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紅装のドリームスイーパー

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 葵が冷たい声で言い放つ。山崎はまるで意に介した様子もなく、気味の悪い笑みを満面に広げると、ズボンのポケットに両手を突っこんで悠然とこちらへ歩いてきた。金色の陽射しの柱が山崎の身体をなめる。濃紺のビジネススーツがトロリと溶け、次の瞬間には渋茶色の和服姿となっていた。引きしまった腹に巻きついた臙脂色(えんじいろ)の帯の端が、獲物に喰らいついたヘビのようにゆらゆらと揺らめいている。
 なんだかしらないが、こいつはタダ者じゃない。とても夢のなかのエキストラとは思えなかった。もしかしたらこいつは夢魔なのか、とも考えたが、そうだとしたら葵があたしに警告しているだろう。
 山崎は五歩ほどの距離のところで立ち止まった。目をすがめてあたしの全身をジロジロと観察している。その視線にいやらしいものを感じて、あたしは山崎をにらみ返した。山崎が冷笑を浮かべる。
「そんなに警戒しないでもらいたいですね。吾輩は悪い人間ではありませんよ」
「誰よ、あんた?」
「葵さんの知りあいです」
 山崎が葵に向かってウィンクする。葵は唇をとがらせた。明らかにこころよく思っていない。
「生きてたころはそちらの葵さんと懇意にさせてもらっていた者です」
「……生きてたころ?」
「彼はもう死んでるんです」
 と、葵。物悲しげな口調で。太いため息をついて、
「夢を見てるあいだに肉体が死んで、現実世界に還れなくなったひと──山崎さんは夢の世界にとらわれた死者なんです」
「彼らはファントム──幽霊と呼ばれてる」
 山崎とは違う男の声が葵の言葉のあとに続いた。声のしたほう──右の後方へ顔を向けると、ルウが書架の上に寝そべっていた。頭をややもたげ、金色の瞳で山崎を注視している。
「あいかわらず葵にご執心だな、きみは。きみみたいに執拗な人間はストーカーと呼ばれるらしいぞ」
「それは相手がイヤがってる場合でしょう。現実世界の吾輩は葵さんと昵懇(じっこん)の仲でしたよ。残念ながら男女の関係までには発展しませんでしたけどね」
 葵がほんのりと顔を赤らめる。否定しないところからすると、山崎の主張はある程度まで事実らしい。
「生きてたころは遠慮してましたが、それももう無用でしょう。なにせ吾輩は死んでますからね。現実世界とはもう縁がありません。葵さんだって、その姿ならいまの吾輩と……」
「それ以上、葵に近づかないで!」
 あたしの鋭い叫び声に、山崎がピタリと動きを止める。目だけが動いて、まるで絶滅したはずの動物を目撃した学者のように、不思議そうな顔をしてあたしを見つめる。
「ほう、すると葵さんの代わりにお嬢さんが吾輩のお相手をしてくれると?」
「……は?」
 怒りで頬が紅潮するのを感じた。それを照れている、と解釈したらしい山崎が、おおらかな微笑を満面に浮かべる。渋茶色の和服が溶けて、黄緑色のポロシャツにカーキ色のスラックスという出で立ちに変化した。三十代半ばだった山崎の面立ちが、高校生ぐらいの少年の若々しいそれへと変貌する。ポロシャツの袖からはみだした二の腕には分厚い筋肉がまといついていた。
 山崎が薄い唇を曲げて白い歯をのぞかせる。雰囲気がちょっと古めかしい気もするけど、普通の女子高校生だったらハッとして注目するのに違いない、イケメンの若い男があたしに微笑みかけていた。
 あたしは唖然とする。特撮映画みたいな山崎の変容に驚かされたし、この男の節操のなさにも辟易(へきえき)させられた。
 よりにもよって、このあたしに色目を使うなんて!
 現実世界でのあたしは男だと、こいつに大声で教えてやりたかった。こいつがどんな顔をするのか、反応を確かめてみたい。それを実行するまえに、葵が厳しい口調で山崎に言い渡した。
「いいかげんにしてください、山崎さん。本気で怒りますよ?」
 山崎がざらついた声で笑う。変装をとき、最初の姿──濃紺のビジネススーツに身を包んだ壮年のサラリーマン──に立ち戻る。わざとらしくネクタイの位置を直し、きれいに並んだ白い歯をひらめかせた。
「わかりましたよ。今度はジャマが入らないところでゆっくりとお話ししましょう」
 意味ありげにあたしとルウに視線を送る。あたしとルウはジャマだ、と言いたいらしい。
「ところで、きみのところのボスは誰なんだ? 一年前は梶原という男だったが、いまのボスは?」
 と、平板な声で、ルウ。山崎からジャマもの扱いされてもいっこうに気にならないらしい。
「進藤って女ですよ。進藤芙美子(しんどうふみこ)。みんなからはフーミンって呼ばれてます。いい歳してフーミンですよ。笑っちゃいますでしょ? これが見かけによらず、おっかないオバサンでしてね」
 呑気な調子で山崎が答える。
「では、彼女に伝えてくれたまえ。私が管理するゲシュタルトで狼藉は許さない、とな。いざとなったら、ここにいるドリームスイーパーの葵が……」
 小さな顎をしゃくって葵を示し、
「きみたちを全力で排除する。これは警告だ」
「フン。葵さんを吾輩たちにけしかけるというのですか?」
 山崎が吐き捨てる。ジロリと葵をにらむ。葵は毅然とおもてをあげ、山崎の威圧的な眼差しを正面から受け止めた。それから、山崎はあたしのほうを向いて、
「すると、ここにいるお嬢さんはドリームスイーパーじゃないってことかな?」
「きみには関係ない。確かに警告したからな。ちゃんときみのボスに伝えるんだ」
 山崎は盛大に鼻を鳴らすと、忽然と姿を消した。遷移したのだ。おそらく、ヤツのボスが待っている場所へ。
 あたしはホッと息をつく。葵がゆっくりと首を横に振って、
「どんな理由があっても山崎さんと戦いたくはありません……」
「戦いにはならないだろう。彼のボスが賢明な判断のできる人間なら、決して私のゲシュタルトに近寄らないはずだ。彼らは一度だけでなく二度までも、葵に撃退されてるからな」
 ハナシの見えないあたしが目で説明を求めると、ルウが教師然とした言い方で語った。
「彼らファントムは集団で行動してる。夢の世界のなかならなんでも思いどおりになるから、手当たりしだいに他人の夢を襲撃して好き放題やってる。暴れまわる厄介な存在という意味ではあまり夢魔と変わらないな。まあ、彼らが夢の世界にとどまっていられるのはせいぜい半年ほどだがね」
「ずっと夢の世界にいられないってこと?」
「ファントムはいわば魂──精神エネルギーだけの存在だ。肉体がなければ存続できない。彼らはいずれ夢の世界から消滅する運命なんだよ」
「山崎さんがわたしにつきまとうのも、あと数ヶ月しか夢の世界にいられないってわかってるからなんです」
 しんみりとした顔で葵が付け足す。山崎を受け入れる気にはなれないが、あと数ヶ月で消滅してしまう彼の境遇に同情しているのだろう。気になったのは、葵と山崎のつながり──現実世界での、ふたりの関係だ。ふたりが現実世界でも知りあいだったのはまちがいない。山崎の発言から推測するに、彼と葵は親しい間柄だったらしい。男女の関係までには発展しなかった、と言っていたけど……。
 思索にふけるあたしを現実──それとも「夢の世界」と言うべきか──に引き戻したのは、ルウの落ち着き払った声だった。
「さて、このまえの申し出は考えてくれたかな?」