師匠と弟子と 1
出だしは順調に進んだ。前フリを過ぎて噺の本編に入る。ここも順調に行く。以前はつっかえてしまった所も今回は上手く行った。中盤も過ぎて行く。そして最後に差し掛かる。ドタバタしないで落ち着いて行かなくてはならない。そう肝に命じて噺を進めて行く。師匠は目を瞑って黙って腕を組んで聴いていてくれている。良いのか悪いのか分からない。
「馬鹿だねえぇ、納める梨だよ……お粗末さまでございました」
そう言って手を着いて頭を下げる。師匠は何も言ってくれない。静寂な時が経って行く。それに俺が耐えられなくなりそうになった時、師匠の口が静かに開いた。
「うん。出来たな。これぐらい出来るなら大丈夫だろう。上がりだ!」
師匠の目は笑っていた。
「あ、ありがとうございます!」
それしか言葉に出来なかった。師匠はそれだけ言うと寄席に出る支度を始めた。小ふなが小さな声で
「兄さん。本当に良かったですよ」
そう言ったのが印象的だった。
師匠が出かけてしまうと梨奈ちゃんが出かける格好で降りて来た。
「出かけるのですか?」
「うん。彼氏とデート」
「え?」
「な訳無いじゃない。ウソよ。ウソ!」
よっぽど俺の顔が酷かったのか笑っている。
「お父さんが何であんたに厳しいか判る?」
黙って首を振る俺
「期待の裏返しだと想う。弟子を取らない方針だったのに、あんたを見て方針を変えたのよ」
そんな訳だったとは知らなかった。
「それに、今は彼氏なんかいないわよ。これから出来るかは判らないけどね。そうそう約束のものあげる」
梨奈ちゃんはそう言ったかと思うと俺に近づいて来て、俺の右の頬に軽くキスをした。あっけに取られる俺に
「どう、受け取ってね。返事は帰って来たら聞くから」
そう言い残して出かけてしまった。
俺はバクバクしている胸を押さえながら心に決めていた
『きっと将来は名人になってやる。そして梨奈ちゃんをもっと喜ばせるのだ』と……。