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紅装のドリームスイーパー

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 浩平は金壺眼(かなつぼまなこ)をパチパチとしばたたいた。ようやく通じたようだ。浩平は右足をあげ、靴底にへばりついたガムを見て眉を曲げる。
「まいったなあ、これ。簡単に取れそうもないや。ったく、公共マナーのなってないひとがいるもんだね」
 浩平はブツブツと口のなかでこぼしながら、ズボンのポケットから取りだしたティッシュで靴底のガムをぬぐった。靴底にくっついたガムに悪戦苦闘する浩平を残して、おれはトイレを出た。
 改札の手前で花鈴が待っていた。憂鬱そうな表情。対岸のホームにすべりこんできた電車をぼうっとながめている。はかなげなその姿は、声をかけると消えていなくなってしまうような気がした。おれに気づいた花鈴が弱々しい微笑を浮かべる。
 いまなら浩平はいない。チャンスだ。
「花鈴、さっきのハナシの続きなんだけど、ヘンな夢ばかり見てるって……」
「ごめんね。気にしないで」
 花鈴がピシャリと言い返して、おれの口を封じる。おれがなおも口を動かそうとすると、花鈴は温かみを感じさせる笑みで機先を制した。
「わたしね、高校も新城君といっしょになるとは思ってもいなかったの」
「へ?」
 思いもよらない話題を振られて、おれはうろたえる。
「正直に言うと、城南って新城君の学力じゃムリかなあって思ってたわ。でも、新城君も城南を受けるって聞いて……わたし、うれしかったんだよ?」
「…………」
 おれが背伸びをしても城南を受けようって思ったのは、公立の進学校として大学への進学実績が高かったのも理由のひとつだが、いちばんの理由は、そこが花鈴の第一志望校だったからだ。菜月の死でおれたちの関係はバラバラに壊れてしまったが、不愉快な別れかたをしたあいつだけじゃなく、花鈴とも離れ離れになるのが、おれにはどうにも耐えがたかった。とはいえ、本人を目の前にしてそんな秘密を打ち明ける勇気もなく、どう反応したらいいのかわからなくて、おれはむっつりと黙りこくっていた。
 おれの沈黙をとまどっている、と解釈したのだろう。花鈴は微苦笑を浮かべて、
「ごめん。迷惑だった?」
「いや、おれはそんなこと……」
「やあ、ふたりともお待たせ! くっついたガムを取るの、たいへんだったよ!」
 またしても最悪のタイミングで浩平が割りこんでくる。おれは浩平をにらみつける。浩平はなにくわぬ顔で昨今の公共マナーの低さを嘆き、ガムの投げ捨てとからめてタバコの喫煙も最低限のマナーが必要だとおれたちに力説する。
 花鈴は満面の笑みを浮かべて、浩平の持論に何度も相槌を打っていた。おれは論評する気にもなれなかった。浩平もおれの意見を聞きたいとは思っていないだろう。しゃべるだけしゃべって、ひとりで悦に入っている。
 ……やっぱり最低だ、こいつ。
 ひとしきりまくしたててようやく満足したのか、浩平の舌の回転が鈍ってきた。そのタイミングを逃さず、「行きましょうよ」と促して、駅前のロータリーに面した改札口を抜ける。浩平はケロリとした顔でおとなしくついてきた。
「お墓に供えるお花を買いたいんです」
 という花鈴の申し出を、浩平はすげなく却下した。
「花を置いていく場所なんてなさそうだから、いらないと思うよ」
「でも……」
「それより急いだほうがいい。雨がどんどんひどくなってるみたいだからね」
 浩平の言うとおり、時間が経つにつれて雨は勢いを増していた。ラジオのノイズのような雨音が耳底(じてい)を満たす。アスファルトの路面のあちこちに泥まじりの水たまりができていた。
 傘をさして、歩きだす。駅前から続く二車線の道路にはあいにくと歩道がない。泥でぬかるむ路肩を、三人が一列縦隊になって歩く。先頭が浩平、おれが真ん中、しんがりは花鈴の順。運転の乱暴なタクシーが水たまりの泥水をはねちらかして走り去っていく。自販機が並ぶ小屋のなかに置かれたベンチで、禿頭(とくとう)の老人がとおりすぎていくおれたちを漫然とながめていた。
 霊園の正門から園内に足を踏み入れ、墓石の列のあいだをたどっていく。園内はひと気も少なく、ひっそりと静まり返っていた。樹木の枝葉をたたく雨音だけが耳に届いてくる。ゴミをあさっていたカラスが翼をばたつかせて飛び立ち、灰色の御影石でつくられた墓石のてっぺんにとまる。カラスの真っ黒な眼がおれたちを射抜く。ここはおまえたちが来るところじゃない、と威嚇しているかのようだった。
 菜月のお墓は正門からさほど遠くない位置にあった。緑色がかった御影石が悄然とたたずみ、たたきつけるような激しい雨にしとど濡れている。その墓石のまえに、傘を広げて座りこんでいる人影があった。
 足音でおれたちの接近に気づいたのだろう──墓石のまえにいた人物が立ちあがり、身体ごとこちらに向き直る。
 おれのすぐ後ろにいた花鈴が短く声をあげた。
 菜月の墓のまえにいたそいつ──若い男が、おれたちを目にして顔をこわばらせる。
 短く刈りこんだ髪。陽焼けした浅黒い顔。鼻が高く、頬骨のでっぱりが目立つ、鋭角的な面差し。
 そいつと会うのはほぼ一年ぶりだった。
 糸川大樹(いとかわだいき)。
 おれの幼なじみ。中学時代は野球部のキャプテンを務めていた。野球の名門として名高い県外の私立高校へ進学したのは、甲子園出場という大きな夢をかなえるためだ。
 きまじめで、いつも一直線で、曲がったことが大嫌いな男。
 そして、菜月が死んだとき、おれや花鈴といっしょにその場に居合わせた、かつてのクラスメイト。
 あの事故が原因で、いまはすっかり疎遠になってしまった。その男が、降りしきる雨のなかでおれたちと対峙していた。
 大樹の細い目がおれたちを順繰りに値踏みする。最初に浩平。それから、たっぷりと時間をかけておれをにらむ。
 大樹の険悪な視線とおれのそれが交差する。大樹がチッと舌打ちする。
 おれから目をそらし、今度は花鈴をにらみつける。大樹の鋭い眼差しを浴びた花鈴が苦しげなあえぎ声を洩らす。横目でうかがうと、花鈴の顔は血の気を失って真っ青だった。
「……浩平さん、これはどういうことですか?」
 大樹が声に非難の調子をこめて浩平を問いつめる。傘を持つ手がかすかに震えている。浅黒い頬に見る見る赤みが差していく。大樹は怒っていた。とても偶然とは思えない、おれたちとの邂逅(かいこう)に。
「浩平さんひとりで来るはずじゃなかったんですか?」
 大樹の言葉の意味を、おれは浩平に目で問いただす。浩平は頭をかき、当惑の表情を浮かべた。
「いや、きみたちを仲直りさせたくてさ……。いいかげん、菜月のせいでケンカするのはやめにしたらどうだい?」
「よけいなお世話です!」
 大樹は一喝した。傘を持っていなかったら、浩平に殴りかかっていたかもしれない。それぐらい、大樹の顔は激しい剣幕でゆがんでいた。血走った目が花鈴を射すくめる。花鈴はいまにも泣きそうな顔をしていた。
 大樹が一歩、浩平のほうへ足を踏みだす。気圧(けお)されて浩平が一歩さがる。激した口調で浩平にくってかかった。
「どうしてこいつらを連れてきたんです? 浩平さんひとりで来るって言ってたじゃないですか! ハナシが違いますよ!」
「いや、だからきみたちには仲直りを……」