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御手紙 葉
御手紙 葉
novelistID. 61622
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彼は門の前で待つ

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――こんな日に、よりにもよって傘を忘れてしまうなんて。
 私は土砂降りの雨の中、冷え切った体に鞭打って走り続けていたけれど、もう息も切れてへとへとだった。何度もくしゃみが出て、それでもまだ家まで遠く、少し泣きそうになっていた。塾帰りで心底ほっとしたいのに、こんな天気では本当に災難だった。
 そうして薄暗い通りへと入って踏み出した時、ふと足が滑って、私は「きゃっ」と悲鳴を上げた。しかし、バランスを取ることができず、そのまま水溜りの中へと倒れてしまう。顔に泥を浴びて、私は咽返るような土の匂いに、大きく咳をした。
 なんでこんなことになるんだろう。私が何をしたって言うのよ。
 私は今にも泣きそうで、でも自分に喝を入れて立ち上がり、再び走り出した。もうこんなに濡れて汚れたのなら、なりふり構わず走って早くあの子達の元へ帰ろう。そう心に決めると、不思議と胸の奥が熱くなった。
 そんな時、ずっと道の先の、見慣れた石塀の間に、誰かが立っているのが見えた。塾帰りで毎回この道を通る時、その民家の門の前を通り過ぎることがあった。私は闇雲に走り続け、ようやくその門に立つ人影を見た時、はっと息を呑んだ。
「慎二君……」
 薄く暗い中でもその人の顔がはっきりと見えた。彼は傘を差しながらそこに立っていて、私の顔を見つめると、驚いたように目を丸くした。
「相瀬、お前、すごい泥だらけじゃんか! こんな雨の中、傘も差さずに走ってたら、風邪引くぞ!」
「でも……妹達が待っているから」
 慎二君の優しい声に少しだけ安心してしまった所為か、目の奥がジンと熱くなった。
「だったら、傘貸すよ。こっち来て」
 慎二君は私の腕をつかむと、すぐに玄関の方へと小走りに向かっていく。私の腕の泥が慎二君の肌を染め上げたけれど、それでも彼は全く顔色一つ変えず、私を玄関の中へと入れた。私は暖かな空気にほっと胸を撫で下ろす。
「はい、この傘を使えよ。これならたぶん濡れないぞ」
 慎二君は大きめの傘を差し出してくる。私はそれを受け取って、「ありがとう」と鼻を微かに啜り上げる。
「走らないで、濡れないように歩くんだぞ。あ、そうだ。そんな濡れた服着てたら、風邪引くぞ。ちょっと待ってろ」
 慎二君はすぐに廊下に上がり、部屋の奥へと入っていった。私は彼のほっそりとした背中を見つめながら、本当に頼りになる男の子だな、と少し感心していた。人の家に入らせてもらって、おまけに傘まで貸してもらって、その人に感心するのはちょっと何様の気もするけれど。
「ほら、持ってきたぞ」
 慎二君は腕にジャージ一式を抱えて持ってきて、廊下に置いた。
「俺と相瀬、そう背も変わらないし、入るよ、きっと」
 彼はにこっと笑って、突っ立っていたけれど、硬直する私にはっと我に返ったように歩き出した。
「悪い悪い、俺がここにいたら、お前、着替えられないもんな! 着替えたら声かけろよ」
 彼はそう言って跳ねるようにして地面を蹴って、そのまま奥へと入っていった。私はそのジャージを見つめてただただ呆然としていたけれど、すぐにくしゃみをして、着替え出した。玄関口で着替えるのも寒いと思ったけれど、それでも居間からとても暖かい空気が流れてきて、大丈夫だった。
「もう、いいよ」
 私は自分の体にぴったりとフィットしたそのジャージをつかんで確かめながら、ぽつりと言った。
「お、着替えたか。どうだ、入っただろ?」
 彼がすぐにこちらへと歩いてきて、私の姿を認めると、一つうなずいた。
「よし、それなら大丈夫だな。洗濯物はこのビニールの袋に入れて持ち帰れよ。それじゃ、妹さん達のところへ帰ってやりな。心配して待っているかもしれない」
「うん……本当にありがとう」
 私はその袋に洗濯物を入れて、少し俯いた後に、ありがとう、ともう一度つぶやいた。そのつぶやきは春のひんやりとした雨の夜に、少しだけ暖かな風が蘇ったような、そんな冷たさの中に広がる胸の暖かさだった。
 慎二君はうなずき、にっと口の端を持ち上げて笑いながら、扉を開いて私を促した。私はすぐに傘を差し、ゆっくりと門へと歩いていく。少し歩いてから振り返ると、彼はまだ玄関に立ってこちらへ優しい眼差しを向けていた。
 私はぐっと唇を結ぶと、その胸に詰まるような感情を抑えて門を出た。ゆっくりと道路を歩き出しながら、塀沿いに見ると、彼は長い事そこに佇んでいるらしかった。私は彼の優しい心の内が見えた気がして、嬉しくなって歩き出した。
 冷たいアスファルトを這うような足取りから、雲の上を跳ねて渡るような、軽快な足取りへ。私はそうして雨の中のどこか暖かい帰路に就いたのだった。
 それにしても、慎二君はどうしてこの雨の中、門の前に立っていたのかな、と思いながら。

 *

 家に帰ると、扉を開いた瞬間に「お姉ちゃん!」と妹達が玄関に立ち、私を待っているのが見えた。私は思わず嬉しくなって顔一杯に笑みが浮かぶのを感じ、彼女達をぎゅっと抱きしめた。皆も私の背中に手を回して、破顔する。
「こんなところにいて、寒かったんじゃないの? ん、何これ?」
「タオル、使って。体を拭いた方がいいよ」
「うん。ありがとう」
 そう言って、一人一枚ずつ、タオルを受け取って何枚ものタオルで体を拭きながら、私はにっこりと笑って、彼女達を廊下へと促した。
「もう体も冷え切っちゃったし、お風呂に入りましょうね。着替え持ってきて」
「「はーい!」」
 私は妹達にそう大きな声で呼び掛けながら、脱衣場に行ってジャージを脱いだ。そして、それを皺一つないように丁寧に畳んだ。そして、妹達を先に風呂に入らせた後、籠の中に置いたそれをじっと見つめた。
 そして、小さく笑って、少し躊躇した後に、そのジャージに鼻を近づけた。
「少し、汗の匂い……」
 私はそう微かな声でつぶやき、ぎゅっとジャージを抱きしめるようにして握った。

 *

 数日後、塾帰りに私はあの雨の日に通った道をまた歩いていた。新しい大きめのそのビニール袋を見つめながら、慎二君、いるかな、と思って少しドキドキして俯いていた。私は引っ込み思案で、昨日慎二君の家の前を通りかかったけれど、彼が門の前にいなかったので、そのまま通り過ぎてしまったのだ。
 昨日は塾はなく、わざわざ慎二君の家まで来たのだけれど、門を潜ってインターフォンを押して入っていく勇気が出ずに、引き返してしまったのだ。また私の悪い癖が出てしまったな、と少し後悔していたのだけれど。
 そうして「どうかいますように」と心の中で願いながら、その見慣れた門が見えた時、そこに慎二君が立っているのが見えた。私は思わず顔を上げて笑いながら、彼へと近づいていく。
 先に挨拶しようとしたけれど、そのドキドキが残っていて、唇をすぐには開けなかった。それより先に、慎二君が「よう」と歯を見せて笑ったのだった。
「こんにちは。これ、こないだ借りたジャージ。洗って畳んできたから。本当に、ありがとう」
 そう言ってその袋を差し出すと、慎二君は少し照れ臭そうに人差し指で鼻を掻き、「どういたしまして」と明るく笑った。
「誰かを待ってたの?」
作品名:彼は門の前で待つ 作家名:御手紙 葉