冬の湖
「いや……やめてジョヴァンニ! どうして!? いい子にしてたじゃない! これからはずっと一緒にいるのよ!? 貴方を愛してる。だから助けて殺さないでぇ!!」
指先から生まれた火種は瞬く間に大きくなり。しがみつく手をこともなげに振り払い、ジョヴァンニはぱっと手を離した。
狂ったように泣き喚くマリアンナがかくりと膝を折った。
「嫌ぁッ!!!」
飛び散った涙もすぐに炎の舌に舐め取られ、全身は紅い炎に包まれた。
「ジョヴァ……」
言いかけた唇も、かっくりとだらしなく顎が外れてしまった。全身の関節が外れ、くにゃりと力が抜けて。
大きく見開かれた瞳からはとうの昔に輝きが死に絶えていた。
豪奢なヴェルヴェットのドレスも長い髪も――総てを呑み込んで、焼き尽くすまでにそう時間はかからなかった。
『彼女』を葬った炎が燃え尽きる直前、ジョヴァンニは自分の顎へ逆手に手を当てた。
みしり、と不快な音を立てて、皮が剥がれた。その下から現れたのは、全くの別人だ。手にした皮を炎の中に投げ入れる。
その瞬間、ジョヴァンニの皮は深い皺の刻まれた老人のものに変わり果てていた。
何もかもが消滅したことを確認してから、何気なく湖の中を覗き込む。
手がない、脚がない、胴体がない――何十人もの少女が凍れる標本になっていた。
そのもっと奥には。淀んだ瑠璃色の水底には、その何倍もの数の骨が真珠の輝きを放っている筈だ。
水面近くの標本たちはこの氷が解けるまではその若さと美しさをそのまま展翅されるのだろうが、
春が来る頃には――先程の『彼女』のようになってしまうのだろう。だがそんなことは――、
「私には関係ないさ。そこまでは、依頼されていない」
ジョヴァンニとは似ても似つかない低い声で男は呟いた。
いまわの際の老いた人形師との取引は、彼が長い年月をかけて探し当てた相手との幕引き作業。
僕と『彼女』の恋を終わらせてくれないか。
それだけだ。 報酬も頂いた。依頼を果たす為の小道具――本人の顔も承諾を得て手に入れた。
今頃は二人でワルツでも踊っているだろうさ。
二つの哀れな魂が無事に巡り逢えれば。
一片の未練も思い入れもなく、魔法使いは冬の湖に背を向けた。