笑いの神
何度も礼をしている師匠の上に緞帳が静かに降りて行く。それを見送るとお客は一斉に帰り支度にとりかかる。俺も興奮の内に寄席の外に出た。表で先程の男が待っていた。
「如何でした。名人の高座は」
「凄かったです。余りにも凄くて、それ以上は何も言えません」
「そうですか」
「今の俺には出来ない領域です。でも俺も噺家の端くれです。決して一生を通じて出来ないとは言いたくありません。いつの日か、俺が噺家である限り、きっと遊楽師を乗り越えて見せます。そう決意出来ました」
俺の言葉を聴いた男はニッコリと笑い
「そうですか、それは良かった。安心しました。あなたに頑張って貰わないと後の世で困るんですよ。頑張って下さいね。名人の系譜は絶えさせてはなりませんよ」
男はそう言って俺の前から消えて行った。気が付くと寄席の前だった。後の世……いったいどのような意味だろうか?
「あれ師匠、まだ居らしたのですか? もう祐輔師のトリですよ」
表の様子を伺いに出て来た前座に声をかけられた。
「そうか、ならば祐輔なら聴いて行くかな」
「珍しいこともありますね」
そんな口を利いた前座の頭を軽く叩くと俺は楽屋に戻って行った。そうさ、まずは祐輔の噺を聴いて俺に何が足りないかを考えることからだと思った。焦らなくても良い。じっくりと考えて稽古して行けば良い。結果と評判は後から付いて来る。覚悟は出来ていた。
高座では、祐輔の出囃子が陽気に鳴っていた。
<了>