霞み桜
運命の岐路(わかれみち)
その日、久々に一味に頭目からの招集がかかった。さして広くはない荒れ寺の堂内は十数人はいる仲?たちが一同に会せば、それだけではや身じろぎするのも難しくなる。
その場に満ちた静寂にはどこか高揚感さえ孕んでいる。期待に満ちた一同の眼を一人一人、しっかりと見つめ返しながら、小柄な男が朗々と響き渡る声で沈黙を破った。
「皆、久方ぶりだったな」
対して、皆は頷くばかりで、余計な声を発する者は一人としていない。
「前(さき)のお勤めから数えて丸々二年という月日が経った。そろそろ次の仕事に掛かる潮時ではなかろうかと思い、今日は皆にこうして集まって貰ったというわけだ」
男は年の頃は五十ほど、見るからに痩せて身の丈も低く、身体つきだけすれば、けして威圧感などない。だが、その鋭い光を放つ双眸や隙のない身のこなし、聞く者に有無を言わさぬような低い声、すべてが支配者だけが持つ雰囲気を兼ね備えている。
「お頭」
「お頭」
一味の中から感に堪えたような声が洩れた。
「あっしはこの二年という日々がもどかしくてなりませんでしたぜ。たかだか奉行所の詮議が厳しくなったからといって、泣く子も黙る?般若の喜助?一味が借りてきた猫のようになりを潜めちまったんじゃア、お頭の名が廃るっていうもんだ」
声を発したのは、最前列にいた初老の男だった。?お頭?と呼ばれた小柄な男とほぼ同年配に見える。その男に?お頭?が鋭い一瞥をくれた。
「そういうわけにはゆかねえ」
視線だけで射殺せそうな眼を向けられ、男が息を呑んだ。?お頭?はその男からさっと眼を背け、また一同を見渡す。
「俺は手下の者二十一人の生命を預かってる身だ。狩られると判りきっている危ねえ勝負にうかうかと出られるはずがねえ」
もっともなひと言に、男も押し黙り軽く頭を下げた。
「申し訳ねえ。どうも久々のお勤めだと聞いて、気が逸って口が滑っちまったようで」
?お頭?がフッと笑み、その細い眼を和ませた。
「いや、徳市の言葉は一味の大方の者が考えてきたことには違えねえ。だからこそ、俺もここいらで奉行所に?般若?の一味はいまだに健在だってことを示してやりたいと思ったのよ」
「やりやしょう、お頭」
後方から比較的若い声が上がり、それに呼応するかのように?お頭?が頷く。先ほどの徳市が腕組みをして問いかけた。
「で、お頭。二年ぶりにお頭が眼を付けた先はどこですかい?」
?お頭?がすぐ脇に控える若い男に目顔で合図した。
?般若の喜助?一味はかれこれもう二十年余り前から江戸ばかりか、その周辺から果ては上方まで名を知られた大盗賊の一味である。押し込みに入れば女は犯し放題、一家は主人から果ては奉公人まで皆殺しという悪質非道な盗っ人一味が多い中、喜助一味はまだマシな方だといえた。
盗みに入るときは頭領の喜助は人相を知られないように般若面を被っているため、いつしか、この名で呼ばれるようになった。
一応、一味の掟としては?殺さず犯さず?を建前にしてはいるものの、実際に盗みに入れば綺麗事だけでは済まない場合も少なくはなかった。押し込みに入った時点ですべての者に目隠し猿轡をするが、顔を見られてしまった者はやむなく口封じのために殺すこともあった。
決起に逸った若い連中が眉目の良いお店(たな)のお嬢さまを数人がかりで手籠めにしたこともある。頭の喜助がその顛末を知ったのは事後、さんざん蹂躙された娘が舌をかみ切って果てた後のことだった。もちろん、数人の若い者たちはそれ相応の?仕置き?を受けることにはなったが―。
どれだけ気を付けていても、そういったことが数度に一度はある。盗賊稼業といえども、二十人もの大所帯を率いてゆくのはそれなりに気を遣うことだった。
この喜助一味にはさしもの江戸町奉行所も手を焼いてきた。何しろ厳重な包囲網を見事なまでの鮮やかさでかいくぐり、次々と押し込みを成功させてゆくのだ。しかも、江戸はむろん、府外にまで行動範囲は渡っている。
奉行所が躍起になればなるほど、喜助一味は嘲笑うかのような巧みさで出現し、眼を付けたお店(たな)からビタ銭一文残さず盗み出して、まんまと逃げた。その神出鬼没ぶりのために、罠を仕掛けることもできず、ただ喜助一味が次々と鮮やかな手並みで盗みを働いてゆくのをおめおめと見ているしかない。
喜助が標的に選んだのはすべて江戸でも名の知れた錚々たる大店ばかりだった。
ところが、数年前から、さしもの喜助一味にも強敵が現れた。北町奉行として新たに赴任した北山源五泰典という男がなかなかの傑物だったのである。北町奉行を数年務める前は勘定奉行も歴任したという源五はこの時、三十代の壮年で、英邁の聞こえの高い人物だった。しかも知略に富むばかりか、剛胆なもののふとしても有名な男だ。
源五は南町と結託して用意周到な包囲網を江戸の随所にしいた。喜助一味同様、名を馳せた盗っ人一味が次々と源五にお縄にされ、獄門に送られた。その有様を重く見た喜助は二年前、今日のように手下一同を集め、
―しばらくお勤めは休む。各々、繋ぎがあるまでは身を潜めて暮らせ。
と命を下したのだ。
その時、ここにいた仲?は総勢二十六人。二年の間に病を得て亡くなった者、これまでの盗っ人稼業から足を洗い堅気に戻った者もいる。怖じ気づいたのか連絡も寄越さず蓄電した者もいた。
地方で暮らしているため江戸に出てくるのに時間がかかり、今日、間に合わない者は数に含めて占めて二十一人が二年ぶりに集まった。
喜助は一味を抜けたいと願い出た者にはそれなりの温情を示してやった。引き止めることもなければ、口封じのために殺すこともない。幾ばくかの餞別と共に
―達者で暮らすんだぞ。もう二度と、盗っ人なんかになるんじゃない。
そのひと言で足抜けを許してやった。
今回、喜助が二年ぶりに招集をかけたのは、北山源五が病に伏したという報を得たからだ。病に取り憑かれた源五は早々に老中まで辞職願いを出しているというが、源五の奉行としての器を惜しんだ老中がいまだに辞職届を受け容れず、保留にしているそうだ。
確かに、源五は数々の名の知れた大盗っ人をお縄にしてきた。あれだけの男は敵ながらあっぱれ、なかなか出るものではない。老中が源五を慰留しているのも判らぬ話ではない。
が、所詮は盗賊と町奉行、敵同士だ。憎き源五が病とやらの中にと、喜助は二年ぶりについに沈黙を破り各地に散らばった手下どもに招集をかけたのであった。
「久々のお勤めだと思やア、血が沸き立ちまさぁ。お頭、それで、お頭が見込んだお店はどこですかい?」
徳市が少し焦れた口調で再度訊ねるのに、喜助から目顔で促された若い男が静かに応えた。
「押し込み先は中町の呉服太物問屋美濃屋」
徳市がホウと溜息をついた。
「美濃屋か、そいつたはまた大物だな」
美濃屋といえば、かつては江戸城大奥出入りの御用商人を務めたこともある老舗にして大店である。その暮らしは下手な田舎大名などよりよほど豪勢だと専らの評判になるほどであった。
若い男の後を引き取るように、喜助が続けた。
「今回は結衣(ゆい)を引き込みとして美濃屋に入れる」
その日、久々に一味に頭目からの招集がかかった。さして広くはない荒れ寺の堂内は十数人はいる仲?たちが一同に会せば、それだけではや身じろぎするのも難しくなる。
その場に満ちた静寂にはどこか高揚感さえ孕んでいる。期待に満ちた一同の眼を一人一人、しっかりと見つめ返しながら、小柄な男が朗々と響き渡る声で沈黙を破った。
「皆、久方ぶりだったな」
対して、皆は頷くばかりで、余計な声を発する者は一人としていない。
「前(さき)のお勤めから数えて丸々二年という月日が経った。そろそろ次の仕事に掛かる潮時ではなかろうかと思い、今日は皆にこうして集まって貰ったというわけだ」
男は年の頃は五十ほど、見るからに痩せて身の丈も低く、身体つきだけすれば、けして威圧感などない。だが、その鋭い光を放つ双眸や隙のない身のこなし、聞く者に有無を言わさぬような低い声、すべてが支配者だけが持つ雰囲気を兼ね備えている。
「お頭」
「お頭」
一味の中から感に堪えたような声が洩れた。
「あっしはこの二年という日々がもどかしくてなりませんでしたぜ。たかだか奉行所の詮議が厳しくなったからといって、泣く子も黙る?般若の喜助?一味が借りてきた猫のようになりを潜めちまったんじゃア、お頭の名が廃るっていうもんだ」
声を発したのは、最前列にいた初老の男だった。?お頭?と呼ばれた小柄な男とほぼ同年配に見える。その男に?お頭?が鋭い一瞥をくれた。
「そういうわけにはゆかねえ」
視線だけで射殺せそうな眼を向けられ、男が息を呑んだ。?お頭?はその男からさっと眼を背け、また一同を見渡す。
「俺は手下の者二十一人の生命を預かってる身だ。狩られると判りきっている危ねえ勝負にうかうかと出られるはずがねえ」
もっともなひと言に、男も押し黙り軽く頭を下げた。
「申し訳ねえ。どうも久々のお勤めだと聞いて、気が逸って口が滑っちまったようで」
?お頭?がフッと笑み、その細い眼を和ませた。
「いや、徳市の言葉は一味の大方の者が考えてきたことには違えねえ。だからこそ、俺もここいらで奉行所に?般若?の一味はいまだに健在だってことを示してやりたいと思ったのよ」
「やりやしょう、お頭」
後方から比較的若い声が上がり、それに呼応するかのように?お頭?が頷く。先ほどの徳市が腕組みをして問いかけた。
「で、お頭。二年ぶりにお頭が眼を付けた先はどこですかい?」
?お頭?がすぐ脇に控える若い男に目顔で合図した。
?般若の喜助?一味はかれこれもう二十年余り前から江戸ばかりか、その周辺から果ては上方まで名を知られた大盗賊の一味である。押し込みに入れば女は犯し放題、一家は主人から果ては奉公人まで皆殺しという悪質非道な盗っ人一味が多い中、喜助一味はまだマシな方だといえた。
盗みに入るときは頭領の喜助は人相を知られないように般若面を被っているため、いつしか、この名で呼ばれるようになった。
一応、一味の掟としては?殺さず犯さず?を建前にしてはいるものの、実際に盗みに入れば綺麗事だけでは済まない場合も少なくはなかった。押し込みに入った時点ですべての者に目隠し猿轡をするが、顔を見られてしまった者はやむなく口封じのために殺すこともあった。
決起に逸った若い連中が眉目の良いお店(たな)のお嬢さまを数人がかりで手籠めにしたこともある。頭の喜助がその顛末を知ったのは事後、さんざん蹂躙された娘が舌をかみ切って果てた後のことだった。もちろん、数人の若い者たちはそれ相応の?仕置き?を受けることにはなったが―。
どれだけ気を付けていても、そういったことが数度に一度はある。盗賊稼業といえども、二十人もの大所帯を率いてゆくのはそれなりに気を遣うことだった。
この喜助一味にはさしもの江戸町奉行所も手を焼いてきた。何しろ厳重な包囲網を見事なまでの鮮やかさでかいくぐり、次々と押し込みを成功させてゆくのだ。しかも、江戸はむろん、府外にまで行動範囲は渡っている。
奉行所が躍起になればなるほど、喜助一味は嘲笑うかのような巧みさで出現し、眼を付けたお店(たな)からビタ銭一文残さず盗み出して、まんまと逃げた。その神出鬼没ぶりのために、罠を仕掛けることもできず、ただ喜助一味が次々と鮮やかな手並みで盗みを働いてゆくのをおめおめと見ているしかない。
喜助が標的に選んだのはすべて江戸でも名の知れた錚々たる大店ばかりだった。
ところが、数年前から、さしもの喜助一味にも強敵が現れた。北町奉行として新たに赴任した北山源五泰典という男がなかなかの傑物だったのである。北町奉行を数年務める前は勘定奉行も歴任したという源五はこの時、三十代の壮年で、英邁の聞こえの高い人物だった。しかも知略に富むばかりか、剛胆なもののふとしても有名な男だ。
源五は南町と結託して用意周到な包囲網を江戸の随所にしいた。喜助一味同様、名を馳せた盗っ人一味が次々と源五にお縄にされ、獄門に送られた。その有様を重く見た喜助は二年前、今日のように手下一同を集め、
―しばらくお勤めは休む。各々、繋ぎがあるまでは身を潜めて暮らせ。
と命を下したのだ。
その時、ここにいた仲?は総勢二十六人。二年の間に病を得て亡くなった者、これまでの盗っ人稼業から足を洗い堅気に戻った者もいる。怖じ気づいたのか連絡も寄越さず蓄電した者もいた。
地方で暮らしているため江戸に出てくるのに時間がかかり、今日、間に合わない者は数に含めて占めて二十一人が二年ぶりに集まった。
喜助は一味を抜けたいと願い出た者にはそれなりの温情を示してやった。引き止めることもなければ、口封じのために殺すこともない。幾ばくかの餞別と共に
―達者で暮らすんだぞ。もう二度と、盗っ人なんかになるんじゃない。
そのひと言で足抜けを許してやった。
今回、喜助が二年ぶりに招集をかけたのは、北山源五が病に伏したという報を得たからだ。病に取り憑かれた源五は早々に老中まで辞職願いを出しているというが、源五の奉行としての器を惜しんだ老中がいまだに辞職届を受け容れず、保留にしているそうだ。
確かに、源五は数々の名の知れた大盗っ人をお縄にしてきた。あれだけの男は敵ながらあっぱれ、なかなか出るものではない。老中が源五を慰留しているのも判らぬ話ではない。
が、所詮は盗賊と町奉行、敵同士だ。憎き源五が病とやらの中にと、喜助は二年ぶりについに沈黙を破り各地に散らばった手下どもに招集をかけたのであった。
「久々のお勤めだと思やア、血が沸き立ちまさぁ。お頭、それで、お頭が見込んだお店はどこですかい?」
徳市が少し焦れた口調で再度訊ねるのに、喜助から目顔で促された若い男が静かに応えた。
「押し込み先は中町の呉服太物問屋美濃屋」
徳市がホウと溜息をついた。
「美濃屋か、そいつたはまた大物だな」
美濃屋といえば、かつては江戸城大奥出入りの御用商人を務めたこともある老舗にして大店である。その暮らしは下手な田舎大名などよりよほど豪勢だと専らの評判になるほどであった。
若い男の後を引き取るように、喜助が続けた。
「今回は結衣(ゆい)を引き込みとして美濃屋に入れる」