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てっしゅう
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「歴女先生教えて~」 第三十二話

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拓真から高木の両親に会うと聞かされて少し心配していた美穂はその事が顔に出ないように心がけて、修学旅行前の授業に出た。

「起立!礼」

「おはよう、着席してください。今日は前回後醍醐天皇が行った建武の新政が何故長続きしなかったのか考えましょう。大きな原因は戦った武士たちに当たり前の論功行賞をしなかったことにあります。朝廷で後醍醐側に着いた公家を手厚く優遇したから足利尊氏を始め鎌倉を討ち破った武士たちは不満が噴出していたのね。なぜ武士たちに褒美を与えなかったのかと言えば、朱子学で言う政は天に選ばれた天子、つまり後醍醐天皇自身がなすべきものだという信念があったと思うの。足利尊氏は元の名前高氏から、後醍醐天皇の本名尊治から一字を貰って、尊氏と変えたぐらい天皇からは懇意にされていた。しかしね、それと武士が穢れている存在、いわば所詮雑役だけやっていればいいという差別的な考え方は別になっていた。尊氏は自分たちが争いごとの取りまとめや、経済的なことはやりますから、天皇は御所でごゆっくりなさってください、と進言したんだけど撥ねられたの」

「それで尊氏は反旗を翻したのですね?」

「そうね、教科書にはこう書いてあるわ」

*天皇中心の新政策は、それまで武士の社会につくられていた習慣を無視していたため、多くの武士の不満と抵抗を引き起こした。また、にわかづくりの政治機構と内部の複雑な人間的対立は、政務の停滞や社会の混乱を招いて、人びとの信頼を急速に失っていった。このような形勢を見て、ひそかに幕府の再建をめざしていた足利尊氏は、1335年(建武二年)北条高時の子時行(ときゆき)が反乱をおこして鎌倉を占領した中先代の乱を機に、その討伐のため関東に下り、新政権に反旗をひるがえした。
(詳説日本史 改訂版 山川出版社)

「後醍醐天皇はこうなることを予測できなかったのでしょうか?」

「渡辺くん、いい質問よ。ここで登場するのが楠木正成なの。彼は朱子学を理念としているから恩賞など不要だった。天皇のしもべとなることが本懐だと考えていたのね。後醍醐はこの連戦連勝した戦の天才を配下にしていたから、尊氏に征夷大将軍を与えずに、自分の息子の護良親王(もりよししんのう)にその官位を与え、正成と組んでやれるものならやってみろ、という気持ちだったと考えられるわ」

「そんなに楠木正成はすごい人だったのですか?」