キモハラ
「あんなぁ咲ちゃん、おっちゃんの友達で奥さんに逃げられてめっちゃ困ってる奴がおんねんけど、一度壊れた夫婦関係を元に戻す魔法の呪文はないんや」
「はぁ? 何上手いこと言うてるんヒトっさん、妙に切実やし。そんなんわかってるって」
「ほんまか? それやのにお父ちゃんとお母ちゃんを仲悪うしてもほんまに後悔せえへんのか?」
「せえへん、せえへん。それに、ヒトっさんの友達みたいにオカンに出ていってほしいとまでは言うてへんがなウチ。……もしもし? ヒトっさん聞いてるん?」
「あ、あぁ聞いてる聞いてる……わかった。ほな咲ちゃん、お父ちゃんの変な癖ってないかぁ?」
「変な癖? あったらどないすんの?」
「それを咲ちゃんが真似するんや。ほんでお母ちゃんがアンタのせいでこの子がぁ~って、怒り出して喧嘩になるって寸法や」
「お! さすがヒトっさん、めっちゃえぇアイデアやん!」
「ほんなら、肝心のお父ちゃんの変な癖って思い当たるんか?」
「うん、あるある。うちのオトンな、めっちゃ箸の持ち方下手やねん。ぎゅーってグーで握ったみたいに持つんやで」
「へぇ~、たまにいてるなぁ……そんな人」
「よっしゃ、早速今日の晩ご飯の時に試してみるわ。ありがとうヒトっさん、また報告するなぁ」
「うん、ほなな。でも無理に電話してこんでもええんやでー」
このぐらいのゆるい感じならいいだろう。仲のいい夫婦なら大した揉め事にはならないだろうし、街の相談員としては、とにかく相談者に納得して電話を切ってもらわなければならない。
*
(プルルルルルーープルルルルルーー)
(ガチャ)「はい、こちらナンデモ相談窓口、田中です」
「もしもしヒトっさん?」
「おぉー咲ちゃんか、あれからどうやったん?」
「どないもこないもあらへんわ、作戦大失敗や。ウチめっちゃオカンに怒られたし」
「えぇー! 大失敗やって!? 何でなん詳しく話してみて」
「うん……あんな……」
私は怒られてしまったという咲ちゃんの返事に驚きと申し訳なさを感じながら、続く話に耳を傾けた。
「ウチ、早速あの日の晩ご飯の時にオトンの箸の持ち方真似してみてん」
「ほうほう、それで?」
「そしたら、いきなりオカンの平手がウチの顔に飛んできたんや、バッチーンッてな」
「えぇーー、咲ちゃん叩かれてしもたんか!? こりゃおっちゃん申し訳ないアドバイスをしてしまったなぁ」
「ええねんええねん。親に叩かれたのなんか生まれて初めてやったから、痛いというよりビックリしてしもたんやけどな……今は納得してるから全然大丈夫やで」
「ごめんなぁ、ホンマにごめんなぁ。ほんでも、納得してるっちゅうのはどういう意味なん?」
小学生の女の子が親に初めて叩かれたにしては、ふて腐れる所かむしろスッキリとした雰囲気さえ感じられる。
「昔な、ウチがまだ保育園くらいの時に家族でホルモン食べに行ったんやって。全然覚えてへんのやけど、そん時にバイト君が鉄板を交換に来たんやって」
「あぁ、おっちゃんもホルモン大好きやけど、鉄板すぐに焦げてまうからなぁ」
「それで、あかんのにウチがそのバイト君にちょっかい出して……」
「まさか……」
「うん……熱々の鉄板がウチの膝に落ちかけてな、オトンが咄嗟に掴んでくれたんやって。素手で鉄板持ちながら、咲、大丈夫やったかって……」
「いくら親でも、それは中々できることちゃうでぇ咲ちゃん」
「そうやんなぁ、普通素手で鉄板握らへんやんなぁ……。そんで右手に酷い火傷したオトンは、それ以来箸をグーでしか持たれへんようになったんやって」
「そうか、そんな理由が……。そりゃ、それをふざけて真似したらお母ちゃん怒るのも無理ないわぁ~」
「ヒトっさんがやれ言うたんやんか!」
「……面目ない」
「ハハッ、嘘嘘! ヒトっさんには感謝してんねん。おかげで色々知らんかったことまで分かったしな」
それから咲ちゃんは嬉しそうに教えてくれた。この事を思い出して責任を感じないように、お父ちゃんが咲ちゃんとは手を繋がなくなったこと。
手の不自由なお父ちゃんを助ける為に、毎日お母ちゃんが一緒にお風呂に入っていること。掌の火傷が見られないように、咲ちゃんの前ではいつもお母ちゃんと手を繋いでいること。
「でもなヒトっさん、オカンこんな事も言うててん。自分がお父ちゃんと手を繋いでるんは、アンタを守った勲章の付いてるこの手が愛しいからやって」
「うん……うん……そうや。立派な勲章や」
「フフ……結局は、ラブラブのキモハラや」
最後にそう笑って咲ちゃんは電話を切った。
*
あれ以来、咲ちゃんから電話が掛かってくることもなくなった。少し寂しくも感じるが、電話相談なんて本来必要ない方が幸せなのだ……と私が言うのも何だが。
さて、今日は七月七日の七夕祭りだ。この町役場には、毎年恒例で小学校から盛大に飾られた七夕飾りが運ばれてくる。
ん? その中に一際元気のいい文字で書かれた短冊があった。
「フッ、なんや気付いっとったんかいな……」
そこには大きすぎる程の文字でこう書いてあった。
『どうかヒトっさんの奥さんが帰ってきますように! 久保田 咲』
ありがとう咲ちゃん……。おっちゃん、久しぶりに織姫さんに会いに行ってみようかな……。
〈了〉