ベランダの夜
そう思って見ればタクシー乗り場に並んでるのも3人、これなら5分もしないうちに……。
だけどそれも諦めざるを得なかった、どうしてって、タクシー乗り場は交番の真ん前にあったからね。
これはさ、後で気付いたんだけど、いっそのこと交番に泊めてもらうって手もあったんだよな。
そりゃ不倫の相手をしてたわけだけどさ、それって犯罪ってわけじゃないんだもんな、相手が誰だったかなんて訊かれないよな、そこで黙ってりゃミキ子だって俺に感謝して、あとでチップをはずんでくれたかもしれないのにな……そりゃTシャツとジーンズは盗んだし、俺のじゃないのは一目瞭然だけどさ、それくらいなら大した罪にはならないよな、飢え死にしそうになってパンを盗むのと同じだよ、『ジョウジョウシャクリョウのヨチ』ってやつもあるらしいしさ……。
でも、俺は交番に出頭するなんて思いもつかなくてさ、他にどうしようもなくってビルとビルの隙間に人目につかなくて風が当らない所を見つけてもぐりこんだよ。
俺がそこで膝を抱えたのは寒かったからばかりじゃなかったよ、知らず知らずのうちに涙が溢れてきてどうしようもなかったんだ……。
あんだけ苦労したのにさ、ひっく、ベランダタバコやミーちゃんに邪魔されながら命がけで10階から降りたのにさ、ひっく、必死にアパートの2階によじ登ってTシャツとジーンズ手に入れたのにさ、ひっく、裸足でここまで歩いて来たのにさ、ひっく……これじゃベランダで夜明かしするのとたいして変わらないよ……ひっく、ひっく。
泣くだけ泣いたさ、そしたら落ち着いて来たね。
眠っちゃいけない、眠ったら死ぬぞ、死ぬもんか、なんとか生き延びてやる……俺はそれだけ考えてた……。
けっ……粉雪まで舞って来て俺の頭や肩やジーンズの膝に積もり始めやがんの……。
降るなら降れよ、俺、ぜってぇ負けねぇから……。
「和也……和也……変ね、どこへ行ったのかしら……」
その頃、やっと旦那が寝静まって、ミキ子はそっと寝室を抜け出していた。
リビングからベランダに出て、くまなく探すが和也はいない……。
(本当にどこへ行ったのかしら……)
ミキ子はスマホを取り上げると、『和子』と打ち込んである電話番号にカーソルを合わせて通話ボタンを押した……。
そのとたん、和也のスマホの着歌が、ベッドの下に蹴りこまれた上着のポケットから盛大に流れ出した。
♪BABYだいじょばないから それも ぜんぜんだいじょばないけど しかも
BABYだいじょばないよね いつもスリルに囲まれてる……
(終)