擬態蟲 上巻
4 桑畑権蔵と南蛮渡来の妻、双子の娘たち
【擬態蟲】4 桑畑権蔵と南蛮渡来の妻、双子の娘たち
http://www.youtube.com/watch?v=unVrtLrrUQE&feature=relmfu
KHACHATURIAN Nocturne from MASQUERADE-Suite
桑畑権蔵には妻がいてふたりの子供がいた。
しかし、くにざかひの川縁の別棟に住まわせ、表立って出てくることも少なかった。
というのも桑畑権蔵の妻というのが、南蛮渡来のおんなで。
比律賓とか印度尼西亜とかあちらの人で、肌の色があさぐろいがなかなかの別嬪と云う噂だった。日ノ本の言葉もわからずに、女衒に連れてこられたのを権蔵が気紛れか、本気か気にもせず囲ってしまった。
そのときの女衒が熊山で、その後、傘下の海運會社の社長に納まった。
婚姻関係があったのかどうかは誰の知るところではないが翌年には双子の女の子が生まれた。南蛮渡来のおんなが女の子を産んでから、権蔵はこの女をジャケに扱うようになった。権蔵は我が人生を後ろから眺め、慕い、後を継ぐものを求めていたのだが。
“おんなじゃぁ、嫁にとられて仕舞いじゃないか。
しかもこんな色黒の娘っこ、誰が嫁にもらうかい!“
と悪態をついた。
もう5〜6年にもなるが、南蛮渡来のおんなは産後の日立ちも悪く病床に臥せることが増えて、ことばも習慣も不自由なまま、遠く故郷を離れ娘二人と倹しく暮らしていた。くにざかひの川渕の崖の上に離れを設け、そこに住まっていた。食事は女中が毎食運んでいたが、あるとき女中が怪我をしてしまい運べなくなった。かといって男たちに運ばせる気にもならなかったのか。桑畑権蔵は善一に飯を運ぶように言いつけた。
夕方になると千吉は重箱を包まれた風呂敷を持って川沿いの坂を竹やぶに沿って下りながら右に巻いて降りてゆくと粗末な小屋がある。
川っ縁の崖の中腹に突き出すようなかたちで建てられた小屋で以前は物置小屋として使われていたのを改造したのだという。
小屋の前には小さいながら畑があり、なんだかわからなかったが植物が植えてあった。それを横目に善一は小屋の玄関の戸を開けた。
「お夕飯お持ちしましたぁ〜っ」と声を張り上げると奥から双子の娘たちが出てきた。5-6歳だろうか、南国風の顔つきの女の子が薄汚れた着物を着て並んで立っている。
「いつもの女中さんじゃないのね」
「あぁご苦労様・・。」
表情を変えずにしっかりと目線を善一に合わせて明瞭な声で言うので、善一のほうが驚いてしまった。
「ところで、いつもの女中さんに伝えていたのだけれど・・」
「母のシルフィアの体調がとても悪いのでお薬をお願いしたのだけれど・・」
二人の姉妹はまるで息を合わせたかのように善一に語りかけるので
善一は思わず後ずさりしてしまう。
「いや、僕はそのことは知りません。薬よりお医者様を呼びましょうか?」
すると双子の姉妹は独特の発声の仕方と、片言のような話し方で話す。
「いいえ、母のシルフィアは、日本のお医者様の治療では治りません。」
「そもそも日本のお医者様が、私たちの母を診断してくれるでしょうか?」
いや宿場のお医者様は誰も分け隔てなく診てくれるはずだ、え、ちがうのか?千吉は初めて接する純粋ではない日本人との間に、深い溝を感じた。
民族的な“違い“が極めて卑怯な手段を持って・・差別をするのか。
人格者と信じていたお医者さまですら。なにか足元から崩れるようなものを感じて、しかしそれが“おとなの世界“なのだ。と納得した・・気を決め込んだ。
しかし病人がいて困っているのだから。
善一は至極当然のつもりで顎を上に向ける。
「でも体調が悪いのなら・・」といいかけると、双子は下を見る。
「正直に言えば、薬も拒絶しているのです。しかし食事に混ぜて飲ませれば。」
「ずっとそうしてきたのですが・・。恐らく母のシルフィアは最期が近いのです。」
こんなに人の死が近くにきたことは無かった・・。
善一は驚くが、それなら躊躇することなど無い。と考えた。
そして、付き人の自分にならそれは可能なことだ、と思えた。
「そんなに悪いなら・・旦那様を連れてきましょう!」
「え?」双子は顔を見合わせた。
「あなたは私たちが怖くないの?」双子が善一に尋ねた。
呆気にとられた善一は怯むことなく「なぜ?」と聞き返すと
双子は「みんな、私たちを怖がるから。海の向こうから来た南蛮渡来の魔女だからって。」
と言い返す。
「君たちのお母さんは海を越えてこの里に着たんだろうが、君たちはここで生まれたんだろ?」
双子は目をぱちくりとさせた。
「南の国の人だろうとこの国の人だろうと関係ないじゃないさ。辛いときは一緒さ。もしも・・もしもぼくが大きくなって君たちの島に行っても仲良くしてほしいもの。」
双子は善一の言葉に驚いているようだった。
「だから・・。だから・・旦那様を連れてきますよ!」
「旦那様なら、お医者さんにも診せてくれますよ、きっと!」
そういうと母屋に帰っていった。