spirit come home...
少女はその雰囲気に身を浸して興奮するように、急いでコテージの扉を開いた。その瞬間、眩しい光が僕の体を覆い、明るい照明の下でたくさんの男女が酒を飲みながら談笑しているのが見えた。
カウンターの席に並んでいる男女が、その奥で働くマスターと笑いながら言葉を交わす。六つのテーブルにそれぞれ先客がいて、話に没頭しているようだった。
その中に見知った姿があることに気付いて、僕はあっと言葉を漏らした。すると、少女はその背の高い男性へと近づいていき、「待たせたわね」と笑った。
彼はあの軽薄そうな雰囲気を纏ったまま、手をひらひらと振り、「こっちにこいよ」と八重歯を見せて笑った。茶色に染められた頭は寝癖だらけだったが、本人は酔ってしまえば、身なりなどどうでも良くなってしまっているらしかった。
「……ミリル。あなた飲みすぎよ」
彼はキツネのような細い目をさらに糸のようにさせて、机に足を乗せて言った。
「大丈夫だよ。この世界じゃ、酔っ払ったって何にも害はないからな。それよりお前らも飲めよ。おい、マスター、二つジョッキ追加で!」
マスターの威勢の良い声が返ってきて、僕はどこか緊張しながら少女と一緒に丸椅子に座った。すると、ミリルは身を乗り出してじっと僕の顔を見つめてきて、首を傾げてみせる。
「まだこの世界に慣れていないって感じだな。何がそんなに引っかかっているんだ?」
ミリルはそう言って僕の頭に手を乗せ、くしゃくしゃと撫でた。僕は俯き、唇を引き結びながらされるがままになっていたが、なかなか口を開くことができなかった。
すると少女は僕の肩に手を置いて、ただ笑いかけてきた。そうしてつぶやく。
「彼はまだこの世界のシステムに慣れていないだけなのよ。ここには無限の可能性が秘められているから。どんな願望だって叶えることができるし、私達の宝物が詰まった場所なのよ」
僕は少女へとちらりと視線を向け、俯きながら言った。
「でも、僕はここに来る前、すごく怖い想いをしたんだ。本当なら、もう死んでいるはずなのに、ここでまだ生きているんだよ」
少女は僕の耳にかかった髪を掬って撫で付けながら、どこか優しげな瞳をして言った。
「一度死んだ人間がここに来てね、もう一度人生をやり直すことができるの」
そこでミリルがうなずき、先ほどの軽薄そうな顔を真剣なものへと変えて言った。
「ある魔術師が言っていたよ。この世界は、外から見るとただ丸い形をしているんだってよ。それで、死んで現世から離れた魂が球の中に迷い込み、そこから出ずに留まるようになっているんだ」
少女は僕の手をそっと握り、安心させるように胸に抱いてこう繰り返した。
「私達は皆死んでいるの。でも、この世界にいる限り、安心して生きていけるのよ。だから、ずっと一緒にいましょう。私があなたの側についていてあげるから」
そうしてミリルもうなずき、二人が慈しみの篭もった視線でこちらを見つめてきた。だが、僕はただ視線を膝元に落としたまま言った。
「僕らには、還るべき場所がある」
僕のその言葉が酒場に響いた途端、二人は肩を震わせて目を見開き、恐ろしいものを見るような目つきで僕を見た。
「僕にはちゃんと還るべき場所があるんだよ。そこに行かずに、ずっと留まっているのはおかしいよ」
僕がそう言って二人へと顔を向けると、その瞬間、ミリルの視線が獣のように鋭くなって、彼は丸椅子を蹴って立ち上がった。
「てめえッ、何を言いだすのかと思えば!」
「僕は本当の願いっていうものは、今この世界にあるものとは違うと思う」
ミリルの腕が僕の胸倉へと伸びてくるが、少女はそれを手で遮った。そして、少女は僕へと顔を向け、「本当にあなたはそう思うの?」と言った。
「……よく聞け、小僧」
そこでミリルが唸るように言葉を吐き出し、僕の顔へと指先を突きつけてきた。
「聞いて驚け、ここにいるこいつはな、生きている間に、一体どれだけの時間を生きていられたと思う? なんと、たったの三秒だ。こいつはな、この世界にやってきて、初めて『生きる』ということを知ったんだよ。それを、お前の願いで粉々に打ち砕かれてたまるか!」
少女はパン、とテーブルに手を叩きつけて、そして立ち上がった。ミリルが言葉を切り、そして動揺した顔で少女を見た。
「いいのよ、ミリル。これが彼の願いなの」
「でも……お前は」
少女は僕へと屈み込み、視線を合わせながら優しく諭すように言った。
「私達には、還るべき場所がちゃんと存在している。そこに行くのが道理だと、あなたはそう言いたいのよね?」
ミリルが口を開こうとするのを少女は手を出して押し留め、そして僕の頭を再び撫でて言った。
「本当にこの世界ではとても楽しいことばかりが起こるわ。でも、私達のこの世界を考え直さないといけないのかもしれない。私は彼の答えを大切にしたいと思っているわ。今はただ乾杯しましょう」
ミリルは歯を噛み締めて俯いたが、やがて舌打ちをついて、ジョッキを手にして持ち上げた。
「いいだろう、乾杯だ。この小さな抵抗者に」
「……私達はいつだって笑って踊り、楽しく生きていいくのよ」
少女もジョッキを上げた。僕はずっと俯いて涙を堪えていたが、「だって、僕……どうしてもそう思うんだよ」と零す。すると、少女が背中を叩いて促してきて、そっとジョッキを手に取った。
「絶対に信じたい想いがあるから、それでも、僕は……」
「大丈夫よ、私達はずっと一緒だから。さあ、乾杯しましょう」
僕はうなずき、頭上へ掲げられた二つのジョッキに自分のジョッキを打ちつけた。そして、同時に僕たちはつぶやいた。
「乾杯」
そうして僕の願いが叶えられ、この世界は終わりとなった。
*
光の玉が無数に溢れ出し、一斉に舞い上がっていく。その魂はようやく檻から解放されたことを喜ぶように、激しく上下しながら群れとなって、空へと舞い上がっていく。
その無限の光が列を成して宵闇へと消えていくと、黄金の天の川となって空を流れていった。僕もその中に入り込み、傍らで揺れ動くその光に寄り添いながら立ち昇っていく。
一斉にすべての魂が、還るべき場所へと還っていくのだ。
作品名:spirit come home... 作家名:御手紙 葉