影さえ消えたら 6.暴露
土手の上から、小さい隼人と綾女を探す声が聞こえてきた。町内の隣人たち総出で探しているのか、男たちの野太い声が徐々に近づいてくる。
「……うちがおったらややこしなるし、先に戻るわ」
そう言って綾女が体を離した。真っ赤に泣きはらした目をしていたが、澄んだ夜空の色が瞳に映りこんで見えた。
「……もう消えたり、しないよな?」
「せえへんて。心配症やなあ。隼人は残って、事情を説明したりや」
さっぱりとそう言うと、橋にむかって歩き出した。一抹の不安が残るものの、泥まみれになった小さい隼人と綾女だけを残しておくわけにもいかない。
「さあ、最後に一仕事だ」
そう言って小さい綾女を見下ろすと、彼女はこくりとうなずいた。今の彼女が何をどこまで理解しているのかわからなかったが、もう過去に戻ってくることもないだろう、と隼人は思った。
土手の上にむかって、隼人は声を上げる。それに続いて小さい綾女も叫ぶ。すると数人の男たちが隼人の存在に気づいて、土手を駆け下りてきた。
全身びしょ濡れになって眠ったままの隼人と、泥だらけで裸足の綾女と、さらに全身傷だらけの成人の男を見て、彼らはすぐに状況を察したらしい。綾女は怒られるのではないかと身を縮めていたが、近所に住む女性の一人が泣きながら彼女にしがみついた。別の男が小さい隼人を背負い、土手の階段を登り始める。
彼らのあとに続きながら、もう元の時代に戻ってもいいだろうと胸をなでおろしていると、隼人の母親が走ってきた。顔面蒼白で小さい隼人の顔をのぞきこみ、瞳から涙をあふれさせる。
「ほんまにもう、どうお礼を言うてええか……」
ぐしゃぐしゃに泣き崩れた彼女の対応に困っていると、うしろから車いすに乗った父が姿をみせた。
にこりと笑った彼は、死の際にいるにもかかわらず、父親の威厳に満ち溢れていた。けれどそれはずっと恐れていたものではなく、息子への慈愛にあふれた笑顔をしていた。
「君が助けてくれたんやな。ありがとう」
父が手を伸ばしたので、車いすに乗っている彼に合わせるように隼人は身をかがめた。
彼の手をぐっと握った途端、全身に張りつめていたものがふっと消えた気がして、隼人は糸の切れた人形のように彼にもたれかかった。
「無事助けられて……ホッとしました」
何があって誰を助けたのか、隼人は何も言わなかったが、父は全てをくみ取るように肩をさすってくれた。痩せて薄くなった手のひらには、まだ父の命の温かさがあった。
「隼人……ほんまにええ男になったなあ……」
そっと耳打ちするように、父は言った。目の前には、尊敬していた父の笑顔があった。ずっと彼のようになりたかった、彼の期待に応えたかった――
父が死んだあの日から凍結していた感情が、見る間に溶けだしていく。どんなにつらいことがあっても絶対に泣いてはいけないと何度も言い聞かせたあの日々が、霧のように夜空に散っていく。
隼人は父のやせ細った足に顔を伏せた。一度溶けだした涙は、どうやっても止まってくれそうになかった。
作品名:影さえ消えたら 6.暴露 作家名:わたなべめぐみ