左の薬指に着けていて欲しいんだけど……」
「……」
「だめ?」
「そんなはずないじゃない、嬉しすぎて声にならないのって初めて……」
「それじゃ……」
「ふつつかものですが、末永くよろしくお願いします」
「ありがとう……その答えが聴きたくて……」
沙織の薬指に指輪が通されると、テーブルにすっとシャンパンが差し出された。
「もしよろしければ当店からもお祝いさせて頂きたいのですが」
「え?……どうして?」
「先ほど沙織様からお電話をいただきまして、もしかしたら遅れるかも知れないと……その時に事情をお聞きして、おそらくはこういうことだろうと用意しておいたのです」
「はは……バレバレでしたね……ありがたく頂戴いたします」
「それと、これももしよろしければですが、他の客様にも祝福のチャンスを」
「え? ちょっと照れくさいな」
「せっかく、幾多の困難を乗り越えていらしたのですから」
「そうですか? じゃぁ」
「ありがとうございます、少し不躾なのですが、今夜は特別と言うことで」
支配人はわざと大きな音を立ててシャンパンを抜き、店中に婚約をアナウンスした。
湧き上がる拍手と祝福の声……。
二人は立ち上がりお辞儀をして応える。
そして、沙織は、満面に笑みを浮かべる星彦を見上げながら思った。
この人ならば、この人とならば、たとえどんな荒波も超えて行ける、どんなに高い山にだって登れる、この人とならば……。
星彦も、沙織の華奢な肩を抱きながら思った。
この女性(ひと)とならば、たとえどんな荒波だって超えてみせる、どんなに高い山にだって登ってみせる、この女性(ひと)が僕に勇気と力をくれるから……。
織姫と彦星の物語は恋人同士のロマンティックな話ではなく、本当は引き離された夫婦の物語。
しかし、果てしなく広い天の川でも二人の気持ちを隔てることは出来ない。
今、二人の気持ちはひとつになったのだから……。
(テーマ曲:『You Raise Me Up』 https://www.youtube.com/watch?v=S0mOXC8pJfM 別ウインドウで開いて再生ボタンを押し、また本文にお戻り下さい)
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「ママ、どうして家は八月に七夕様をするの?」
「ママのふるさとの仙台ではね、八月七日に七夕祭りがあるの、だからよ」
「ふうん」
「七月の方が良い?」
「ううん、七月は雨が多いもの、八月の方が良い、それに、こうやってちゃんと笹を飾って短冊を吊るすのって家くらいだもん、とっても素敵、織姫と彦星はいつか結婚できるといいね」
「うふふ……そうね……」
沙織は娘の勘違いを正そうとは思わない、同じように七夕を恋人達の物語と勘違いしていた人との大切な想い出があるから……。
「ママ、なんだかうれしそう」
「うん、ちょっと昔のこと思い出してたの」
「パパとの想い出?」
「そうよ」
「パパ、早く帰ってこないかなぁ」
「きっと帰ってきてくれるわよ、パパはそういう人だから」
「その想い出、教えてくれる?」
「うふふ……そうね……」
「あっ、パパだ、パパが帰って来た」
「じゃ、二人でお出迎えしましょう」
「うん、パパー!」
沙織は娘の後を追いながら思った、あの想い出はいつか娘にも好きな人が出来た時に語ってあげることにしよう……と。
終
(引き続き『You Raise Me Up』をお楽しみください、訳詩にもご注目を)