やさしいかいぶつ
「ハナ、なんで来なかった?おれのこと、きらいになったのか?」
ずいぶん久しぶりに見るガオガオは、もうハナと一回りくらいしか大きさの差がなかった。それだけでハナはもう胸が引き裂かれてしまいそうだった。
「ずいぶん、けが減ったな。おれが悲しみ食べたからかな」
照れくさそうにガオガオは笑い、そして黙ったままのハナを心配そうに見つめた。
「誰かハナのこといじめなかったか?悲しいことなかったか?だいじょうぶ、おれがまた食べてやるから・・・」
ハナは、両腕を差し出した。
「食べて」
震えが止まらなかった。
「あたしを食べてよ、かいぶつさん」
ガオガオが壊れてしまうのを防げるなら、これでいいんだ。元々ガオガオに救われて自分は生きてきたのだ。
一方ガオガオは驚きを隠せないまま、差し出された両腕とハナの顔を交互に見つめている。
「なんだよ、それ」
そして、息を大きく吸って、また言った。
「なんだよ、それ!なんだよ・・・なんでだ!?お、おれ、血はきらいで」
「食べてよ」
ガオガオの表情が歪む。
「いやだ」
「なんで!?食べてよ、じゃなきゃ、ガオガオ壊れちゃうんだよ!!」
「で、でもおれ、やだ!ハナを食べたくない!!」
「食べてよ・・・」
原因である自分がいなくなれば、ガオガオはこの夢の中でずっと生きていられる。傷つかないでいいんだ。
「ガオガオ、死んじゃうんだよ」
「ハナだって死んじゃうじゃないかぁ!!」
「あたし、この夢の中にいたい。ガオガオを創ったあたしのお願いだよ・・・」
そして、ハナははっきりと繰り返す。
「あたしを、食べて」
このかいぶつは。
このかいぶつは、死ぬのが怖かった。自分が創られた夢の存在なら、いつかその夢が醒めてしまうのが、とても怖かった。
「おれは、ハナのためにいるんだぞ・・・」
なのに、死を、存在の消滅を怖がる自分が情けなかった。
「ありがとう。もういいんだよ」
ハナは目を閉じ、息を止める。ガオガオは最後まで迷っていた。
ハナが夢の中で死んでくれたら、夢は醒めない。自分は生きられる。
ハナの首に鋭い痛みが走った。
銀色の牙が首に食い込んだのだった。パジャマが鮮血に染まる。声にならない悲鳴。涙が止まらなかった。本能的な恐怖で気絶しそうだった。そして、だんだん痛みが消えていく。
ああ、夢の中で死ぬなんて、本当におはなしみたいよね・・・。
違った。牙が抜かれていたのだった。
「ごめん」
ガオガオは、泣いていた。流れる涙は、ラピスラズリの宝石のように、輝く青だった。
「おれ、やっぱり血はきらいだ」
照れくさそうに、かいぶつは笑う。またハナは涙が止まらなくなる。
「ばか」
ねえ、夢なのかな。こんなに胸が痛くて、涙が熱いのに、それでも夢になっちゃうのかな。
ガオガオの身体に顔をうずめる。甘い、草原の匂いだ。
わかった。お母さんの香水の香りだったんだ。気づいた途端、また新しい涙があふれた。
「やめてよぅ」
ガオガオは悲しみを食べる。胸があたたかくなった。ねえ、あなたはどうしてここまでしてくれるの?
青い涙がかかる。ハナの透明な涙と混ざって、きらきらと足元の花々に降りかかる。
夢じゃなかったら。あなたが夢じゃなかったら、どんなに良かったことか。
「ガオガオ・・・?」
すっと、ガオガオがハナから引き下がった。その顔は笑っている。
ハナは手を伸ばした。
「やだ!!」
だが間に合わなかった。
ガオガオの淡い黄色い目が、真っ赤な口が、銀色の牙が、黒く塗りつぶされていく。それでも最後までその顔は笑っている。
かいぶつはやがて黒い影となり、ばらばらと散っていった。
ねえ、あたし、あなたに大切なことを言ってない―――
世界が砕けていった。
曇天も、花も、全て影となり、ばらばらと散ってゆく。どうして?あたしが創りだしたものなのに、悲しくなってしまうの。
真っ黒な世界の中、胸が痛かった。今までにないくらい、壊れてしまうのではないかと思うほど、胸が痛かった。
これは、ガオガオが食べてくれた、悲しみ。
悲しい黒の世界の中、ずいぶん長いこと女の子は泣いていた。
たくさんのことが悲しくて辛かった。
それは全部自分のせいだった。助けてくれたやさしいかいぶつはもういない。
そうだ。ガオガオがいたから。だから。
ねえ、例え夢だったとしても。
「だいすきだよ、ガオガオ」
あなたは本当に、大切でした。
「おれもすきだよ」
まるでそれは鈴のように美しく、歌うようによく響いた声で。声の主がとても照れているのがよくわかる声で。
なんだかおかしくって、笑ってしまった。そして、寂しくて泣いてしまった。
「おれは、ここにいる」
あの日、あなたはそう言った。そして今も、見えないけどここにいるんだね。泣き虫でごめんね。困らせて、心配させてばかりでごめんね。
違う。言いたいのは、こんなことじゃない。
「すきだよ、だいすきだよ。ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」
もっと、もっと言わなくちゃ。これだけじゃ足りないのに。
顔を上げる。目の前に、百合の花が青白く輝いている。
誘われるように、その幻想的な美しい花弁にそっと手を伸ばす。
突然、世界が破壊的な白に染まった。