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紅装のドリームスイーパー

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 唾を吐きかけてやった。勢いが足りなくて、残念ながら浩平の顔に届かない。浩平はやれやれと肩をすくめた。
「どうもその気がないみたいだね。残念だなあ。ホントは手荒なマネをしたくないんだよ」
「おまえは自分を認識するためにゲシュタルトをつぶしてるんだろ?」
 梁川の説明を思い起こして、おれは語気を荒げた。
「いまのおまえは花鈴と融合して自分を認識できるようになったはずだ。だったら、なんのためにゲシュタルトをつぶす?」
「ぼくがそうしたいからだよ」
 言下(げんか)に答えが返ってきた。あっけにとられたおれは痛みを忘れて浩平を仰ぎ見る。
 浩平は、常識のわからない子供をたしなめるような口調でしゃべった。
「なんのためだって? 決まってる。ぼくがそれを望んでるからだ。理由なんてそれしかないさ」
「……おまえ」
 こいつの破壊衝動はもはや形骸化している。手段がいつの間にか目的にすりかわっていることに気づいていない。ただ、壊したいだけなんだ。真冬の寒い朝、水たまりの表面に張った氷を踏みぬいて遊ぶ子供みたいに……。
「わかったかい? なら、ぼくのジャマはしないでくれよな。目障りなんだよ、きみたちドリームスイーパーは」
 おれは腹筋に力をこめた。肋骨と肺に痛みは残っていたが、歯を喰いしばって無視する。
 一挙動で立ちあがる。こぶしをかまえ、我流のファイティングポーズで浩平と向きあう。
 東の空が群青色に染まっている。錆びた色をした残照が、浩平の顔に荒削りな陰影を刻んでいた。カラスがしきりに鳴いている。墓石のうえにとまった一羽のカラスがじっとこちらを見守っていた。
「きみさ、いいかげんにあきらめが悪いよ?」
 浩平がうんざりしたように言う。肩を上下させて、首をコキコキと鳴らす。眼が不吉な光を帯びた。
「……殺してやろうか?」
 ゾクリとした。こいつは本気だ。体表にまといつく殺気が目に見えるようだった。
 おれはジリジリと後退する。小枝を踏みつけた。ポキリと乾いた音がする。それが合図になった。
 浩平が飛びかかってきた。速い。おれの視界のなかで浩平の残像がまたたいた。
 耳元で風を切る音。浩平のこぶしがおれの左耳をこする。猛獣のようなおめき声。おれじゃない。浩平のだ。腐臭にも似たヤツの体臭がおれの鼻をふさぐ。
 おれの目と鼻のさきに、浩平の顔面があった。下唇の肉に歯を立て、血走った目を大きく見開いている。フル回転の心臓が何度も鼓動を打つあいだ、おれと浩平は顔を突きあわせていた。
「……わかったよ!」
 浩平がわめく。唾の飛沫が飛んで、おれの頬をべったりと汚した。おれは身じろぎできない。まばたきさえ、ままならなかった。
 浩平が離れる。フンと鼻を鳴らし、早見家の墓に向かってペッと唾を吐き捨てる。
「命拾いしたな。ぼくのなかにいる薬袋花鈴がやめてくれってさ。きみが死ぬところは見たくないらしい」
 おれはためていた息を吐きだす。酷使された筋肉からアドレナリンが抜けると、とたんに立っていられなくなった。ヘナヘナとくずおれて、芝生に両手と両膝をつく。
 墓石にとまったカラスがせせら笑うかのように、ひと声、カアと鳴いた。不意に羽ばたく。黒い翼は桜並木の向こう側へと吸いこまれていった。
 浩平が笑う。あざけりをこめた、陰鬱な、ひびわれた声で。ひとしきり笑うと、ガラス玉のような眼差しをおれに向け、怒気をにじませた声色で言い捨てた。
「いいだろう。どうしてもぼくのジャマをするなら相手をしてやる。ドリームスイーパーのカッコいい武器でぼくと戦うがいいさ。果たして、ぼくに勝てるかな?」
 口をききたくても喉がいうことをきいてくれない。ドッと押し寄せてきた恐怖が固く結晶化して、おれの心の動きを凍りつかせていた。なにも言えずにいると、浩平はがっかりした顔つきになった。
「なんにもできないくせに威勢だけはいいんだな。しっかりしろよ。そんなんじゃ、きみの幼なじみが泣くぞ?」
 よけいなお世話だ、この野郎!
 おれの目つきからしっかりとメッセージを読みとったらしい。浩平はヘラヘラと笑うと、「じゃ」と気軽く手を振って、大股に歩み去った。
 浩平がいなくなっても、しばらくのあいだは立ちあがれなかった。
 あたりが暗くなってきて、街灯がポツポツと点灯する。色を失った空には濃い夜闇が急速に押し寄せつつあった。しなびた夕陽がとぎれがちな光を地上に投げかけている。
 力を入れると膝が笑った。背筋を伸ばし、まっすぐに立つ。服についた泥をはたき落とす。おそるおそる唇に触れると、歯で切った傷がズキリと痛んだ。
 完敗だった。
 おれは手も足も出なかった。
 夢のなかで夢魔に殺されたときもそうだった。
 激しく悪態をつく。足元の雑草を力任せに引きぬいて空中にバラまいた。数分のあいだ、雑草をまき散らして鬱憤を晴らしていた。
 肩で息をする。気持ちの悪い汗が首筋を伝った。
 夢魔のなかには花鈴がいる。そのおかげで、おれは殺されずに済んだ。
 花鈴はいまでもおれの味方だ。完全に敵と決まったわけじゃない。
 だったら……おれが花鈴に報いる方法はひとつしかない。
 そう。ひとつしかないんだ。

 敵は、夢魔だ。