ニコチン中毒患者の悲哀
しかし、夏場でポロシャツの軽装、さすがにZippoは邪魔になると思い、煙草の箱の中に使い捨てライターを収めて来たつもりだった。
だが、どうやら『つもり』に過ぎなかったようだ。
思い出せば、家を出る寸前、まだ電車の時間には少しあるし、しばらく煙草を吸えない事もわかっていたから名残の一服を楽しんだ……あの時に箱に戻し忘れたらしい。
普段なら『スミマセン、一寸火を貸して頂けませんか?』の一言でこのピンチはしのげる、しかし、さすがにこの土砂降りの中では喫煙所には俺だけだ。
(なんとかならないか……おお、これぞ天の助け!)
見回してみると近くにコンビニ。
しかも看板には『酒・たばこ』の文字が。
俺にとっては『たばこ』の三文字がラインダンスを踊っているかのように見えた。
俺は当然、コンビニに駆け込んだ。
ライターと缶コーヒー。
今の俺にとっては、その二つで『千円になります』と言われても黙って頷いただろう。
もちろん店員はそんなことは言わず、『二百三十八円になります、レシートは大丈夫ですか?』
『大丈夫ですか?』は妙な言葉遣いだと思う、しかし、今はそんなことに構う気はない、俺は返事もせずに手だけ振って店の外の灰皿の脇に……。
シュッポッ……スー……プハー……。
ああ……生き返る……。
あれだけ激しかった雨も急に小降りになる……全く今日の天気は俺の気持ちとリンクしているかのようだ。
一本目を吸い尽くし、缶コーヒーのプルトップも開ける。
『まだニコチンが足りないぞ』と言っていた俺の体も二本目の煙草とアイスコーヒーの競演には満足したようだ。
また南口に戻らないといけない。
俺が目指す店がそこにあるからだ。
二時間もかけて居酒屋へ、それにはわけがある。
大学時代の友人数人と飲む約束をしているのだ。
家や会社はばらばら、誰にも都合の良い場所などない、ならば学生時代に良く行った、大学の近くの居酒屋が良かろう、と決まったのだ。
その店の場所は良く覚えている、駅はすっかり様変わりしていたが、その店は昔と変わりなくそこにあり、建て直しもされていないことはネットで調査済み。
果たして、その店は昔と変わりないたたずまいを見せてひっそりと存在していた。
駅前は大々的に再開発されていたが、駅に近いとは到底言えないその店までは再開発の魔の手も届かなかったらしい。
昔のままの引き戸に手をかける。
そうそう、引き手に手をかけてもダメ、桟に指をかけて少し持ち上げるように引かないとスムースに開かない……そんな細かなことも頭に浮かぶ。
気分は一気にタイムスリップして大学時代だ、この引き戸を開ければ昔懐かしい、しかし相応に老けた懐かしい顔が迎えてくれるに違いない……。
しかし、その時、俺の手は凍りついた。
ホームセンターでも売っているような、プラスチックのプレートが引き戸のガラスに貼られていたのだ。
【店内全面禁煙】
作品名:ニコチン中毒患者の悲哀 作家名:ST