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師匠と弟子と 8

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 四月になり梨奈ちゃんも大学に通い出した。俺は神田にある二つ目専用の小屋「連雀亭」にここの所出演している。十一時半から始まる「ワンコイン寄席」だ。あまり収入にはならないが、お客の前で一席出来るのは得難いものだ。
 その日、出番が終わり「ワンコイン寄席」が終わって外に出た時だった。LINEの着信音が鳴った。相手は梨奈ちゃんだった。俺と梨奈ちゃんはLINEを交換してこの所これで連絡をしている。
『今日逢えるかな?』
 それに可愛いスタンプが添えられていた。
『仕事終わったから大丈夫だよ』
 そう返すと待ち合わせ場所と時間が送られて来た。それにオーケーの返事を返す。時間は午後の二時少し前。家に帰るには少々早すぎた。
 彼女は神田駿河台にある大学に通っている。俺の今居る神田とは目と鼻の先だ。
 神田から川沿いの道をお茶の水の高台に向かって登って行く。神田の駅あたりは昔は神田竪大工町と呼ばれていて大工さんが大勢住んでいたそうだ。落語の熊さんや八っあんも住んでいたと思う。そんな所で一席やれるのは妙な嬉しさがある。俺が「連雀亭」に出ている日で、梨奈ちゃんが大学の帰りに待ち合わせる時の場所は、昌平橋の橋の真ん中と決めてある。それも神田側だ。彼女の方が少し歩くが、そんな事は気にしていない様だ。
 少し待っていると、橋の手前から梨奈ちゃんが歩いて来るのが見えた。モスグリーンの春物のカーデガンに薄いピンクのブラウス。紺のミニスカートから伸びた長い脚が眩しかった。
「今日は出来はどうだった」
 梨奈ちゃんは、俺と逢う時の第一声は、いつも俺の高座の出来を尋ねるのが、日常となっている。
「ちゃんと出来たよ」
「何をやったの」
「長屋の花見」
「サゲまで?」
「うん」
「今度クラスの友達とこっそり見に行ちゃおうかな」
 いたずらな表情でそんな事を言う。冗談なのだが本当に来たら楽屋は大騒ぎになるだろう。梨奈ちゃんにはそれだけのインパクトがある。
「聞いた? 昨日の理事会で蔵之介師匠の所の明日香さんが来年五人抜きで真打になることが決まったんだって」
 明日香姉さんなら当然だと思った。もっと早くても良いぐらいだ。
「そう。それは目出度いね。近いとは思っていたけどね」
 噺家協会では毎月理事会を開いていて、春と秋の真打昇進の事等も話し合われる。ウチの師匠は筆頭理事で、会長、副会長に次ぐ位置にある。
「でも、おとうさんが言うには、これから大変だな。って言うのよ。何でだと思う?」
 梨奈ちゃんは知らないから疑問に思うのだろうが、事情を少しでも知っていれば、師匠の言葉に納得してしまうだろう。
「誰にも言わないと約束して!」
 俺の口調がいつもより強い口調だったので梨奈ちゃんは、ちょっと驚いたが直ぐに事情を呑み込んだ。
「それで大体判ったけど。ちゃんと聞きたいな」
「お昼は?」
「食べたわ」
「じゃ何処かでお茶しよう。そこでちゃんと話すよ。立ち話じゃ、不味いしね」
「そうか、そうね」
 結局、昌平橋を渡って、秋葉の方に向かった。だらだらとした坂を下りる途中に洒落た喫茶店があるのだ。このあたりで逢う時に何時か来ようと思っていた店だった。
「ここにこんな店があったんだ。知らなかったなぁ。今度友達とも来よう」
 梨奈ちゃんはチーズケーキと紅茶のセット。俺はブレンドにした。
「ねえ、さっきの事情教えて」
 紅茶にレモンを浮かべると梨奈ちゃんは本来の話を尋ねて来た。
「うん。大体想像つくとは思うけど、明日香姉さんには一緒に住んでいる人が居るんだ」
「ああ、そうなんだ。その人が問題なのね」
「そう。世間的には非合法な活動をしている組織の一員と見られているかな」
「本当は違うの?」
「正式にはその組織が出資している興行の会社の社員なんだけど。世間はそうは思っていなくて、その組織そのものだと思われているのさ」
「でも、そんなの問題になるの? 今だって奥さんがその筋の生まれと言う師匠だって居るじゃない」
「でも、それとは又違うから。興行関係と言う事は俺たちの世界と結びついていると言う事だから、判ったら問題になると思うんだ」
 少し口が乾いたのでコーヒーを飲む。梨奈ちゃんはチーズケーキを美味しそうに食べると
「売れなかったら問題にならないと思うけど、明日香さん、きっと売れると思う」
 確かにそうだろう。それは俺でも想像がつく。売れればマスコミが嗅ぎ回るだろう。そんな時にその世界と結びついていると判ったら協会にも影響が及んで来るだろう。
「お父さんが言うには、昔は芸人と言うだけで大抵の事は許されたけど、今は違うからな。と言っていたわ」
「そうだね。そもそも昔は地方の興行なんかは、その筋に頼まないと出来なかった程だからね」
「今度、明日香さんの噺聴いてみよう」
 梨奈ちゃんとは余りつき合いが無いが俺は実はその彼氏の日村陣と言う人と一度会った事がある。その筋の人と言うより芸能に詳しいビジネスマンと言う感じだった。ただ違うのはその物腰や迫力が普通のビジネスマンとは余りにも違った事だった。あれなら明日香姉さんが惚れても無理はないと思った。それだけの魅力のある人だった。
「誰かが悪役にならないと駄目かもね」
 梨奈ちゃんに言った訳では無かった。自然と口からそんな言葉が出てしまった。
「鮎ちゃんがそんな役目にならなくても良いでしょう」
「ああ、独り言だよ」
「なら安心した。鮎ちゃんは危ない事には首を突っ込まないで欲しいな」
「大丈夫だよ。きっと後援会の人が上手くやるだろう」
 この時、俺はこの事態が俺にまで及んで来るとは思ってもいなかった。

 ここの所、梨奈ちゃんは俺の事を「鮎ちゃん」と呼ぶ。これは俺の送った鞄に梨奈ちゃんが名前を付けたのが始まりで、それが「鮎ちゃん」だった。
 最初は鞄を「鮎ちゃん」。俺の事は前の通り「鮎太郎」と呼んでいたのだが、それが混在してしまって今に至る。今は両方とも「鮎ちゃん」だ。別に交際してるのだから何と呼ばれようが構わないのだが、何となく、くすぐったい。
 花見に行った時の事だった。仕事の終わりだったので夜桜としゃれ込んだ。公園のベンチに座って言葉を交わしていると花冷えと言うのかかなり寒くなって来た。
「寒い」
 梨奈ちゃんが呟いたので俺は思い切って彼女をそっと抱きしめた。柔らかくこのまま俺の体に溶け込んでしまうのではと思うような柔らかい感触だった。
 梨奈ちゃんも俺の胸に顔を埋めて両手を背中に回している。そして、そっと顔を上げた。俺の目と目が合った。そっと唇を近づける。柔らかい感触を感じる。梨奈ちゃんは目を瞑って俺にされるがままになっている。舌と舌が触れた時だった。目の前を数人の酔っ払いが大声を上げながら通り過ぎたのだった。このまま続行しようとしたが梨奈ちゃんが我に返り目を開いてしまったのだ。俺も顔を上げてしまった。それ以来チャンスが訪れないのだが……。
「ねえ、今度家に連れて行ってくれないかな」
「え、」
「だって、ちゃんとしたいし、鮎ちゃんはウチの事情をすっかり判っているけど、私は鮎ちゃんの家族の事をなにも知らないんだもの」
作品名:師匠と弟子と 8 作家名:まんぼう