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湯川ヤスヒロ
湯川ヤスヒロ
novelistID. 62114
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ユウのヒトリゴト[1]

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 ハタチの誕生日を迎え、数週間が過ぎた2003年の年の瀬。凍えそうな寒さに耐えながら、ボク『ユウ』は一人でいそいそと、A4サイズの分厚い封筒を抱えながら、大阪の天神橋筋商店街を南へと下っていました。
 この年、阪神タイガースが18年ぶりのセ・リーグ優勝を達成し、にぎやかな大阪の街は猛虎フィーバーに酔いしれ、いっそうにぎやかさを増していました。
 でも残念ながら、ボクは熱狂的な横浜ベイスターズファン。いや別にボクは横浜には縁もゆかりもありません。生まれも育ちも京都の根っからの関西人。でもなんで横浜ファンなんかってゆうと、これは大洋ホエールズ時代からのファンやった亡きおじいちゃんの影響。…まあ、この頃はおじいちゃんもまだ寝たきりになる前で元気やったけど。
 それはそうと、ボクがなんで大阪の街を歩いてるのかってゆうと、それはボクの『夢』のために、ある会社に向かってる途中やからです。

 ボクはさっきも言うた通り、生まれも育ちも京都。京都と言っても、風光明媚あふれる京都市内やなく、どっちかってゆうと大阪よりの山育ち。田舎育ちなんです。
 実家は農家をやってます。子供のころは、大人になったら家業を継ぐんやなって思ってたけど、中学高校になるにつれ反発してきました。なんでこの家に生まれたからって、農家継がなアカンねん! って。
 そう言いながらも家の手伝いはやってるけど、自分の本業にしようなんて思ったことはありませんでした。ムカシからの考えが根強い田舎では、ボクみたいなモンは親不幸モンの考えでしたけど。

 でもウチの親は、ボクの将来は自分の好きなことをしたらエエ言うてくれてました。なぜならオヤジも、高校卒業して家を飛び出して、自分のやりたかった出版業界の仕事をしていたから。(そしてその会社で、母と出会ってます)

 ボクの姉ちゃんは美容師になりたいゆうて自分の道に進みました。ボクもいずれは自分の好きなことをやりたいんやってゆう気持ちがメチャメチャ強かったんです。

 ボクはムカシっから学校の勉強が不得意でした。ただ本を読むのは好きやったんです。おじいちゃんの影響で時代劇が好きで、歴史モンの小説とかをよく読んでまし。
 姉ちゃんと同じく、小学生の時からスイミングを習いはじめて、中学高校と水泳部。高校時代は府大会でそこそこエエ成績を残すこともありました。正直、部活はしんどかったし、何回も辞めようって思ったことがあるけど、けっきょく好きやったからずっと続けることができました。

 そしてもうひとつ、ボクが子供のころから好きやったものがあります。
 それは、絵を描くことです。これだけはなぜか家族の誰からと影響を受けたワケでもない。ウチの家族に絵が好きやとか、絵が得意やってゆう人は誰もおりません。絵を描くのだけは、ボクが自然発生的に好きになったことなんです。
 いつから絵を描くんが好きなんかって言われたら、それは覚えてないです。でも幼稚園の時からクレヨンでなんかいろいろ描くんは好きやったと思います。
 子供やったらみんなそうやと思うけど、もちろんボクも子供のころからマンガやアニメが大好きでした。ドラえもんとドラゴンボールは特に好きで、オトナになった今でも映画やテレビで観てるくらい好きです。
 絵を描くのが好きやったボクはその影響か、いつしかマンガを描くようになってました。学校の自由帳にオリジナルのマンガ描いてたなぁ。まあ、オリジナルってゆうても、ストーリーはメチャクチャやったり、読んだことあるマンガの内容を丸パクリしたようなヤツばっかりでしたけど。

 絵とかマンガを描くのが好きやったボクには、あるひとつの趣味がありました。それは、よく雑誌に掲載されてる読者コーナーにイラストを投稿することです。きっかけは小学6年生の時。マンガ雑誌に付いているプレゼント用懸賞ハガキの空欄に描いたポケモンのイラストが、次の号の読者コーナーに載ったことでした。この当時は読者プレゼントがほしくてハガキを送ったワケで、イラストはただ空欄に好きに描いただけやった。懸賞はハズレたんやけど、自分のイラストが雑誌に載ってることほうがメチャメチャうれしかったです。
 そして中学生に入ってから、雑誌にイラストを投稿するのが本格的になってきます。マンガ雑誌やゲーム雑誌はもとより、音楽雑誌や芸能雑誌、水泳競技者向けのスポーツ雑誌やプロ野球、Jリーグの雑誌にもイラスト投稿して、翌号が発売されたらすぐ本屋にいって確認して、自分のイラストが掲載されてるか確認する。それがボクの楽しみになってました。
 ネットとかSNSに好きな時に自分のイラストをアップできる今となっては、こんなチマチマしたこと考えられへんけど。この当時は世間に自分のイラストを見てもらえる機会といえば雑誌の読者コーナー。そして読者コーナーに掲載されたらもらえる雑誌のオリジナルグッズ。ほとんどが雑誌名が入ったステッカーとかやったけど、イラストが掲載されたことの証であるそれをもらえることがボクにとってのなによりの宝です。

 最初のころはエンピツとかボールペンで描いてたけど、いつのころか文具屋で買った安価なマンガ用のペン(つけペンじゃなくて、万年筆みたいにペン自体からインクが出てくるヤツ)を使ったり、いっちょ前にスクリーントーン貼ってたりしてました。

 高校生になると、何冊かの特定の雑誌では、ボクは読者イラストコーナーの常連になってました。ほぼ毎号、ボクが描いた4コママンガが掲載されるようになって、同じく雑誌の常連やった投稿者と交流するようになりました。交流ゆうても、当時はパソコンも持ってへん。携帯は持ってたけど、今みたいにスマホとか、無料チャットとかSNSで自由に連絡できる便利なモンなんかなくて、電話番号のショートメールとかでやり取りする感じでした。

 高校3年生の時。ボクは自分が将来なりたいモノを決めました。マンガ家です。大好きなマンガを描く仕事をしていきたい。そう思ったんです。
 夏の大会を最後に部活を引退したあとは、土日は午前中スーパーでアルバイトしながら、家に帰ってマンガを描き続けました。何本か描き上げてはマンガ雑誌の新人賞に応募するのくり返し。でも、結果はけっきょくハシにも棒にもかかりませんでしたけど。

 高校を卒業した2002年の春ごろ。相変わらずボクは、バイトと実家の仕事を手伝いながらマンガを描き続けてました。
 そんな時、かつて雑誌投稿を通じて知り合った投稿者仲間が立ち上げたサークルに誘われ、そのサークルが定期的に発行していた同人雑誌にマンガを掲載することになりました。同人雑誌はコミック博覧会で配布されたあと、特定の店やネットで販売されます。プロデビューではありませんけど、お金を払って買ってもらう本に自分のマンガが載り、ボクも一部のギャランティーをもらう。マンガ家の夢にむけてスタートラインに立てた。そんな気がしました。

 そしてそのサークルの仲間を通じて、一度プロのマンガ編集者に直接作品を見てもらったらどうか? と言われ、大阪のとある雑誌出版社の編集者の方を紹介してもらったんです。