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冬日三重奏

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教授が嘆願するので応じたら、手際よく、首から乳房の上下、両手を後ろにして縛っていった。手慣れている様子だった。ほかの女たちに繰り返してきたに違いない、嫉妬心は不思議なことに起こらなかった。教授とは長く付き合っていけると思ったからだ。
縄が皮膚を刺激する。この感覚はあの男の時には生まれなかった。
「いろっぽくなったなあ」
教授が女をほめる。
「不穏な美ですか」
女が問いかけると、教授は嬉しそうにうなずいた。
「わかるんか」
教授は、我が意を得たりとばかり、女に微笑んだ。
この場面では男が縛っているが、あくまで女が主人公なのだ。不穏な美を演じている。美として認められている。
「わかってきたんか」
「わかってきました、体で」
「すごいこと言うな」
教授はとても喜んだ。
「硬くなってきたわ」
たしかに、男根のその変化をたしかめられる。
「体の芯にね、火が付いたみたい、燃えてる」
「ええ女や、ええ女になると思うてたけど、ほんとに」
快感の極みで、言葉のやり取りが進む、大発見だった。
教授とつきあって、言葉が豊富になった。概念がたくさん、頭に入ると、落ち着いてきて、言葉を選べるようになる。言葉遊び自体は楽しいが。
男との付き合いが格段にうまくなる。

男性にいたぶられている自分を、もう一人の自分が眺めている。この浮遊感はたまらない。性愛の対象化だと教授は説明した。

自慢の長い髪は無敵だと思ってきたけれど、言葉を使い切れるほど万能なものはないと、今では思う。夫もあの男とも、体と言葉が同時もしくは交互に反応しあうということはなかった。女の自立にとって、言葉は高瀬舟か。
乾いた音が聞こえる。
スイングしなけりゃジャズじゃない、とのつぶやきが聞こえてくる。なんとなくわかるな、と女は自分に言い聞かせた。
高瀬舟で遡行する
教授は三人目の男であるが、頭でセックスし合体できる初めてのタイプであった。女は教授がきっかけで自立したのだ。教授のおかげであるが、教授はまったくそのようなそぶりを見せない。彼女がいるんだろか、と嫉妬心が起こる。しかし嫉妬心は表さない。それは女の自信でもあったし、教授が女の進化にまだ気が付いていないのかもしれない。
受け入れる、受け入れてから、一段階、昇れるかどうか、そこが問題だ。たしかに、初めのころは、男の性欲を満たすというどこか義務的なところがあった。女という生き物は、受け身のまま流されていたり、男の都合のままでとどまることも少なくないが、この女の場合、男をあおり、刺激するという技術を身につけたから、セックスに対して主体的になりストーリーをつくる楽しみを生み出した。
今、振り返ると、家出のきっかけは宗派の若手たちとの九条勉強会からの帰りが遅くなって、深夜に入浴したことを姑に叱られたことだったから、夫が直接の原因ではない。そうであればやり直せる可能性が少しはあるだろう。夫とのセックスも、もっとうまくやっていけると思う。しかし、進化した今では、満足したふりはもうできない。夫への思いを振り切った。夫のもとに戻るという選択はもうなくなっていた。
男の動きを観察し、性交の全過程を客観化できるようになった。この変化は劇的だ。見方、考え方がすっかり変わってしまった。頭がさめてくる。さめてくると、いかなくなる。いかなくなれば、これまでの到達感は嘘だと、気づく。嘘だとわかってくると、暴力的な男からの離脱も始まり、いっそう根本的な女の変化を生み出していく。
女の自立が始まる。そして、あの男は女の変化に、自立心の目覚めを認めようとしないし、気が付かない。歌の文句じゃないけれど、女の方が偉く見えてくる、のは嫌なのだ。男にとって、女は進化しない生き物なのである。部屋さえ出られれば、関係は清算できる。
 不能の男が、女の進化を、自立を促した。自立できたから、夫も、あの男も、今は三重奏となって、女を堪能させている。
ジャズがわかる、と言えるのは簡単ではない。それは、時が過ぎても残っていく大切なものがあるという、平凡だが普遍的なことだ、そこに自分の存在が投げ込まれている主体性が伴えば、必要十分、教授の言葉は極まった。

「先生、ジャジーって、どういう意味」
「そうやなあ、永遠やな」
「そしたら、スイングしなけりゃジャズじゃないは」
「今、やな」

教授が放つ言葉は、女にとって、自分が大切であり、自分を取り戻す過程に有効に作用した。体の中を流れている血液が入れ替わっていくような感覚がある。このような内面の変化は人には悟られない。悟られないから、その変化は主体的だ。
思考が自由になる。自由を手に入れるのはけっして簡単なことではない。思うに、教授が自由な生き方をしているようには思えない。大学で好きな生き方ができるようではないからだ。自由な生き方を女に仮託しようとしたのだろうか。
高瀬川は航路だ。人の生き方は自由に選択できるかに見えるが、前提条件に制約されていて、航路を外れることはなかなかむつかしい。高瀬川の穏やかな流れに、定められた生き方を重ねてみる。高瀬舟は、高瀬川をさかのぼるのが役割だという。川の流れに逆らうように生きることができるだろうか、高瀬舟があれば。女は高瀬舟がもう手に入りそうに思えてきた。
作品名:冬日三重奏 作家名:広小路博