広瀬川にかかる橋
1.
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「えっ? 織姫と彦星って恋人同士じゃなかったの?」
「そうよ、夫婦なのよ」
沙織が小学六年生の時のことだ。
沙織が住む仙台では、毎年七夕祭りが盛大に催される。
小学校でもやはり七夕は大事な行事、毎年六年生が中心となって、昇降口の壁を七夕にちなんだアイテムで飾りつける。
手先が器用で図画工作が得意な沙織は、織姫、彦星の人形を任されて裁縫に余念がない。
そして、傍らでは母が沙織の裁縫にチェックを入れながら、織姫と彦星の物語を語ってくれている。
「織姫は天を治める天帝の娘でね、美人で、聡明で、機を織るのがとても上手な働き者だったの」
「あたしみたいね」
「まぁ……確かにあなたは私とお父さんの自慢の娘だけどね……でね、娘のお婿さんに誰か良い人はいないかなぁ、と探していたら、とっても働き者の牛飼いを見つけたの」
「それが彦星なのね?」
「そう、でも、二人の間には天の川があって出会いのチャンスがないでしょう? 天帝は一計を案じてね、彦星の牛に姿を変えて彦星をそそのかすの」
「そそのかす?」
「そっ、私もあんまり良いアイデアじゃないと思うのよね」
「え? どんな?」
「とても美しい娘が、今、天の川で水浴びしてるから衣を隠しちゃいなさいって」
「え~っ?」
「でね、彦星がそ~っと天の川を覗くと、本当に美しい娘が水浴びしてて、一目ぼれしちゃうの」
「それって、覗きだよね」
「うふふ……確かにそうね」
「で、衣は隠しちゃうの?」
「そうよ」
「窃盗罪を重ねちゃった」
「うふふ……確かにそうね、それで、困ってる織姫に、私の妻になってくれるなら衣を返しますって」
「あはは、脅迫もしちゃったんだ」
「うふふ……言われてみると、随分とひどい話ね」
「でも、結局は結婚するんでしょ?」
「あ、そう、そうなのよ、しかも夫婦仲はとても良くてね」
「お父さんとお母さんみたいに?」
「多分……ウチより仲良かったと思うわよ、だって、二人とも全然仕事をしなくなっちゃうんだから」
「そうなんだ……それはちょっと困るね、ウチは程々で良かった」
「そう……ね…………で、それに怒った天帝は天の川の水かさを増して、二人を引き離しちゃうの」
「あれ? 自分でくっつけておいて?」
「そうなのよ、私も小さい頃、このお話を聞いて、やっぱりそう思った」
「だよね~、でも年に一回だけ逢う事を許したのね?」
「そう言うこと、でももうちょっと前か後にしてあげれば良かったのにね」
「そうよね~、梅雨の真っ最中なんて、天帝もイジワルよねぇ」
「でも、めったに逢えないからこそ、ずっと昔からずっと愛し合っていられるのかもね」
「遠距離恋愛みたいね……うふふ……」
それから十五年が過ぎた。
二十七歳になった沙織は『仙台平』と言う地元特産の伝統織物に魅せられ、それを小物に仕立てる仕事をしている。
仙台平は、東北の織物らしく丈夫で地味な織物だが、美しい光沢とくっきりした縞柄が特徴、袴や帯、和装用の小物にされることが多いが、沙織はそれだけではなく、ハンドバッグやパース、スマホのカバーやストラップ、そしてネクタイなどにも仕立てている。
仙台平の生産量そのものが多くはないので全国区にはならないが、呉服店やデパートで販売されて地元ではそれなりに人気商品になっている。
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有田星彦、三十歳。
東京のデパートに就職して八年になる。
職種は商品開拓、いわゆるバイヤーである。
デパートは正直な所、成長産業とは言い難い、星彦もお客様が望む商品を揃えるだけではこの先更に尻すぼみになると考えている。
とは言え、デパートが流行を発信出来たのも今は昔の話、それよりも本当に価値のあるもの、流行に左右されず、広く知られてはいないが本当に良いものを揃えて、その真の価値を発信できたら、と考えて日本中を飛び回っている。
そして二年前に目をつけたのが仙台平、帯や袴を呉服売り場に置くと、そのシャープな縞柄と美しい光沢、しっかりした手触りが受け、堅調な売り上げを見せている。
しかし、星彦は、仙台平の本当の価値は普段使いの使用に耐える丈夫さと色あせない美しさにあると考えている。
和服を日常的に着る人は限られる、仙台平を買ってくださったお客様でも袴を穿く機会はそう多くはないに違いない、それよりも普段使いの、洋装にもマッチする小物に生かせれば、その本当の価値も広まってくれるのではないかと考えた。
そして行き着いたのが沙織の小物だったと言うわけだ。
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「先日電話させていただいた、北武百貨店の有田です」
「初めまして、河辺沙織です」
初めて会ったのは沙織の工房、と言っても実家の二階、結婚して家を出た姉の部屋を使っているだけ、工房らしい所は頑丈そうなミシンと家庭用には少し大き過ぎる複合プリンターくらいだ。
星彦から見た沙織の第一印象は『仙台平のイメージにぴったりだな』と言うもの。
ストレートロングの黒髪、シャープな輪郭、切れ長の瞳……要するに、仙台平に惚れ込んでいる星彦にとってはど真ん中のストライクだったわけだ。
沙織から見た星彦の第一印象は『あら、意外と若い方だったのね』と言うもの。
仙台平に目をつけるのはもっと年配の人だと思い込んでいたのだ。
それ以外は『熱意がありそうな人で良かった』、それだけだったが……。
「こちらは紳士用のお財布になります、内側はしなやかなカンガルー革で、小銭入れの部分は……」
沙織が製品の説明をしてくれている間、星彦は全神経を集中していた。
なにしろ仙台平は自分でも力を入れている商品、一目見るなりその商品価値にも確信を持ったのだ。
そして、沙織の声、沙織の姿にももちろん注意を惹かれてしまう。
手元を注視しているのは不自然ではないが、顔を見るのは……不自然にならないように気を使いながらチラチラと盗み見しなくてはならない……。
製品とその作り手の両方に集中するのはなかなか大変だ。
「それでは……これと、これと、そうですね、これをお借りして行ってもよろしいですか?」
「ええ、もちろん結構です」
やった……これでまた ここを訪れる口実ができた。
星彦は持ち帰りきれない小物類を一通り写真に収めて、工房を後にした。
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翌日、星彦は商品開拓部長に沙織の作品を見せている。
「ほう、確かにこれはいいね」
「そうでしょう? 帯や袴も売れていますけど、これは普段使いですから、もっと売れると思うんです」
「価格は?」
「卸値は一覧表にしてあります」
「少し高いな……」
「いえ、でもそれだけの価値はあると思うんです、耐久性にも優れていますし、光沢も失われませんから」
「う~ん、そうだな……でも、少し値切れないかな?」
「それはちょっと……なにしろこれを作っているのはお一人ですから、ハンドメイドなんですよ」
「そうか……じゃぁ、とりあえずはその値段で仕入れて出してみようか」