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あたしの向こうに、見えるもの

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抱き締められて、胸が詰まった。
 これは恋なんかじゃない。
 そう判っていても、胸が、痛くなった。

「お疲れ様でーす。行ってきまーっす!」
「あーい、お疲れー。行ってらっしゃーい」
 仕事が終わると、さっきまで癒す側だった女の子たちが今度は癒されにホストクラブへ出掛けていく。
 私も一時期は通ったものだけれど、最近はどうも気乗りがしなくて御無沙汰だ。歳取ったのかしら。やぁね、まだ24なのに。
「ねぇ、アンタ今日はどうする? ディアフィニア、行くけど?」
 どうするも何も、同期のサキは行く気満々で化粧直しをしている。
 そう、あたしたちはホストクラブじゃなくてもっと落ち着いたバーで一息ついてから帰るのが日課になっていた。
 ロッカーを開けたっきりぼけっとしていたあたしは、慌てて振り返る。
「あー、今日はパス。呑み過ぎたから真っ直ぐ帰るわ」
 作り笑顔で答えると、サキはコンパクトをバッグに放り込み、ショートカットの長い前髪を揺らして華奢な小首を傾げた。
「ん……、今日は頑張ってたもんねー。大丈夫? 一人で帰れる? 送ろうか?」
 シャープなスーツをソツなく着こなしたクールさが売りだけれど、よく気がつく優しいオンナなのだ、こいつは。
「何かっこいいこと言ってんの。大丈夫よ。サキこそ、ディアでゆっくりしといで?」
 ふむ、と腰に手を当てて大きく息を吐き出して、サキはあたしをじっと見る。
 不機嫌そうな顔は、心配してくれてる証拠だ。それが、不意に緩んで、
「無理しないようにね。アンタだけのカラダじゃないんだから」
 珍しく、サキがそんなこと言うから、一瞬どうすりゃいいのか判らなかったくらいよ。
「そうね、愛してるわサキ」
 サキはじゃあまた明日、とハンドバッグを頭上で振り回して出て行った。
「直哉さんによろしくねー」
 あ、これってマスターのことね。念の為。
 一人になって、振り返った先の鏡に映る自分をまじまじと眺める。
 まだ酒の抜けきってない、火照る肌。とろんとした目。
 ああ、仕事上がりで疲れた顔してる。
 バッグを引っ掴んで、ロッカーを閉じた。
 出入り口の壁に貼られた、売上ランキング。今月もサユリがダントツトップだ。
「あたしだって、こないだまではナンバーワンだったわよぅ……」
 所詮若い子には勝てないってことかしら。
 ナンバーワン取るだけが能じゃないだろう、なんて。そんな科白に甘やかされてここ数ヶ月、二位の座に甘んじているけれど。
 それもまんざら悪くもなかった。
 それまでは、ナンバーワンになることだけが総てだった。この世界、売上の数字がモノを言う実力社会だから。
 そして、ナンバーワンになったらなったで、次はその地位を維持するのに必死で――ま、一言で言えば周りが見えてなかったんだな、あたしは。
 若いサユリが入ってきて――それがまた文句のつけ所のないいい子でさ――あっさりと首位転落したときは荒れたわよ。
 この店辞めるとまで言い出して、同僚にも店長にもオーナーにも当たり散らしたっけ。今から思うとオトナゲなかったわよねー。
 24にもなって。いや、あの当時はまだ23だ。……そんな大差ないか。
 ……で、オーナーに言われた訳だ。それだけが能じゃないだろう、って。
 ナンバーワンじゃないところから、店を見たら、全然違うからって。
 その一言で、あたしは身軽になれた。「ナンバーワン」っていう狭い世界から抜け出して、却って気楽になれたから。
 そのことをオーナーに感謝して、今夜もばりばり働いてた訳よ、おねーさんは。
 だから、今度は以前ナンバーワンだったあたしとは違うあたしで、ナンバーワンをのーんびり狙おうかな、と思ってたりする。
 こんな鈍行だと、いつになるか判らないけどねー。
「見てろ、サユリー」
 ぴん、とサユリのグラフを指で弾いて――、
「うっそ、爪割れたッ!」

 ディアに寄り道しない分、いつもより時間が早いから歩いて帰ることにした。
 酔い覚ましにもなるし、気分転換にもなるし、運動にもなるし、いいこと尽くめじゃない?
 店からそんな遠くに住んでる訳でもないしさ。三十分も歩かないわよ。
「あ、月出てる」
 それだけで幸せになれるなんて、あたしも簡単よねー。
 自分で自分がおかしくて、くすくす笑いながらかつかつ歩く。
 きっと傍から見てたらオカシイオンナに見えるんだろうけど、そんなの気にしない。
 帰りにコンビニ寄って、帰って洗濯して、明日は早く起きてネイルサロン行かなくちゃ。
 ぼんやりと夜空を眺めながら漠然と予定を立てていく。
 ――と。 家の駅前近くまで来て、バーの看板が、何故かやけに目に付いた。
「ムーンライト」
 ……ベタだとは思ったけれどね。だけど、月が綺麗だったんだもの。いいじゃない。
 地元の店なんて却って行かないものだし、ご近所探検、のつもりでちょっとだけ。
 一杯だけ呑んで帰ろうかと思って――そぅっと、あたしは重厚な造りのドアを押した。
 ぎぎちちぃっ。
 何だか、ものすごい音を立ててドアが開いた。ドアノブを手にしたまま、呆然とドアを見上げるあたしに、
「いらっしゃいませ」
 マスターと思しき声が掛けられ、あたしは我に返った。
 改めて見ると、狭い狭い店だった。カウンターは五席。テーブルが二つ三つ。
 古いボトルが至るところに並べられていて……流れているのは落ち着いたジャズ。渋いなぁ。
 同じ「落ち着いてる」店でもディアはまた違った雰囲気だから。
 客は……一人。
 カウンターの中のマスターはまだ若いようだけれど……眼鏡をかけて、中途半端に長い髪を後ろで一つにまとめてグラスを磨いていた。
「どうぞ、お好きな席へどうぞ」
「あ……はい」
 思わず店内観察をしてしまったあたしに、マスターが席を勧めてくれる。
 一番手前のカウンターに腰を下ろし、あたしはギムレットをオーダーした。
「お客さん、初めてですよね? 今仕事上がりですか?」
「うん、そう……。あんまり地元過ぎると行きにくいもんでしょう?」
 カクテルの用意をしながら、マスターはからからと笑う。
「確かに、そうですね。では今日は勇気を振り絞って地元デビューですか」
「そうね、祝ってくれる?」
「はい、全身全霊を込めて、作らせて頂きます」
 ……このマスター、面白いじゃない。
 とんとん、とカウンターの端でシェイカーを叩いて振り始める姿も、なかなか。黒いベストの腰もほっそりしてて……美人さん系?
 じぃっと見入っているうちに、目の前にグラスがそっと差し出される。
「そんなに見ないで下さいよ。照れるじゃないですか。――さて、この一杯でこの店に星いくつつくかが決まりますね」
 シンプルなカクテルであればあるほど、その店の――バーテンダーの腕が判るって言うものね。
「やだ、そんなつもりじゃないわよ……いただきます」
 一口呑んで……美味しかったのよ、これがまた。
「美味しい!」
「お褒めに与り光栄です」
 恭しく頭を下げるマスター。