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紅装のドリームスイーパー

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 優柔不断なおれは何度も選択をあやまる。いいじゃないか、それでも。まちがえたら、やり直せばいい。なにかを失ったら、取り返せばいい。あきらめたら、なにも始まらない。
 菜月が大樹を呼ぶ。大樹はすぐさまネットのそばまで駆けてきた。まるで飼い主に忠実なイヌみたいだ。
 大樹がおれたちに気づき、白い歯を見せて笑う。もちろん、花鈴にも惜しみなく笑顔を振りまく。花鈴は最初おそるおそる、大樹がおもしろくもなんともない冗談を飛ばすと表情を明るくして、彼と会話を交わす。菜月が横からヘンなツッコミを入れる。根がマジメな大樹は笑いどころがつかめず、目を白黒させる。そのパターンが繰り返される。おれたちは声をあげて笑う。
 二年前──菜月が交通事故に遭うまえはそうであったように。あのときと同じく、四人で。
「地区予選、応援してくれよな!」
 大樹はグローブにボールを勢いよく放りこんで、パーンといい音を響かせた。
「ああ、試合、見に行くよ。勝てよな」
 と、おれ。声に力をこめて。
「二週間後に桐星(とうせい)学園との練習試合があるのぉ。地区予選が始まるまえの最後の練習試合だよぉ。絶対、応援に来てねぇ」
「うん。新城君といっしょに行くから」
 菜月が不思議そうな顔をする。花鈴が小首をかしげると、菜月は頬を指でトントンとたたいて、目を細めた。
「花鈴、なんで翔馬のこと、新城君って呼んでるのぉ?」
「え?」
「小学生のときから翔馬って呼んでたじゃない。なんかあったのぉ?」
「あ……なにも。そうだよね。新城君だなんて……なんだか他人行儀だよね」
 花鈴はあわてて言い直す。菜月が大樹と顔を見合わせた。大樹は目をパチクリさせている。別にたいしたことじゃないだろ、とその眼が語っていた。
 おれは顔がニヤけそうになるのを必死でこらえていた。現実が改変されて、おれがさんざん味わった「みんなの常識」の洗礼を、花鈴も現在進行形で浴びている。これからもこういうことがあるのにちがいない。新しい常識を学ぶのはひと苦労だ。
「んー、なんだか花鈴の様子、ヘンなんだよねぇ。やっぱり翔馬にいじめられたのぉ?」
「いじめてもいねえし、泣かせてもいねえからな。花鈴、おまえからもなんか言ってやれよ」
「わたし、なんともないから。ヘンじゃないから!」
「ホントにぃ? あたしに隠してること、あるんじゃないのぉ?」
「おれは甲子園に絶対、行くぞ!」
「……おまえは絶望的に空気が読めないな、大樹」
 けなされたと思っていない大樹が大口を開けて笑う。菜月が微笑む。花鈴も笑みを広げる。
 おれは頭を抱える。でも、気持ちがよかった。
 またこの四人で笑えることが、とっても。

 途中までいっしょに帰ろうよ、と花鈴が誘ってきた。ちょっと恥ずかしそうにして。
 もちろん、おれに断る理由はない。
 自転車を押し、ふたり並んで歩く。女の子と帰るなんて、これ以上はない理想的なシチュエーションだ。森が見ていたら、きっと「リア充爆発しろ」を連発するだろう。
 歩きながら花鈴がポツポツと語った。これまでずっと離れていたふたりのあいだの距離を一気に縮めるかのように、いろんなことを、少しずつ話した。
 菜月が死んで、一時期は自分も死にたいとまで思いつめていたこと。大樹に敵意を向けられ、とてもつらかったこと。悪夢を見るようになってから、どんどん精神状態が落ちこんでいったこと。
 夢魔は、そこにつけこんで花鈴を誘惑した。楽になる方法があるよ、と耳元で甘くささやいたのだ。
 浩平の正体が夢魔だと気づいたのは、菜月のお墓参りから帰る途中だった。電車に乗っているとき、浩平からメールがあった。ふたりだけで内密に話したいことがある、という内容だった。
「菜月を生き返らせる方法があるって教えてくれたの。最初は信じられなかったけれど、自分が夢魔であることを証明してみせるからって主張して……」
 そして、夢の世界に花鈴を引きずりこみ、彼女を籠絡(ろうらく)して一体化を果たした。菜月を生き返らせる、という条件を取引材料にして。
「翔馬には悪いけど、わたし、後悔はしてないの。いまでもね。夢魔と取引したのはまちがってたかもしれない。でも、結果はあれでよかったと思ってるわ」
 チラリと不安そうにおれの顔をうかがう。おれの意見を聞きたいのだろう。おれは咳払いをしてから、なるべく軽い調子で答える。
「人間は弱い存在だからな。しかたがなかったんだよ。だから、もう気にするな」
「……それって翔馬の意見?」
「実を言えば、葵さんの受け売りだけどね。人間は弱い存在だから夢魔につけこまれるって。弱さを少しずつ克服して、人間は成長していくんだって──そうも言ってたな」
「そうかもね。わたし、わかる気がするな……」
 しばらくの間、会話が途切れた。おれたちは自然とあの現場へ──菜月の交通事故の現場へと足を向けていた。四車線の国道の歩道を横に並んで歩く。絶えることのないクルマの流れは悠久の大河のようだった。自転車に乗った中学生の集団が、おれたちをスイスイと追いぬいていった。
 バイパス道路と国道がぶつかる大きな交差点。おれたちは足を止めた。花鈴が物憂げな視線を交差点に注ぐ。なにもない。事故の痕跡も、ガードレールに供えた花の束も。信号が変わって、クルマと歩行者がいっせいに動きだす。
 花鈴は自転車のハンドルをギュッとつかんだ。
「わたしね、葵さん──島幸恵さんと置きかわったでしょ。だからなのかな、わたしのなかに幸恵さんの記憶が残ってるの」
「へ?」
「憶えてるんだ。わたしの記憶じゃないけど。ここに、ね」
 花鈴は自分の胸をそっと手で押さえて、
「わたしと同じように、夢魔に取りつかれた男の子を助けたときのことも憶えてるわ。もう七十年もまえのハナシよ。でも、その子はせっかく助かったのに、結局は悪夢から抜けだせなくて、戦争中に空襲で死んでるの。幸恵さん、男の子が死んだのは自分のせいだと、ずっと思ってた。助けてあげられたのに、むざむざ死なせてしまったって、悲しんでいたわ。彼、幸恵さんの初恋のひとなの」
「…………」
「つらかったんだね。わたしと同じ。ううん、わたしなんかよりも、もっと苦しんでたんだと思う。だって、とっても好きなひとだったから」
「……そうか」
「ルウのことも憶えてる。ダンナさんと結婚する直前に飼ってたネコなんだね。すぐ下の妹さんが病気で亡くなって……もともとはその妹さんが飼ってたネコなの。名前のルウって、妹さんの名前の『留美』からとったんだよ。幸恵さんの大切な思い出なんだわ」
「山崎とかいうヤツがそんなことを言ってたよ」
「山崎? ああ、山崎昭二さんのこと? 昭和二年生まれだから、昭二、ね。入院してから病院で知りあったおじいさんよ。二ヶ月ぐらいまえに亡くなったみたい」
 おれは内心で苦笑する。なるほど。お互いに八十歳を越えてから知りあったんだな。そんな出会いであれば、なかなか男女の関係には発展しにくいはずだ。
「……わたし、ホントにこれでよかったのかな? 幸恵さんのいのちをもらって」
「おれはよかったと思ってる」
 おれがきっぱりと言い切ると、花鈴は湿った吐息をついた。