夏空少年
未来少年
まだほとんど白紙の400字詰作文用紙がローテーブルの上に放り出されていた。
それを拾い上げて眺めて見る。
ドアが開いて、グラスになみなみと注がれたコーラとスナック菓子を盆に載せた宿原が戻ってきた。タイミングいいな。
俺は手元の紙を感情を込めて読み上げる。
「『将来の夢』
二年五組 宿原海斗
僕の将来の夢は」
文はそこで途切れていた。
宿原がこれまた感情を込めて引き継ぐ。
「医者になることです。」
「へー、家継ぐんだ」
ゴト、とローテーブルに盆が置かれて、宿原がスナックをつまむ。
「もっと夢はでかくいこうぜ。プロ野球選手とか」
「高橋の方がいいんじゃねぇ?」
「おいおい、俺はお前に打たれっぱなしだろ」
勧められてコーラを一口飲み、自分のワンショルダーリュックをまさぐって作文用紙を取り出した。
「こっちも将来の作文出たぜ」
スナックをサクサクやりながら宿原が反対の手でそれを受け取り広げた。
「おー、『将来の夢について』
二年三組 高橋佑夜
僕の将来の夢は」
ニヤニヤしながら宿原はまたそれを元のように折りたたむ。
「さすがだな、俺と同じとこまでしか進んでねぇ」
「いいんだよ、先に読書感想文やるから。・・・あ、そっちは出てないのか」
コーラを飲みかけていた宿原は頷いてから少しむせた。
「まあでも、プロなんて言う奴なかなかいないけど・・・一人いたか」
「誰?」
俺はさほど厚くないハードカバーから目を上げてたずねた。
「ウチの投手様さ。お前のライバル?」
「ああ、上野か・・・。俺があいつに勝てるわけねぇって」
宿原はあまり上野のことを名前で呼ばない(いつもあいつとかお前とかで呼んでいる気がする)。
自分の、それも叶うかどうか分からないような夢を簡単に口に出す親友を、宿原は少なからず気に入っている。そしてそれと同じくらい、上野のことをうらやましく思っているのだろう。
もし宿原が家を継いだら、あの大きくて白い病院は宿原のものになるのだ。それがとても不自然に感じた。
気付いたら俺の目はろくに字を追っていなかった。手元の青いハードカバーのページはあまり進んでいない。
宿原は宿題すらしないで、紙飛行機を部屋の向こうのサンセベリア(姉さんのお古らしい)に飛ばしていた。
こいつには、やりたいことがあるんだ。
さっきから作文が一行たりとも進んでいないのも、サンセベリアを見ているようでその実は隣のドラムを見ているのも、そのせいだ。
本当の夢を宿原が口にしたことはない。だってこいつはかしこいから、言葉にしたら、少しでも考えてしまったら、ずっとそれを追い続けてしまうと、わかっているんだ、きっと。
俺がその均衡を崩したら、どんな顔をするんだろう。
怒るかもしれない、失望するかもしれない。
だけど、宿原が夢を語る上野をまぶしいように見ているのを見ると、なぜか、心の中をかき乱されて、複雑な気持ちになるんだ。
だって心の奥ではずっと、求めていたんだろう?
だから俺はその、嘘の夢を壊すよ。
結局それは全て俺のエゴなんだと思うけど。
こいつの為なら、悪役にでもなってやる。
「なあ、やっぱりお前は白衣よりも、路地裏のミュージシャンの方が似合うよ」
宿原は目を僅かに見開いて、薄っぺらい笑みを浮かべた。
「・・・バカ言ってんじゃねぇよ」
その声は、少し震えているような気がした。
夏休みの終わり頃、俺はまた宿原の家を訪ねた。
この前と同じローテーブルの上の作文用紙は、結局あの時のまま、文は止まっていた。