おにごっこ
幸人(さきと)は人と接することが苦手で、いつも一人で遊んでいた。遊ぶと言っても、細い枝で地面にひたすら円を描いていくという、暇つぶしにもならない行為を、ただ繰り返すだけのものである。
「なあ」
突然、背後から声がかかった。驚いて振り向くと、見知らぬ少年が二人、幸人を見下ろしていた。
「おにごっこしようぜ。お前が鬼だからな」
いままで誘われたことなどない幸人は、それが嬉しくて仕方なかった。嬉しくて嬉しくて、自分がむりやり鬼にされることも、けっして苦ではなかった。
その日から三人は、毎日のようにおにごっこをして遊んだ。鬼になるのは、毎日幸人だった。
幸人の足は遅く、前を走る二人にはけっして追いつけなかったけれど、こうして誰かと遊ぶことが、誰かと時間を共有しているということが、幸人にとってとてつもなく嬉しいことなのだった。
その日は、雨が降っていた。雨は小降りで、静かに静かに地面へと落ちていく。
「じゃあ幸人、行ってくるからね」
買い物に出掛けるため身支度を整えた幸人の母が、傘を持って玄関に立っていた。
「いい、幸人。雨の日は絶対にお外で遊んじゃだめだからね。山の神様がお怒りになって、二度と帰って来れなくなってしまうから」
「うん、わかってるよ」
それは雨が降るたびに、言い聞かされていたものだった。
「それじゃあね」
「いってらっしゃい」
母を見送って、その姿が見えなくなってから、幸人は部屋に戻った。
(つまらないな)
少し前なら一人でいることにも慣れたものだったが、一度誰かと共にある喜びを覚えてしまえば、やはり一人は退屈でしかたがない。
窓のふちに寄りかかり、ぽつりぽつりと落ちていくしずくをぼんやり眺めながら、幸人は暇をもてあましていた。
「幸人ー」
静かな家の外から突然自分を呼ぶ声がして、幸人は慌てて玄関へ向かった。それは紛れもなく、いつも一緒に遊んでいる彼の声だった。
幸人が姿を現すと、開口一番、彼はこう言った。
「なんで今日は公園にいないんだよ」
「あ、ごめん」
「もういいから、早くおにごっこしようぜ」
脇にいたもう一人の少年が、幸人の腕をつかもうとした。幸人は慌てて手を引っ込める。
「お母さんが、雨の日は外で遊んじゃだめだって」
雨は小降りであったが、それでも降っていることにかわりはない。家に一人でいることはとても退屈だったが、大好きな母の言いつけはできるだけ守りたかった。
しかし二人の少年は、そんなことでは引き下がらない。
「このくらいの雨で何言ってんだよ、弱虫」
「鬼がいないとおにごっこできないだろ」
一人の少年が歩み出て、幸人を指差し、言った。
「もうお前なんかと遊んでやらないからな」
少年はそのまま幸人に背を向け、もう一人に行こうぜ、と声をかけた。
幸人は焦った。このままでは、せっかくできた友達を失ってしまう。しかし彼らについていけば、母の言いつけを破ることになる。二つの間で揺れ動いている間にも、少年達の背中はどんどん小さくなっていた。
「待って」
幸人は咄嗟に声をあげていた。
「行く、おにごっこ、する」
幸人が家の扉をくぐった瞬間、どこか遠くで雷がなった気がした。
おにごっこを始めてからしばらくして、雨足が強くなったように感じた。しかし少年二人は、そんなことなど気にかける様子もなく、時々声をあげながら、元気に走っている。幸人は雨に濡れて冷たくなった体を震わせながら、前を走る二人の背を追いかけていた。
冷えた体を揺らしながら、熱いのか寒いのかもよくわからなくなってしまい、幸人はとうとう足を止めてしまった。
「おい、何止まってんだよ幸人」
足を止めた幸人に気づき、少年達も少し離れたところで立ち止まった。
「ごめん、ちょっと」
乱れてしまった息を整えようと、深呼吸をする。
「鬼なんだから早く追いかけて来いよな」
幸人に近いところで立ち止まった方の少年が、こちらに歩み寄ってくる。その時、頭上からものすごい音が降ってきた。あまりの音の大きさに雷でも鳴ったのかと、音のした方を見上げたところで、幸人は驚愕した。道の脇の急な斜面から、土砂や岩が目にもとまらぬ勢いで崩れ落ちてきたのだ。それはまっすぐ、幸人の目の前にいる少年に向かっていた。
気づいた時には、幸人は走り出していた。ほとんど無意識だった。
それまでいくら追いかけても、追いつくことのできなかった少年に、幸人の手が初めて触れた。
少年は、一瞬何が起きたのかわからなかった。誰かが自分の体を突き飛ばし、直後目に映ったのは、足元に積まれた土砂の塊だった。
「あ……ああ……」
土砂の隙間からのぞいていたのは、白くまだ小さい子どもの手だった。