深夜のチョコレート
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信号が青に変わる。カイロがわりの携帯電話を握りしめながら、横断歩道を渡る。
その彼と再会を果たしたのは大学三回生の初夏、アルバイト先でのことだった。海辺のレストランの繁盛期直前、大量に採用された学生の中に彼はいた。「よーっ溝上」と言って笑った彼の頬には変わらないえくぼが浮かんでいた。
一度は故郷を離れた彼だったが、新設されたキャンパスに学部が移動することになって、実家に戻ってきたとのことだった。二日に一度はバイト先で顔を合わすことになり、私は旧友らしい距離を保ち続けた。毎夜男友達とつるんでいるところを見ると付き合っている女性はいないようだったが、小学校の頃から変わらない人懐っこい笑顔で男女問わずモテる人だった。
そしてついに今年、五度目の正直に賭けることにした。
この私が手作りチョコなど渡すのだ、本命じゃ重すぎる、義理チョコで受け取ってくれれば幸いだ――と考えた末、ダミーのチョコレートも作ることにした。彼に渡す本命チョコと先輩に渡すダミー。中身は同じだが、個数が倍近く違う。彼と先輩が同時に開封して数比べをすることさえ避ければ問題ない、と知恵をふりしぼった。
深夜0時、口から飛び出しそうになる心臓を押さえながら、彼に小箱を渡した。目を丸くして私を見つめる彼に、いっぱいあるうちの一つだけどね、なんて素振りでダミーの小箱も見せた。彼は「なあんだ勘違いするだろ」と言ってふざけた様子で私の肩を叩いた。
叩かれた肩が燃えるように熱かった。「同級生の溝上」ラインを越えるのが怖かった。
私の作戦は万事うまくいくはずだった。この私の中で特別感があればそれで十分だった。彼がいる前でダミーの小箱を先輩に渡せばミッションクリアのはずだった。
一緒に仕事を上がるはずの先輩の姿がない、おかしい、と探していると、彼は制服姿のままホールで動き回っていた。どうやらインフルエンザで欠勤したバイトの代わりに、勤務時間の延長を命じられたらしい。
渡すはずだったダミーの小箱は持ち帰るほかなく、彼に渡したチョコレートは正真正銘の本命に格上げされた。
一人勝手に気まずい空気の中、彼と従業員室を出る。立待月の夜空を見上げて彼が白い息を吐く。
「あれ……誰に渡すつもりだったんだ?」
彼の言わんとすることはすぐにわかった。さすがの私もそこまで阿呆ではない。
「あれ……はねー……ええっとー……」
「上条先輩とか?」
眉を下げて言ったその言葉に、思わず私は首をふってしまった。横にぶんぶん振り回してから、私はいったい何をやっているのだと後悔した。
「違うの?」
「……違うっていうか女友だちにあげようと思ってたというか……」
思ってもない言葉がつらつらと口から飛び出す。こういうときに限って口がよく回るから困る。耳たぶが燃えるように熱くなって、思わず両手で隠してしまう。
「じゃあ男でもらったのって、俺だけ?」
「事実としてはそういうことに……」
彼がどんな表情をしているのか見るのも怖くて、目を反らし続けた。いつもの交差点にたどりついて、彼はいつものように「じゃあな」と離れていく。
私は信号を渡るのも忘れて彼の背中を見つめた。黒いダウンジャケットが雑踏の中に消えていく。
ミッションは遂行できなかったが、ともかくも彼に渡すことができた。明日もいつも通りバイト先に行ってキッチンにいる彼からいつも通り料理を受け取る。それだけのことだ――