さびしがりやのルーン
さびしがりやのルーン
ルーンは宇宙人だ。
ルーンはある日、我が家の庭に不時着してきた。真っ白な紙をぎゅっと握り潰したような凸凹な宇宙船から出てきた、クラゲみたいな姿をした宇宙人は第一声に、
「この家は俺様がせんきょするグワッハッハッハッハッ!」
と、悪役っぽく叫んだ。だけど、その一秒後、お隣のポチに吠えられてギャアと叫んで、三メートルぐらい飛び上がった。それから、我が家のミケにニャーと鳴かれて、フギャアアアアと泣き出した。僕ら家族は、その様子をぽかーんと眺めていたけれども、泣きじゃくる自称宇宙人があまりにも可哀想だったので、家に招き入れて母さん特製のハーブティーをごちそうすることにした。
ルーンは、クラゲの手足ではティーカップがぬるぬると滑って持ち難いのが解ると、身体を人間のものに変化させた。でも、最初はコピーを間違えたのか、腕が三本生えていた。その後も、顔面いっぱいに目玉を作ってしまったり、頭だけ犬にしてしまったりと、妙な変化を繰り返したけども、最終的には髪の毛が鮮やかなエメラルドグリーンなのを除いては至って普通の人間の姿になった。クラゲの時にはなかった髪というものに戸惑うのか、ルーンは、しきりに髪の毛を掻き回してはぐしゃぐしゃにした。そうして、ハーブティーを口に含んで一言。
「まずい。もっとすっぱいのじゃないとのめん」
威風堂々とした声音だったけれども、とどのつまり我侭だった。あらあらまあまあ、と母さんは言って、それから台所からお酢を持って来た。まったく薄めてない純正100%のお酢だ。それをグラスにとくとくと注ぐと、何の躊躇いもなくルーンに差し出した。今になって思うと、母さんは自分の特製ハーブティーをまずいと言われて、ちょっと腹が立っていたんだと思う。
ルーンは犬のようにクンクンとお酢の匂いを嗅いでから、ぐいと一息に飲んだ。そうして、次に見た時には、とろけていた。人間に変化させた身体がソファの上ででろりと溶けて、まるでアメーバーのようになっていた。肌色と緑色をしたアメーバーがぐにゃぐにゃと蠢きながら、淡いピンク色に染まっていた。
「うみゃー、うみゃーな、こりゃー」
完全なる酔っぱらいだった。「大丈夫?」と問い掛ける僕の声に、ルーンはうみゃーとしか返さず、でろでろなアメーバのまま眠りについてしまった。その後、ルーンがどういう思考回路でそういう考えに行き着いたのかは解らないけど、これからは僕の家で暮らすと宣言した。
「俺様が住んでやることをありがたく思え!」
僕ら家族は皆一様に顔を見合わせて、まぁいいか、と無言で頷き合った。変な宇宙人だけれども、きっと地球侵略が出来るほど頭は良くないだろう、という失礼な考えがあったからかもしれない。それに、僕らはきっとこの間抜けな宇宙人が気に入り始めてた。ただ母さんだけは困ったように、
「ダメよ、ルーンちゃんのベッドがないもの」
と言った。その言葉の結果、試行錯誤を重ねて、ルーンは犬の姿になることにした。犬の姿なら小さいし、ソファでも寝れるだろうという考えからだ。ルーンは最後までぶつぶつと文句を垂れていたけれども、居候、という立場の弱さに結局負けた。
犬になったルーンは、少し緑がかった毛並みをしていて、とても可愛い。頭を撫でると、興味なさそうにフンと顔を逸らすのに、尻尾だけはパタパタと跳ねている。時々、父さんと晩酌と称しては、ビールとお酢で「ルネッサーンス!」とか言いながら乾杯したりしている。ぐにゃぐにゃアメーバーになったルーンは、父さんの身体にべたりと貼り付いたまま、妙に調子っぱずれな歌を歌う。故郷のものだというその歌は、何回聞いてもジャイアンリサイタルとしか思えなかった。
それから、人間の姿に変身しては、お酢強奪事件を起こして母さんから雷を落とされたりもした。拗ねて押し入れの中に隠れたルーンを連れ出すのは僕の仕事だ。すんすんと鼻水を垂らして泣くルーンを、一緒のベッドに入れて、ぎゅっと抱き締めて寝る。そうすると、次の日には、また元気になって、昨日の復讐とばかりに母さんのハーブ畑を荒らしたりする。犬の足跡から犯人は即座にバレて、再び母さんの鉄槌が下される。
時々、ルーンはグレたようにリビングのテーブルで煙草を吸う。そんなときは話しかけても駄目だ。ギロリと不機嫌そうな顔でにらまれるだけだ。その後、ルーンは真夜中に一人ソファに座って泣く。両手で顔を覆って、さめざめと泣く。どうして泣いているのかなんて聞けなかった。孤独な涙だった。それを癒すのはいつだって母さんの役目だった。ソファでルーンが泣き始めた一時間後、母さんは黙ってルーンを抱き締める。ルーンは母さんの胸に顔を埋めて、犬の姿になって、くーんくーんと鳴き声をあげる。
作品名:さびしがりやのルーン 作家名:耳子