小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
てっしゅう
てっしゅう
novelistID. 29231
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

「歴女先生教えて~」 第三十五話

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
美穂は織田信長の野望を大陸攻略だと生徒に話した。
そして本能寺の時点ではまだ道半ばだったので、その歴史は実現することが出来なかった。後に天下人となった豊臣秀吉は尊敬する信長の意思を継いで大陸へ兵を進めた。しかし、朝鮮半島での激しい戦いに一進一退を繰り返し、やがて秀吉の逝去に伴って退却が始まり、多大な犠牲と共に信長~秀吉の夢は潰えたのだ。

「信長が自らの誕生日を聖なる日としたことは、自分を神格化するための工夫だったと言えるわね。つまり、この当時誕生日を祝うという習慣は釈迦の誕生日を花祭りとして祝う仏教と、キリストの誕生日をクリスマスとして祝うキリスト教の二つしかなかったの。
自分の誕生日が広く知れ渡り、祝福されるということで、神の子孫としての天皇と仏の代理人としての本願寺という二大権威を超えようとしていたのよね。
ちなみに秀吉の唐入り(からいり=朝鮮を侵略しようとしたのではない=中国征服計画の通り道で抵抗にあった)の計画書を見ると、そこには中国を征服したあかつきには、天皇を北京に移すと書かれてあったの。
まさに信長が考えていたことを秀吉は実行した」

「先生、秀吉は気が狂っていたわけではなかったのですね?」

「そうよ、時代は秀吉に反目した家康によって治められたから、良くは言われなかったの。歴史認識は後の権力者によって歪められるという、当たり前のことが秀吉を狂者扱いに仕立てたのね」

「家康には信長、秀吉の大陸支配という考え方は無かったのでしょうか?」

「うん、気配は見てとれないわね。でも天皇に変わって自分が日本を支配する、そして自分の子孫がその支配を継続してゆくためのあらゆる手段をとってゆくわね。関ヶ原で勝利した家康は江戸に幕府を開き征夷大将軍となると全国制覇に乗り出した。一番の目の上の瘤となっていた豊臣秀頼と親族を大阪城の戦いで破滅させた。時に冷淡になって自分に刃向う勢力を潰していった家康は秀忠に家督を譲ると、自らは浜松に隠居して裏から政治を執り行っていた。彼は死を予感した時に自分は関東鎮護の神になりたいので、一年経ったのち遺骸を久能山から日光へ改葬しろと家臣に命じたの。それは、家康自身が日光東照宮に祀られる東照大権現となることを望んだと言う事なの」

「自分を神にしろと命じたということですか?」

「天皇家を超えることが出来なかったとはいえ、天皇家の祖神である天照大神への対抗心であったことは伺えるわ。自分が東照大権現という神になって、その後に続く徳川家は神の子孫であると将軍の権威付けをしたかったのでしょう。家康はそれまでの天照の子孫である天皇家が日本を支配してきたが、これからは東照の子孫である将軍家が日本を治めてゆくという家康の決意表明とも受け取れるわね」

「先生!徳川家が明治維新までの約270年間続く理由の一つにこの家康の決意があったということですね」