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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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深夜のチョコレート

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 駅に着いた私は電光掲示板を見上げた。最終電車まであと十分以上ある。暖房のついた休憩室に入って腰を下ろす。

 ふとトートバックに入った小箱が目に入った。先輩に渡すはずだった例のチョコレートだ。地味なその小箱を見ているうちに、腹の虫がなった。無性に甘いものを口にしたくなってリボンを解く。

 中には小さな銀紙におさまったチョコレートが四個入っている。本命の彼の箱には十個入っている。そのことを知っているのは私だけだ。つまらない意地だが、渡せただけで十分だ。これは自分への褒美として食べてしまおうと思った。

 銀紙を外して不細工なチョコレートを口に放りこむ。溶かして固めただけなのだ、味の保証はある。なのに――

 ひとつ食べても、ふたつ食べても、チョコレートは涙の味しかしなかった。

 高校三年生の冬、友人が彼に渡すはずだった手作りチョコと同じ、わずかな塩味――

 鼻の奥から逆流してくる涙をこらえながら、どうしてダミーなんか用意したのだろうと思った。素直に本命チョコだけ作って、ちゃんと告白すれば彼はどんな反応をしてくれただろう。

 想像することさえ怖い――中学の時から変わらない、情けない自分がいる。

 待合室には他に人がいるというのに、涙がこぼれ落ちてしまった。恋に真剣だった友人が渡せなくて、ごまかした私が渡せてしまったチョコレート。あれだけモテる彼なのだから、もっと立派で素敵な本命チョコをもらっているに決まってる――

 私はアレルギーで目がかゆいんですと言わんばかりに目じりをこする。

 またひとつチョコを口に入れる。深夜のチョコレートは口腔にしみわたって、胸の痛みを呼び覚ます――

 するとその時、ポケットの中で携帯電話が振動した。涙でみじめに濡れてしまった指をぬぐって画面を見る。

 着信:大谷――

 やっぱりあんなもの受け取れないんだろう、と思いながら震える指で画面を押す。

「……もしもし」
「溝上、今どこ?」
「どこって……終電待ってるんだけど」
「今からそっち行っていい?」

 彼の言っていることが理解できず、私は「はあ?」と声を上げる。

「大谷君を待ってたら、終電逃すんだけど」
「そうなったら朝まで付き合ってやるからさー」
「何言ってんのよ!」

 思わず声を荒げてしまい、冷たい視線を投げかけられる。私は膝の上に乗せていた小箱をトートバックに放りこみ、あわてて待合室の外に出る。

「あ、おまえ今やらしいこと考えてたな。駅前のファミレスに決まってるだろ」
「どっちだって同じことでしょ! どうして待たないといけないのよ」

 駅のホームではもうすぐ最終電車が着くというアナウンスが鳴っている。もしかするともう近くまで来ているのかもと、携帯電話を耳に当てたままあたりを見回す。

「電話でもいいかなって思ったんだけど、やっぱり顔見て言いたいからさ」
「……何を?」

 膨張した心臓が全身を支配するように鳴り始める。ホームに駆け込んでくる人の波を見つめながら、耳に神経を集中させる。

「おまえにチョコもらったの、嬉しかったから」

 その言葉を聞いた瞬間、私の心臓はぎゅっと縮んだ。彼の言葉をどう受け止めればいいのかわからなかった。ただ「……うん」とうなずいて、携帯電話のスピーカーから聞こえる街の音に耳を澄ませる。

「すぐ行くから、待ってて」

 私が返事をするのも待たず、通話は切れた。熱を帯びた携帯電話を握りしめたまま、私は立ちつくす。

 最終電車に乗る人の群れが背中を押し始める。私はあわてて列の外に飛び出す。ホームにいた人たちがみな電車の中に吸い込まれる。笛をくわえた車掌が訝し気な目で私を見つめてくる。

 私は首を横に振った。車掌が笛を吹いて、電車は静かに発車する。

 人生で初めて最終電車を逃してしまった――白い息を吐きながら、去っていく電車のライトを見つめる。左手の中には最後のチョコレートが残っている。

 深夜のチョコレートをかみ砕く。やっぱりそれは涙の味しかしなくて、古傷にピリピリと染みこんでくる。

 黒いダウンジャケットが見える。えくぼを浮かべた彼が手を上げる。

 立待月の下、私は涙をぬぐって大きく手をふった。
 

                                 (完)