あの日、俺はヒーローを想うヒロインに恋をした。
出会い
あの日、何故両親と喧嘩をしたのかは覚えていないが、両親とぶつかった俺は家から飛び出して、宛もなく走り出した。その日は雨が降っていて、容赦のない雨粒が俺の髪や肩を濡らした。
走って、走って。見知らぬ場所に辿り着いた俺は、一先ず雨宿りが出来る所を探して、一軒の家に近付き、その家の屋根の下に移動した。
ザーザーザーザー。
辺りは雨の音しか聞こえず、天気のせいか薄暗かった。
雨の音を聞きながら、俺はまるでこの世界には俺一人しかいないのではないか、という感覚に陥った。
見知らぬ場所に一人でいて、心細かったのだろう。不安と寂しさ。そんな負の感情が沸き上がって、俺は両手を握りしめて俯いた。
「――どうしたの?」
不意に聞き覚えがない声が聞こえて、はっとして顔を上げると、一人の女の子の姿が視界に映った。
その女の子は初めて見る顔で、心配そうに俺を見ていた。女の子の手には傘が握られている。
「……あ、あー……。ちょっと、雨宿りしてただけだ」
そう答えると、女の子は大きな目でじっと俺を見つめる。女の子の視線に何だか落ち着かない心地になっていると、女の子はにこりと笑った。
「あなた、傘がなくてこまっているんでしょう?わたしがあなたをあなたの家までつれてってあげる!」
え、と言う前に女の子は俺の左手を掴んで俺を傘の中に入れる。
女の子に触れられて、女の子と接近して、ドキリと心臓が音を立てた。
「あなたの家はどこ?」
女の子に問い掛けられて、俺は躊躇いつつもある方角を指差す。
「あっちなんだ!いくよ!」
女の子が俺の手を引きながら歩き出す。
女の子の勢いに圧されながら、俺も足を進めた。
「みーくん以外の人と相合傘をするなんてはじめてだな」
女の子がうきうきといった様子で言ったので、俺は動揺しつつも問い掛ける。
「みーくんって誰だ?」
「みーくん?みーくんは私のおさななじみだよ!」
女の子は楽しそうに答える。
俺は何だか面白くなくて、女の子と繋いだ手に力を込める。
「幼馴染み、ねぇ。そいつとは仲が良いのか?」
「うん!みーくんとはすごくなかよしだよ!この前なんて、みーくんとけっこんのやくそくをしたの!」
「ぶふっ」
俺は思わず吹き出す。
女の子は微かに頬を赤くして、照れている様子だった。
モヤモヤしたものが俺の胸に沸き上がり、俺は眉を寄せる。
「みーくんとけっこんするのがわたしの夢なんだ~」
満面の笑顔で言う女の子に、モヤモヤは大きくなっていく。
(……こいつとは今日初めて会ったんだし、こいつが誰と結婚しようが俺には関係ないじゃないか)
しかし、何故俺は面白くないと感じているのだろう。
未知なる感情に内心で唸っていると、女の子は「そうだ!」と声を上げた。
「あなたの名前は?」
「波多野光義。お前は?」
「わたしは、こぬかみなこ!」
こぬかみなこ。女の子の名前を心の中で反芻すると、女の子は俺に笑いかけた。
「みつよしってすてきな名前だね!」
女の子の笑顔に忙しく心臓が音を立てるのを感じながら、俺は「……ありがとう」と小さく返す。
「……みなこも、いい名前だな」
「わ、ありがとう!うれしいな」
頬が熱くなるのを感じて女の子から視線を逸らすと、俺の家が視界に映り込んだ。
「……あ、着いたんだな」
「あれがみつよしくんの家?」
みつよしくんと呼ばれたことにドキリとしつつも頷くと、女の子は「良かった!」と明るく言った。
「……その……ありがとな」
女の子を見ないまま礼を言うと、女の子は「どういたしまして!」と返した。
「わたしたち、また会えるかな?」
「……さあな」
女の子は右手を上げる。
「じゃあね、みつよしくん!」
女の子を見ると、女の子は手を振りながら去っていった。
(……またな、みなこ)
心の中でそう言って、俺は女の子を見送った。
あの日出会った――あの日、俺を助けてくれた女の子とは、その後に会うことはなかった。
しかし、女の子との思い出とこぬかみなこという名前は、俺の中に消えずに残り続けた。
作品名:あの日、俺はヒーローを想うヒロインに恋をした。 作家名:如月