あの日、俺はヒーローを想うヒロインに恋をした。
海
「波多野先輩、海に行きましょう!」小糠がそんなことを言い出したため、俺は目を見開く。
(もしやこれは、デートってやつか!?)
内心でガッツポーズすると、小糠は満面の笑顔で言う。
「みーくんと三人で!」
俺は盛大に肩を落とす。
(ああ、どうせそうだと思ったよ……でもそこは二人にしてほしかった……)
ずーん……と落ち込む俺に、小糠は不思議そうな顔をする。
「波多野先輩?」
「……あ、いや。そうだな、三人で海に行こう、三人ならきっと楽しいさ」
楽しい訳ねぇだろ!
俺の心の叫びは、小糠に届くことはなく。
「はい!私、その日が楽しみです!」
無邪気に笑う小糠に、俺ははあ、と心の中で溜め息をついた。
「うーーみーー!!」
海を見るなり河原はそう叫んで飛び込んでいった。
餓鬼だな。そう思いながら河原の様子を眺めていると、ふふ、と小糠が笑う。
「みーくん、楽しそう」
俺は横目で小糠を見る。
水着姿の小糠も可愛らしく、オヤジのように鼻を伸ばしていると、小糠は不思議そうな顔をした。
「波多野先輩?」
「……あ、いや。小糠は泳がないのか?」
小糠は眉を下げる。
「私、泳ぐのは苦手なんです。だからここで見ているだけでいいかなって」
「そうか」
せっかく海に来たのに残念だな。
「俺、泳いでくるよ」
「あ、はい、いってらっしゃい」
海に向かって歩き、海の中に体を入れると、ばしゃん!と勢いよく水が飛んでくる。
「波多野先輩、ずぶ濡れっすね!」
「河原……よくも!」
河原に水を飛ばすと、河原も水を飛ばしてきた。
ムキになって河原と水の掛け合いをし続ける。やがて疲れから座り込むと、河原は声を上げて笑った。
「波多野先輩って面白いっすね」
……そうか?
首を傾げると、河原は不敵な表情を浮かべる。
「どっちが長く泳げるか勝負しないっすか?」
「……ああ。お前には負けねぇ」
俺は立ち上がり、泳ぎ始める。
河原も俺の隣で泳ぎ始めた。
ひたすら腕と足を動かす。
俺は、運動神経は人並みだ。だが、河原には――こいつにだけは負けたくねぇ!
「うおおおおおお!!!」
泳いで、泳いで、泳いで。
体力が限界に近付き、しかしひたすら泳ぎ続けて――
「はあ、はあ……」
立ち止まり息を吐き出し、顔を上げると、少し離れた場所にいる河原の姿が視界に映った。
「俺の勝ちっすね」
河原は嬉しそうに、得意気に笑う。
「あーあ、負けちまったな」
悔しさから俺は眉を寄せる。
「でも、ちょっとの差だったっすよ。またやったらその時は分からないっす」
「……次こそはお前に勝つ!!」
強く宣言すると、河原はニッと笑う。
「望むところっす。でも、次も俺は負けないっすよ」
俺は河原に笑い返す。
河原に負けたのは悔しいが、全力を出してライバルと戦えたことが清々しくもあった。
「小糠の所に戻るか」
「そうっすね」
海から出て、小糠がいる場所を眺めた俺は、目を見張る。
小糠の傍には三人の見知らぬ男達がいた。男達は小糠に何かを話していて、小糠は困ったような表情をしている。
「こぬ――」
「実名子!!!」
河原が勢いよく小糠の元に駆け寄り、彼女の肩を抱く。
小糠を守るように男達を睨み付ける河原の姿を呆然と見ていると、男達は興味を失ったような表情を浮かべて去っていった。
河原が小糠の肩から手を離す。
小糠は頬を赤らめていて、恥ずかしそうに河原を見ていて。
「…………」
俺は二人がいる場所とは別の方向に歩き出す。
(やっぱりあいつは、小糠のヒーローなんだな)
小糠を守った河原は、正直かっこよかった。
素直に負けたと思った。
(……悔しいな)
泳ぎで河原に負けたことも、小糠を守れなかったことも、悔しくて仕方ない。
目的もなく歩き続けると、海の家に辿り着いた。
俺は海の家の中に入り、かき氷を三つ注文する。
出されたかき氷を一気に口に運ぶ。所謂やけ食いというやつだ。
しかし三つのかき氷を食べ終えた時、痛みが俺の腹を襲った。
「あんちゃん、大丈夫か?」
痛みに呻く俺を見かねた海の親父が声を掛けてくる。
「大丈夫です……いや、大丈夫じゃない、な……」
海の親父は心配げに俺を見て、俺の腕を掴んで俺を二階に連れていった。
「暫くここで休んでな」
俺は力なく頷き、畳の上に横になる。
(何やってるんだろうな、俺……)
ライバルに負けてやけ食いして腹を下すなんてかっこわるすぎる。
(……何だか疲れたな)
目を閉じると、睡魔が俺を襲った。俺はそれに抗わずに、意識を手放した。
次に目を覚ました時、俺の視界には小糠の顔があって、俺は目を丸くする。
「こ、ここ小糠!どうしてお前がここに!?」
小糠はにこりと笑う。
「波多野先輩を探していたら、この家のおじさんが二階で休んでいるって教えてくれたので、目が覚めるまで待っていました」
……ということは、小糠に俺の寝顔を見られたのか?
(うわ、なんか恥ずかしい)
頬が熱くなって小糠から視線を逸らす。
「お腹は大丈夫ですか?」
「……あ、ああ、今は痛みはない」
「良かったです」
小糠は今ホッとしたように笑っているのだろう。その顔を見たいが、彼女の顔を見ることが出来ない。
「……河原は?」
「みーくんはまた泳ぎに行きました」
小糠を守るように彼女の肩を抱く河原の姿が浮かび、俺は目を伏せる。
「……河原はかっこいいよな。それに比べて俺なんて……」
弱音を溢すと、小糠は少し沈黙して言う。
「波多野先輩もかっこいいですよ!」
「いや、かっこよくないよ」
「いやいや、かっこいいですよ!!」
「いやいやいや、かっこよくない!!」
「いやいやいやいや、かっこいいですよ!!!!」
大声で言う小糠に呆気に取られ、ぷ、と俺は吹き出す。
「わ、笑わないで下さい!私は真剣にそう思っているんですから!!」
「ははは、悪い悪い」
俺は小糠の頭に手を伸ばして、ぽんと撫でる。
「ありがとな」
小糠は俺を見つめ――小糠の頬がカー、と赤く染まる。
「……い、いえいえいえ!どういたしましてです!」
照れている様子の小糠に、俺は口端を上げる。
「小糠は可愛いな」
「かわっ……!?」
小糠の顔が真っ赤になる。耳まで赤い。
小糠の反応に、小糠への想いが溢れ出す。
「小糠……いや、みなこ。俺は――」
俺は、お前のことが――――
「あんちゃん、大丈夫かい!?」
不意に野太い声がしてはっとしてそちらを見ると、海の家の親父が俺達を見ていた。
「……ん?もしかして俺、邪魔しちまったか?」
気まずげな顔をする親父に、俺はそうだよ!!と心の中で親父を呪う。
(……また告白しそこねたな)
はあ、と溜め息をつくと、鈍感な後輩は不思議そうな顔をする。
(まあ、またチャンスはあるだろう)
そう思うことにして、俺は内心で苦笑するのだった。
作品名:あの日、俺はヒーローを想うヒロインに恋をした。 作家名:如月