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紅装のドリームスイーパー

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 バカな。おれはなににこだわっているんだ? 実際、おれはなんの役にも立っていないじゃないか。いまも花鈴からつれなく拒絶されている。花鈴の目が、おれを素通りしている。おれは、花鈴の目に映っていない……。
「違うよ、新城君。新城君には迷惑をかけたくないだけで……」
「だから、なんでそういうふうに思うんだよ! 迷惑とか、迷惑じゃないとか、そんなの関係ねえだろ!」
 言葉が途切れた。押し黙る。おれも、花鈴も。
 ややあって、花鈴が咳きこむような笑い声を洩らした。おれをまっすぐに射抜いた彼女の瞳の奥には、ほの暗い感情が熾火(おきび)のようにくすぶっていた。
「あのときもそうだったね。わたしを守るって約束したじゃない」
「なにを言って……」
「ウソつき」
「…………」
 苛烈な非難の言葉を浴びて、おれは絶句する。
 花鈴が傘を広げる。屋根の下から外へ出た。銀色の雨脚が花鈴の姿をかすませる。突き刺さるような雨は、おれの激情も、花鈴の沈黙もいっしょくたに押し流し、小さな同心円の水紋を重ねる荒れたアスファルトの路面へと溶かしこんでいった。
「……帰るね」
 ボソリとつぶやいた花鈴の声は、周囲を乱打する雨の音にまぎれて聞きとりにくかった。花鈴は穏やかな顔つきをしていた。まるで苦悶の果てに達観の境地に達した老人のような、温かみをいっさい感じさせない表情だった。
 声をかけようとして、おれはためらう。そのためらいが、こんなに間近にいるのに、おれと花鈴との心理的な距離を絶望的なまでに押し広げていく。
 花鈴が背を向ける。歩きだした。急ぎもせず、普段と変わらない足取りで。
 おれは追いかけられなかった。傘をにぎるこぶしに力をこめる。掌(てのひら)に喰いこむ爪の痛みは、いまにも沸点を突破しそうだった熱い感情をいくらか冷ましてくれた。自販機の無機質な白い照明が妙にまぶしく感じられる。見本のペットボトルが陳列している自販機の窓は、おれを意地悪くあざ笑う無数の顔のようにも見えた。思わず、こぶしで自販機の横腹をガツンと殴りつける。
 糸川大樹。中学まで、おれの幼なじみだった男。あいつも悪夢を見るのだろうか。
 これほど誰かを憎たらしく思ったのは、生まれて初めてだった。

 電車に乗って、来た道を戻る。
 行きは三人だったのに、いまはおれひとりだった。濡れた服が冷たい。服を着替えないと風邪をひきそうだ。傘の先端から床へと広がった雨水が、電車の揺れにあわせて左右へ、あるいは前後へと、死にかけたヘビのようにのたくる。それを見るともなしに見ていると、降りる駅に着いた。
 改札を出る。雨がひどい。クルマの走る音も、街のざわめきも全部圧倒して、地面をたたく単調な雨の音が耳朶(じだ)を打つ。
 ケータイで花鈴の電話番号をコールする。呼び出し音がむなしく続く。電話に出ない。メールを送っても反応はなかった。
 嘆息する。
 傘を差して歩きだす。足が自然と、自分の家とは別の方角へ向く。駅前の通りから少し奥まった場所に建っている中層のマンション──赤レンガに似せたこぎれいな外壁が、滝のような激しい雨に洗われていた。
 エントランスに入る。蛍光灯の黄ばんだ光に満たされた円形の空間に、集合ポストの棚が並んでいる。ここに来るのはずいぶんとひさしぶりだった。花鈴が昔住んでいた団地からこのマンションへ引っ越してきたのが小学五年のとき。それから二、三回しかここへは足を運んだことがない。
 集合ポストの三○二号室の名札──几帳面な字で「薬袋」とあった。深呼吸をひとつ。なけなしの勇気をかきあつめる。エレベーターで三階へ。
 三○二号室のドアのまえに立つ。もう一度、今度は時間をかけて深呼吸。ドアチャイムを鳴らす。少しの間を置いてドアが開いた。
 ドアの向こうには花鈴の母親が立っていた。おれの顔を憶えていてくれたらしく、「あら、新城君。おひさしぶり」と柔らかく微笑む。
 花鈴が帰宅したかどうかを尋ねると、母親は首を横に振る。
「まだ帰ってこないのよ。新城君、いっしょじゃなかったの?」
「お墓まではいっしょだったんですが、帰り道の途中で別れたんで……」
「なかに入って待ってる?」
「いえ、けっこうです。このまま帰りますから。おじゃましました」
 母親はおれの顔をじっと見つめている。数秒ためらったすえに、母親は不安をにじませた声で打ち明けた。
「あの子、なんだか最近、悪い夢ばかり見てるみたいで……心配なのよね」
「悪い夢、ですか?」
「わたしには話してくれないんだけどね。新城君、なにか聞いてない?」
「すみません。ぼくも詳しくは聞いてないんです」
 母親はなおもなにか言いたげな顔つきをしていたが、あきらめたように小さく吐息をつき、「花鈴をよろしくね」と言ってドアを閉めた。
 おれの聴覚に、絶えることのない雨音がドッと戻ってきた。
 花鈴が立ち寄りそうな場所のリストを頭のなかで並べるが、思いつくのは市立図書館とショッピングモールぐらいだった。前者はここから遠いし、後者は買い物客のなかから花鈴を探すのはとんでもなく困難だ。
 再度、ケータイとメールの両方を試してみたが、応答はないし、返事もこない。おれと話したくない、という意思表示なのだろう。そうとしか考えられなかった。
 きびすを返す。どす黒い敗北感がおれの胸のうちに渦巻いていた。
 雨は、なかなかやまない。