擬態蟲 上巻
10 桑畑権蔵の悪夢
【擬態蟲】10 桑畑権蔵の悪夢
http://www.youtube.com/watch?v=3qaQXk-fKdc
Moura Lympany plays Aram Khachaturian's
Piano Concerto - 2nd Mov. (1/2)
権蔵が二階に上がると唐風の寝台に二郎翁は臥せっていた。
二郎翁は権蔵を見ると身体を持ち上げた。
年齢相応の震える弱々しい声で権蔵に声をかける。
「権蔵よ。大丈夫か?愛娘たちに刺されたと聴いたぞ。」
「ええ、まぁ。だがたいしたことはありません。それより父上お加減はいかがですか?」
「いやぁ変わらんよ。良くも無いし悪くも無い。これも歳のせいだ。」
齢九十を前にした割には、元気なものだ。
寝台から軽く立ち上がり身支度を整えながら、二郎翁は権蔵に葉巻を勧める。
「すいません、いただきます。」
二人は葉巻の煙を燻らせながら、語り合う。
権蔵はこれが只の葉巻ではないことをすぐにわかった。
親父様は、阿片を嗜んでいらっしゃる_。
「どうだ、商いは?」
「順調ですわぃ。皇国のために励んでおります。」
「ほぅかぃ。いいことよ。
御世の為、人の為、ひいては皇国のために仕事を為す事は素晴らしい。
それはそうと、南蛮渡来の女との娘にそんなことされた後なら女は選ばねばな。」
「といいますと?」
「わかっておろう。いい種をいい畑に撒かんといいものは出来んでしょ。
そういうことだ。畑が悪かったから、おまえはこんな目にあったのだろう。
悪い畑からはいい作物は育たん。
子をなして、多くの子をなしてこそ皇国の御世は永遠に保たれるのだ。
だからこそ畑選びは慎重を期さねば。な。」
「えぇ、身をもって学びましたわぃ。」
二人は見合いながら大笑いした。
「わしを見よぃ。齢九十を目前にして、
桑の実とおかいこさまの蛹を毎日毎晩食している御蔭で、いまだ元気で居れる。
もちろんそれだけではない。畑にも恵まれてな。
毎晩、励んでおるわ。」
この歳にしてまだまだ助平な爺ぃよ。
微笑ましいではないか。しかし。どこの畑よぉ。
「権蔵よ。まぁだ南蛮渡来だの、舶来の女にうつつを抜かしておるならよ。
そろそろ真面目に考えい。どうだ杉原の船大工の娘あたり、娶ってみちゃァ。」
「ありゃぁケツの小さな女ですからなぁ・・ところで親父様、表に居たお女中は・・」
と、権蔵が切り返した途端、温厚で通っていた二郎翁が烈火の如く怒り出した。
「絹代はいかん!ありゃぁいかん!」
あまりに唐突で権蔵は驚いてしまった。
「いや親父様のところのお女中を手篭めにしようなんて決して思いませぬ。」
「当たり前じゃ。あの絹代だけはいかん。」
「ところで、どこぞの名のあるお家から雇われたんですかぃ?」
「聴くな。絹代はそんなものではないわ!」
一途に話をしたくないらしい。
「あのむすめに遭ったことを忘れるのだ。いいな!」
ははぁ・・自慢の畑はあのむすめか。
権蔵はにこやかに軽く頭を振りながら
「そんなぁつもりはありゃぁしませんよぉ。
そんなことより親父様の卒寿を祝おうと思いましてな。
どうでしょう温泉にでも足を伸ばしませんかい。
どうせなら箱根なんぞよりお諏訪さま詣りを兼ねて諏訪湖辺りまで。」
「ははは、そういうことならよ。いやぁ・・だがワシも歳だからよォ・・。」
「それならお女中もご一緒されればよい。」
すると二郎翁は一瞬考えたようで壁を見やるが・・
「いや、絹代は出かけない。だからワシも出かけない。」
こうなると権蔵も引っ込みがつかない。
「それじゃぁ廓にでもお越しくだされ、宴席を設けますから・・」
「ワシはいかん・・」
それほどまでに、おなごと戯れておりたいか_。
そこまでいうならば。
それほどの畑だというのであれば。
試さずにおれるかぃ!
権蔵は二郎翁の喉に手を伸ばした。
「お前はワシを・・」
「そろそろ歳相応にしてもらわないと。」
腕っ節の強さで権蔵に適うものなしと言わしめた男だ。
卒壽を迎える年寄りの喉頚をへし折る事など簡単なこと・・。
ぐったりと寝台の上に倒れた二郎翁は息も絶え絶えに口を開ける。
二郎翁が力無く権蔵に伝える言葉は、ひとつひとつが床に落ちてゆくようだった。
「ありゃぁょ・・ひとじゃないんさ。
ありゃぁょ・・いわば・・神さまにちかいんさ。
ありゃぁょ・・いかんよ・・近づいたらよ・・いかんよ。」
長旅の疲れからか昼寝をしていた権蔵は寝汗をかいて起き上がった。
仕様人や女中たちは夜の宴席にむけて準備をしていた。
客人たちは各々に過ごしている。
アレ以来、なんども、いや毎晩夢に見る惨劇。
世間的には・・いや、親父様は老衰で亡くなられたのだ。
そう医者も診断したではないか。
誰が知るわけじゃなし、いわば完全犯罪よぉ。
悪びれるわけでもなく、縁側で伸びをすると兵隊たちが休んでいるのが見える。
皇国を守る重要なお仕事だ。
ここにいる限りは、休んでもらえばいい。楽しんでもらえばいい。
号令が響き、兵隊たちが
白石小隊長の声が響く
「今夜はこの屋敷の主にして皇国に尽くす桑畑権蔵氏のお計らいにより。
貴様たちにも宴席および休暇を与えることとなった。
宴席はただいまより一時間後の18時○○分より執り行われる。
その後、この丘を下った宿場には偵察隊によればイカした廓があるようだ。」
兵隊たちの歓喜の叫びが飛ぶ。
「以上。総員、解散!」
檄が飛び兵隊たちの笑い声が聞こえる。
これも皇国のためよ。
夕暮れが迫り、宴席が始まった。
兵隊たちがどんどんとヒツを空けてゆき母屋の食べるものが無くなってしまった。白石小隊長は、ばつが悪そうに笑うが、長身の紳士は呆れていた。しかしへこたれる訳でなく桑畑権蔵は立ち上がると、
「食い物が無ければ、廓にいけばいい!」と大声をあげると
一個小隊の兵たちを引き連れ、宿場の廓へと坂を下りていった。