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てっしゅう
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「歴女先生教えて~」 第三十二話

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「そうね、どこまで文献を信用するかだけど、彼は戦い方を熟知していたと言う事ね。中国の有名な軍司である諸葛孔明(しょかつこうめい)のような感じだと考えるわ。実際にね少人数の兵力で北条軍を破ったし、反旗を翻した足利軍もさんざんにやられて九州へと追いやった。この時点で後醍醐には敵なしの状況を作ったのだけど、正成は今が足利軍との和平を結ぶ時です、と進言した。もちろん傲慢な後醍醐はあんな奴は九州へ追い散らしたから恐れるに足らずと失笑した。しかしね、再び全国の武士たちにおれが奪い取られた所領や役職を奪い返すから、味方になってくれと呼び掛けて、源氏の血を示したの」

「先生、源頼朝の決起と似ていますね」

「高木くん、いいところに目を付けわね。その通りよ。歴史は繰り返されるの。九州に逃れて一年後に再び決起した尊氏は大軍を率いて京都に攻め上ってきたときに、後醍醐は楠木正成の戦略を否定したから、彼は神戸の湊川というところで討ち死にした。当然京都は足利尊氏に占拠された。教科書にはこのように書いてあるわ」

*1336年(建武三年)、京都を制圧した足利尊氏は、持明院統の光明天皇(こうみょうてんのう)を立て、幕府をひらく目的のもとに当面の政治方針を明らかにした建武式目を発表した。これに対し後醍醐天皇は京都を逃れ、吉野の山中にこもって、正統の皇位にあることを主張した。ここに吉野の南朝(大覚寺統)と京都の北朝(持明院統)が対立して、以後約60年にわたる全国的な南北朝の動乱がはじまった。(詳説日本史 改訂版 山川出版社)

「後醍醐天皇は破れたのに捉えられなかったのですか?」

「そうよ、そこが尊氏の一番の失策ね。本来なら鎌倉で幕府をひらきたかった尊氏だったけど、京都を離れられなかったの。それは吉野の南朝に見張りをしていないといつ京都へ戻ってこられるかわからなかったからなの。尊氏の優しさが裏目に出て室町幕府はその権威を保つことが出来なく、やがて長い戦乱が続く応仁の乱へと向かってゆくのよ」

「室町幕府が弱体化したのは南北朝のせいだったのですね?」

「渡辺くんの見方は正しいわ。鎌倉幕府が京都の六波羅に出張所というべき六波羅探題(ろくはらたんだい)を置いたように、尊氏も鎌倉に出張所の鎌倉公方(かまくらくぼう)を設置したけど、京から遠く監視が行き届かなかったことと、関東の武士たちの中には自分は将軍と同じ地位だと言うものが現れて、都との争い事が始まった。さらに南北朝の天皇家に分かれて豪族たちがそれぞれの天皇に味方するようになってゆくから、日本は二つに分かれて相続問題などから争い事が長く続くようになったの」

「これに終止符を打ったのが織田信長だったのですね」

「そうね、戦国時代と呼ばれる中で台頭したのが信長だった」

終業のチャイムがここで鳴った。