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紅装のドリームスイーパー

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「こんなところで立ち話をするわけにもいくまい。そこら辺の喫茶店で話すような内容でもないしな。私のマンションならふたりだけで落ち着いて話しあうことができる」
 おれがそのときどんな表情をしていたのかは、梁川の次のセリフがズバリと指摘してくれた。
「いやらしいことは想像しないことだな。きみとそのような行為に及ぶためにこんな姿をしているわけではないんでね」
「はい。ごめんなさい。おれが悪かったです」
 としか、おれには答えられなかった……。

 梁川の住む2DKのマンションは、おれの家のすぐ近くだった。目と鼻のさきといってもいい。三年前に建てられた、水で薄めた赤ワインのような色合いの中層マンションで、おれの部屋の窓からもよく見える。それはつまり、梁川の部屋──五階の角部屋だった──の窓からもおれの家が見える、ということだ。なんだか四六時中監視されているようで、あまりいい気持ちはしなかった。
 梁川の部屋はひどくガランとしていた。とても女の子がひとり暮らししている部屋とは思えない。最低限の家具や家電さえそろっていなかった。備えつけのエアコンを除けば部屋にある家電は灰色のずんぐりとした冷蔵庫ぐらいで、あとはスモークガラスの天板をはめこんだ細長いテーブルと、壁際に寄せた無骨なパイプベッドが、あたかも居場所を失ったペットのように不活性な影となってうずくまっていた。およそ生活臭というものが欠けた、無味乾燥で空疎な部屋だ。
「ここはかりそめのすみかだからな」
 まるで引っ越した直後のような部屋のなかの状態を、梁川はそっけない態度でそう釈明した。
 ネコを彷彿とさせるしなやかな歩き方で部屋を横断した梁川は、カーペットすらも敷いていないフローリングの床にぺたんと腰を下ろし、テーブルの長辺に白く透きとおった肘をつく。梁川に促されて、おれはテーブルの対面にあぐらをかく。
 梁川の背後に置かれた使用感のないベッドの上には、学校の制服や普段着が四角くたたまれて、こんもりとした山をつくっていた。衣服の山のてっぺんにのっかった女物のピンクの下着が目に入り、あわてて目をそらす。
 テーブル越しに梁川と目が合う。唇の端をキュッとつりあげて梁川が微笑む。密閉された空間に女の子とふたりだけでいることをいまさらながらに思い起こして、頬がカッと熱くなる。そんなおれの様子を、梁川はおもしろそうな顔つきで観察していた。黒ネコでいたときよりもずいぶんと表情が豊かだ。それとも、黒ネコでいるときは表情をつくるのが難しかっただけなのか……。
「……最初にひとつ、訊いていいか?」
 居心地の悪さを覚えつつ、おれはテーブルの上に身を乗りだし、梁川を正面から直視する。
「なんであんたは女の子の姿をしてるんだ?」
「この姿が活動しやすいからだ」
 梁川は三つ編みにした髪の束を細い指先でもてあそぶ。
「きみと同じ学校にかよう女子生徒──しかも、クラスもきみと同じだ。学校にいるときもきみのそばにいられる。なにかと都合がいい」
「だったら、男でもよかったんじゃないのか?」
「フム。確かに男でもかまわないが、きみはこっちのほうが好みだろうと思ったのさ」
 それは否定できない。男よりも女のほうがうれしいのは事実だが、それにしても……。
「森はきっとおれたちのことを誤解してるぞ。おれのことを騎士(ナイト)だなんてほざきやがって……」
「彼がどう思うかは重要じゃない。私は気にしていないぞ」
「あんたがよくても、おれが気にするんだよ! これでも人間関係には気を遣ってるんだからな!」
「糸川大樹と早見菜月のことかな?」
 図星をさされておれはグウの音(ね)も出ない。黙りこむ。
 梁川はほっそりとした指を組んでそこに顎を乗せ、目を細めた。その一連の仕草は、獲物を待ち伏せする野獣を連想させた。
「きみもとっくに気づいてるだろう。この世界は改変を受けてる。夢魔と一体化した薬袋花鈴の力が現実を上書きしたのだ」
「……どういうことなんだよ、それって?」
「以前にも話したはずだ。現実世界というのは全員が共有してる夢のようなものだ、と。それはつまり、共通の認識が現実の枠組みを規定してる、ということだ。全員が海は黄色だと認識すれば、海は黄色になるし、誰もそれをおかしいとは思わない。逆に言えば、海が青いのはそういう認識が全員にあるからだ」
「なにが言いたい?」
「要するに、共通の認識が改められれば現実は置きかわる、ということさ。この世界に薬袋花鈴はいない。なぜだと思う? それはこの世界の人間が彼女を認識していないからだ」
「それはおかしいんじゃないか? おれは花鈴を憶えてるぞ。みんながみんな、花鈴を認識していないわけじゃない。だいたい、なんでおれの記憶はもとのままなんだ?」
「きみの認識はいわばノイズのようなものだな。無視できるぐらいの雑音だよ。海に一滴だけ泥水を垂らしても、海が全部真っ黒になったりはしない。それと同じだ」
「へえ、そうかい」
「きみの記憶が書きかえられていないのは、きみが夢見人(ゆめみびと)だからだ。夢見人は夢魔の干渉をいっさい受けない。そうでないと、ドリームスイーパーとなって夢魔と戦うことができないからな」
 おれは梁川の説明をじっくりと反芻し、ひと言ひと言を頭のなかで咀嚼(そしゃく)した。とりあえず、思いついたことを口にしてみる。
「……あんたがおれのクラスの委員長だと思われてるのは、そういう認識がこの世界の人間にあるから、というわけか?」
「そのとおりだ。だから、梁川澪──いまの私がこの世界にいる。私には人間の認識に干渉する力が備わってる。なんといっても現実も夢の世界のひとつだからね。夢の世界でできることはたいてい、この現実世界でもできるのさ。人々の認識が変化すれば、それに合わせて現実も変化する。このとおりに、ね」
 梁川は自分自身とこの部屋を、開いた両手でおおまかに示して、
「私みたいに、非人間的存在が人間のふりをして現実世界にまぎれこむのは比較的たやすい。現実を都合よく改変すればことたりるからな。が、ホンモノの人間はそういうわけにはいかない。周囲の人々の認識を変えさせることで、人間そっくりの存在を生みだすことはできても、人間なら誰しも持ちあわせてる自己認識の能力までは付与できない。存在していなかった人間を現実世界に実在させようとするならば、事物を挿入するのではなく、すでに存在してる事物を上書きするしか方法はないのさ」
「なんのハナシだ? おれにはよくわかんないが……」
 梁川は小さく肩をすくめ、腰をあげる。なにかの記念碑みたいに立ちつくしている冷蔵庫まで歩いていき、ドアを開けた。肩越しに振り返って、
「なにか飲みたいものはあるかな?」
「って、なにがあるんだよ?」
「いまのところ麦茶しかないが」
「……それでいい」
 梁川はコップをふたつ用意してテーブルの上に置き、プラスチックの容器に入った麦茶を注ぐ。よく冷えた麦茶を口に含んだときのかすかな苦味と香りを味わって、おれはふと思う。
 これもおれがそう認識した結果、ここにあるのだろうか、と。
 まるでおれの内心を読んだかのように、梁川が圧迫感を感じさせる強い眼差しで、おれがコップに口をつけるのを注視している。