『遥かなる海辺より』第3章:エピローグ
半月後、曲は領主スノーフィールド伯に披露された。いたく心を動かした伯はエリックの発案どおり笛のパートを二人で吹ける形に編み直させた上で、この曲を課題曲とするコンクールを開催した。国内外を問わず多くの名人たちが集まり、得意とする曲に加えてこの曲を演奏した。二人用に編曲されたことで見かけ上の難易度は下がっていたものの、その美しさと内容の深さが多くの名人たちを、そしてその演奏を聴いた人々を魅了した。曲の由来は何一つ明かされなかったが、楽譜を自由に持ち帰ることが許されたため曲の素性を探ろうとする機運が盛り上がることはなく、それまで極北の辺境都市と見なされていたスノーフィールドは、高い文化水準を誇る伯爵領としての名声を大いに高めた。
こうして名人たちが各地に持ちかえったことで、この曲は広く知られるに至った。その美しさを多くの人々が愛で、哀しみと慰謝の交錯に慰められ力づけられた人々の心の宝となった。
それらの名人たちの中に、最も曲の本質に迫った者がいた。彼は曲の由来を何一つ知らぬまま、それでも曲中に世代を超えて継がれてゆくものの存在を感じ取った。彼は二つの笛のパートの分担を変えた。冒頭にしか登場しないパートを弟子が受け持ち高い表現力を要する主たるパートを名人が吹くのが通例だったこの曲を、彼はあえて弟子に主たるパートを受け持たせることでその表現力を高めるために用い、一人立ちする者に楽譜の写しを与えるようになった。弟子たちが師匠にならったことで、この曲は受け継がれる技と伝えられる心の象徴としても重んじられるに至ったのだった。
その御前演奏から半年後、一同はかつてヴァルトハール公国があった土地にいた。諸国での暗躍中に突然祖国が滅亡したことで家族もなにもかも失い投降したかつての間者たちは、恭順の誓いを守りつつ困難を克服して小さな村を再建していた。一行はその視察の任務を終え、明朝この地を旅立つことになっていた。その日の夕刻、彼らは人魚に別れを告げる最後の墓参をした。
ルードの村から引き離され死んだ人魚の墓は、小川のほとりの最も見晴らしのよい場所に築かれていた。彼女の死の生き証人となった黒髪の尼僧は、流れのゆく先を最も遠く見晴らせる所を選び骸を憩わせ、かつての間者たちも祖国の滅亡と村の起こりを告げる特別な場所として、その地を整備していた。簡素な台の上に横長の白い墓石が、遥か彼方の海に向けて置かれていた。
斜めに傾ぐ陽光はまだ赤く染まり始めておらず、草原に映えて金色のさざ波のように散乱していた。低い土台は影に沈み墓石の白さを際立たせていた。ルヴァーンの手記に接した一同の目に、それはありし日の人魚の影のように感じられるのだった。
メアリが竪琴を爪弾き、セシリアの笛が和した。その場の人々のすべての思いを乗せ、遥かなる海辺より生み出された人魚の歌はいま、この場でしかありえぬ哀惜に満ちた調べとして、かつてそれを歌った人魚の霊に手向けられるのだった。落日が空と草原を真紅に染め、やがて銀の砂を散らしたような星空に変じる中、立ち去り難い人々の心を映す調べは何度も何度もくり返されるのだった。
終
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作品名:『遥かなる海辺より』第3章:エピローグ 作家名:ふしじろ もひと