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貧者のシナリオ

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 ガイアという男がいる、本名は知らない。年齢は二十三歳で、すらりとしていて、目が鋭く、非常に知性的な顔をしている。僕はガイアと何度となく会っているが、彼の内側には得体の知れないものが潜んでいる。それは温もりであったり、冷たさであったり、滋養であったりする。言葉では捉えることの難しい男だった。
 僕とガイアとの出会いは、三ヶ月前に遡った。彼は出会ってまもなく、「本当の名前は、語りたくない」と言った。僕は不思議に思ったが、彼が教えたくないのであれば、仕方のないことだった。
 彼は色白で、サングラスをかけている。ブルガリのハーフミラーのサングラスで、ゴールドのネックレスを身につけていて、腕時計はオメガだった。身なりだけで判断すると、彼はチャラく僕の目に映った。
 僕は彼に、ブランド志向なのか? と尋ねた。彼は首を振った。「全部、良くできた偽物だよ。ブランドは偽物で十分なんだ、僕はそのデザインを気に入っているだけだからね」彼は笑って、ブルガリのサングラスを外して、首下に引っかけた。
 彼はもっとも偽物を買う必要がないぐらいに、金持ちだった。自身は仕事をしていない、しかし、実家が資産家だった。彼の父親は横浜で貿易商を営み、母親は気鋭のファッションデザイナーだった。あるいは、偽物を身につけているというのはジョークだったのかもしれない。僕はブランドに詳しくはなかったが、オメガの腕時計の輝きは高級感漂い、ブルガリのハーフミラーのサングラスは、蛍光灯の下で神々しく輝いていた。
 どう見ても、本物のブランドが持っている確かなひかりだった。
「折り入って、話がある」とガイアが言った。
 そのとき、ガイアの目が冷たくひかった。何か、僕の思いもよらないものをきっと考えているのだ。僕はコークハイを飲み、彼の様子を伺っていた。
「ある女と会って欲しい、会って、デートをして、ホテルへ行く。ホテルでは、セックスをしても良いし、あるいは、何もしなくてもオッケーだ。報酬は弾む、わりの良いアルバイトだと思って欲しい」
 僕はその申し出に驚いた。セックスをしても良いし、しなくても良いというのがいまいち良く分からなかったし、嫌な予感がした。その女はいったい、何を求めているのだろうか。ガイアにとって、そうすることで何の得になるのだろうか。
 その女は二十八歳で、商社のオフィスレディー。ガイアは僕に写真を見せた。清楚で、飾り気のない女の子だった。女優の誰かに似ているが、誰だったのか思い出すことができなかった。
 ガイアとの繋がりは、元々彼の恋人だったということだった。学生時代の恋人で、わずかな時間だが付き合って、少しだけ彼女の家で一緒に暮らしたという。別れたきっかけは分からない、彼はそのことについては口をつぐみ、語ろうとはしなかったからだ。彼女の名前は町谷恵。
「さすがに、元の恋人だったら、君の本名を知っているんだろうね?」
「知らないよ、僕は滅多に本名を明かさない。ガイアという名前が気に入っているんだ。彼女は悪い女じゃないし、どうだろう? ひとつ引き受けてはくれないか?」
「理由を訊かせて欲しい」
 彼はこの上なく優しい視線を僕に送った。それは、人工的な視線だった。少なくとも、自然の感情が元にはなっていないようだった。
「彼女は誰かの子供を堕胎した。誰の子供かは、よく分からない。彼女はそのことでショックを受けている。おなかの子供の命を絶ってしまうということは、例えようがなく哀しい重みを孕んでいる。君は、何も考えなくて良い。ただ、デートをしてホテルへ行くだけで良いんだ。ホテルは僕の方で、予約をしておくし、デート代を渡すから」
 彼はそう言って、黒の財布を取り出して、五万円を僕に手渡した。「報酬は、また別途支払うことにする。僕では、君の代わりにならないんだ」
「会うのは構わないが、どうしてホテルへ行く必要があるのだろうか?」
 彼は不適な笑みをこぼした。空気が凍り付くような、雰囲気の笑みだった。ねっとりとした、薄笑いだった。
 それは、彼女があくまで男性との性的な行動を求めているからだよ、とガイアは言った。「セックスを貪るように、行っていた。僕との同棲のときもそうだった、僕がくたくたになるぐらいにセックスをしたものだよ。オフィスレディーの化けの皮を被っているがね、彼女は性に貪欲だった」
 僕は頷いた、返事に迷った。彼は前髪を指で梳いて、じっとテーブルの上のジン・トニックを見つめていた。
「セックスはしない、それを承諾して貰うのなら、僕は受けても構わないと思っている。きっと、その女性は寂しいんだろうね。寂しいというのは、人生を駄目にする。台無しにするし、未来の展望を徐々に奪っていく」
 彼は僕の言葉を聞いて、何か考え事をしていた。彼の色の白い皮膚が、薄暗いショットバーのひかりに濡れて、怪しく輝いていた。僕はポケットからマールボロを取り出して、彼に勧めた。彼はマールボロを口に加えて、プラスティックのライターで火を点けた。薄い煙が、立ち昇っていった。
「構わないよ、君の気持ちがそうなっているのなら。ホテルは念のために予約をしておく。使わなくても良いし、使っても良い・・・・・・」

 その日は秋の寒空の土曜日だった。僕と恵は新宿の西口の改札で、待ち合わせをしていた。彼女は灰色のダッフルコートと赤いマフラーをしていて、爪には薄いピンク色のネイルをしていた。
「初めまして、川口亨さん」彼女はにっこりと微笑み、口を結んだ。唇には、ルージュがひかっていた。
 先日、見せて貰った写真の通り、清楚な空気を身にまとっていた。瞳は思慮深く、全体として透明な雰囲気に包まれている。
 彼女は取り立てて美人というわけでもなかったが、一緒に歩いても悪い気持ちはしない女性だった。
「ガイアから話は伺っています。今日、一日よろしくお願いします」
 僕と恵は、西口の近くにある喫茶店に入った。喫茶店は、空いていた。僕らは窓際の席に座った。ウェイトレスがやって来たので、ホットコーヒーを二つ注文した。
 僕は自己紹介をした。行っている仕事のことや、年齢、趣味、信条、云々。僕の年齢は三十歳で・・・・・・、といったことを話しているうちに、僕は急に不安になった。この目の前にいる女の子は、今までいったいどういう男と会って、恋愛をして来たのだろうか。彼女の目には、僕という人間がどのように映っているのか。こめかみの奥が、ひどくうずいた。僕は深呼吸をして、リラックスしようとした。
「ガイアから私のことをどう伺っていますか?」と彼女は質問した。柔和な笑みを浮かべていた。
 ウェイトレスがやって来て、ホットコーヒーをテーブルの上に置いた。僕はカップを手に持って、ホットコーヒーをすすった。香りの良い、味わい深いコーヒーだった。
 僕はガイアから耳にした情報を正直に話した。誰の子供か分からない子を妊娠したことや、堕胎したこと、ガイアと同棲を短い期間行っていたこと。
「彼との同棲は、空虚な青い夢のようでした」と彼女は言った。
「どうして?」僕はぽつりと訊いた。
作品名:貧者のシナリオ 作家名:Murakami.Lia