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紅装のドリームスイーパー

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「じゃあ、明日からいっしょに勉強しようね。図書館がいいわ。勉強に集中できるわよ」
 沙綾さんはヤル気満々だ。おれはふたつ返事でOKする。「じゃあね」と手を振って、沙綾さん親子は立ち去っていた。
 おれはふたりの背中を見送り──ため息をついた。
 祖母である幸恵さんの死に直面することがなくなって、かえってよかったのかもしれない──そう思うことにして、自分を無理やり納得させる。
 変化は受け入れなければならないのだ。たとえどんなに理不尽な変化であろうとも。
 おれに選択権はない。
 駐輪場から自転車を引っぱりだして、またがった。
 空を仰ぐと、夕焼けがきれいだった。
 朱金色に輝く太い飛行機雲が、赤く染まった空をくっきりと二分していた。

 日常生活。
 いつもの繰り返し。平常運転。
 夕飯に風呂にテレビ。今日はナイター中継がない。その代わり、生放送の音楽番組に出演している大所帯のアイドルグループに駿平はのめりこんでいた。女の子たちの短いスカートがひるがえるたびに駿平の顔つきがコロコロと移りかわる。大草原に棲む動物の、メスを追い求めるオスの求愛行動を観察しているみたいで、見ていると飽きない。ようやく駿平にも野球以外に興味を持てるものができたようだ。これも喜ばしい変化であると、肯定的に受け止めるべきなのだろう。
 二階の自分の部屋に戻って、ケータイをいじくりまわす。
 電話帳の再確認は済ませていた。いまは「早見菜月」「糸川大樹」の名前のほかに「薬袋花鈴」がある。「三村沙綾」の名前が新しく加わっていたのには驚いた。まあ、従姉なんだから、当然かもしれない。一方で、消えた名前もあった。「梁川澪」だ。メガネっ娘(こ)の委員長はいなくなっていた。体型は残念だったけど、案外、かわいかったので、少しもったいない気もする。
 メールをチェックする。
 大樹から。「数学の問題がわからん。教えてくれ」だと。おれに訊くな、そんなこと。「バカめ」と返信。
 菜月。「花鈴をよろしくね」とあった。意味深なメッセージ。とぼけたキャラなのに、菜月は鋭いところがある。メッセージをしたためて、返信する。二年前に死んだはずの少女とメールをやりとりしているのが、なんだか信じられない。いまの状況に慣れるにはしばらく時間がかかりそうだ。
 森。ラノベの三巻も貸す意志がある、とのこと。結構だ。最後に、いつものメッセージ。「リア充爆発しろ」が三回も続いていた。こいつはこれしか書けないのか? 無視。
 沙綾さん。待ちあわせの場所と時間が書いてあった。ありがたく承る。沙綾さんには彼氏がいないのだろうか、と気になってしまう。女子校だから校内での恋愛はないはずだけど……こればかりは本人に面と向かって訊けない。妖怪じみた祖母ならなにか知っているかもしれない。「男の子はだらしないねえ」とか、またもや嫌味を言われそうだが。
 最後に花鈴。メッセージは長かった。感謝の言葉と謝罪の言葉が続く。わざと感情を抜いた、平坦な文章にしているような気がした。公園でのドキドキなアクシデントには触れていない。なかったことにしたい──わけじゃないと思う。恥ずかしいだけなのかもしれない。だったら、もっと恥ずかしい思いをさせてやろうと意地悪な発想が浮かぶ。幼稚園のときに交わしたあの約束──結婚すると誓ったことを、考えられるかぎりの美辞麗句で修飾して、送信。すぐにリターンがきた。怒っている。笑う。最後は無視できない一文で結んであった。「約束、破ったらひどいよ?」だって。なんとも解釈が難しい一文だ。どの約束のことを言っているんだろう?
 夜がしんしんと更けていく。体力的にはともかく、精神的に疲れていたせいか、十時を過ぎると眠気に抵抗できなくなった。早々とベッドにもぐりこむ。目を閉じると、とたんに雑念がドッと押し寄せてきた。
 菜月、大樹、浩平、フーミンに山崎、ルウ、沙綾さん、それに葵と花鈴。
 みんなの断片が雪のようにひらひらと舞い落ちてきて、おれの心に厚く降り積もっていく。
 夢魔は滅ぼした。夢魔に憑依されていた花鈴を救いだし、死んだはずの菜月はおれたちのところへ戻ってきた。大樹もおれたちと同じ学校にかよい、甲子園を目指している。なにもかも満足のいく結果だ。パーフェクトといってもいい。
 ただひとつのことを除いては……。
 葵──島幸恵さん。自分を犠牲にしてまで花鈴を現実世界に還してくれた。不可能なことを可能に変えてくれた。
 胸の奥でうずく痛み──葵を失ったこの痛みは、いつまでも消えないような気がした。痛みは、花鈴と菜月を取り戻した代償でもあった。
 葵のことを思いだすたびに、この痛みはおれを苦しめるのだろう。
 そうであっても──
 葵のこころざしを、おれたちは大切に守っていこう。
 葵がくれた未来を、おれたちはしっかりと生きていこう。
 それが、葵の望んだことなのだから……。
 大丈夫。道を見失ったりはしない。おれも、花鈴も。

 とりとめのない自分の雑念に溺れて、あがいていたら──いつの間にか、おれは眠りに落ちていた。