やさしいかいぶつ
2
「また会えたね」
ハナはガオガオを抱きしめた。また会えたんだ。それだけで、嬉しくてしょうがなかった。ガオガオの匂いを思いっきり吸い込んで、自分の中にいっぱいにする。
ガオガオは少し迷惑そうな顔をしていたけれど、突き放すようなことはしなかった。
「おれは、血がきらいじゃなかったらお前のこと食べちゃうんだからな」
ゆっくり、ガオガオは言う。まだ2回目なのに、親友だと錯覚してしまいそうだった。大きな身体のくせに、このかいぶつは本当に可愛い声で話す。まるで、幼い男の子のように高い声だ。
「あたしを?」
「うん」
「血がきらいなのに?」
「うん」
「じゃあ、あたしは?」
抱きしめる力を、更に強くした。愛しかった。
まだ2回目なのに。自分はこんなに小さいのに。こんなに、大きなかいぶつが愛しかった。自分の目を見て、逃げずにしっかりと話してくれる彼が。
「あたしのことは、きらい?」
ガオガオは小さな、淡い目を何度もまばたかせる。言葉の意味をよく理解していないようだった。
「別に」
ガオガオはそっけなく言った。
ハナはそれにちょっと腹が立つ。嫌いなら、食べるか食べないかはっきりしてよ。所詮、自分はそこらへんに生えている花と同じ存在なのだ。
「もういいよ」
少しすねて、花畑に寝転がる。そういえば、前ガオガオが食べていた辺りも、すっかり花に埋め尽くされていた。
まだ鼻にはさっき吸い込んだガオガオの匂いが残っている。
急に冷たくされても、この鈍いかいぶつはまだよくわかっていない。その一生懸命考えてる姿がおかしくて、思わず笑ってしまった。手を伸ばし、ガオガオの背中にそっと触れてみる。暖かかった。
「あたしはすきよ、ガオガオのこと」
小さく小さく、ささやいた声は、やがて風に持っていかれ、曇り空へと吸い込まれてゆく。どうして自分がここに来てしまうのかどうでもよくなるくらい、満ち足りていた。
それにしても、このかいぶつはどういった生き物なんだろう?ハナはそれが気になった。
花を食べる、血がきらい、男の子みたいな声・・・。なんだ、まだこれだけしか知らないんだ。
「ここには花畑しかないの?」
「ほんとにお前はよくしゃべるなぁ」
「ねえ、退屈にならない?」
「お前、退屈なのか?」
ハナは首を左右に振った。むしろ夢のように素敵な場所だった。だからこそ、ガオガオともっとこの世界を見てみたかった。
ハナはガオガオを見つめる。するとガオガオもその淡い瞳でハナを見つめ返す。星粒のような瞳の中に、自分がいた。傷だらけだった。そう、いつだってハナには、人に目や口がついているのと同じように、どこかに傷があるのだった。
そんな自分が大きらいだったけれど、今だけはすきになれそうだった。
やがてガオガオは大きな手のひらでハナを丁寧に掬い上げ、自分の頭上に乗せた。何か面白いことが起きそうだと、わくわくした。ぐらぐらと世界が揺れた。ガオガオが歩き出したのだ。
ずいぶん歩くと、小川があった。口がすっぱり切れてしまうのではと思うほど、冷たくて美味しかった。
小川をたどると森があった。曇りの森はびっくりするくらい暗かった。怖がるハナにも気づかず、ガオガオはただ黙って歩き続ける。
森は誰かのささやき声が響いているようだった。低い、おしゃべりの声だ。ここにはガオガオ以外のかいぶつもいるのだろうか。
ハナは自分がどこに連れて行かれるかわからなかった。ただハナは眼を閉じ、森のささやきに耳を澄ましていた。自分のことを話しているような気がした。部外者(よそもの)を非難しているようだった。居心地が悪くなって、ガオガオにしがみついた。
すると、ガオガオはいきなり止まった。
目を開くと、そこには一輪の大きな百合の花があった。
それは一枚一枚透き通るように美しい花弁で、暗い森の中にそれだけが神秘的な青白い光を帯びていた。
「これが、この世界で一番きれいなもの」
ガオガオは小さく言った。ハナはそっと、百合に触れた。壊さないように、大切に。ねばついた花粉が、指にこびりつく。
「この花、知ってる。お母さんがすきなの」
「オカアサン?」
そしてガオガオは手を伸ばし、ハナの頬に触れる。身体中、掻き傷がたくさんあった。なんだか恥ずかしくて、ガオガオの顔をまともに見れない。
「なぁ、オカアサンって、なんだ?」
「お母さんはお母さんだよ。誰にだって、お母さんはいるんだよ」
「オカアサンが、お前をけがさせるのか」
慌てて答える。
「違うよ、お母さんはそんなことはしない」
百合の花は気づいたときには枯れていた。この世界のものはとても美しく、とても儚い。
突然、ガオガオはハナを抱き寄せた。よくわからないままハナはぎゅっとその黒い毛束をつかむ。
「おれ、お前のこと食べれない」
「そうね」
「だから、おれ、お前の悲しみを食べる」
冗談かと思って笑い流そうとしたが、、ガオガオはなかなか離さない。抵抗を諦め、身体を預ける。
良い気持ちだった。今までにないくらい、幸福な気持ちだった。本当に悲しみを食べてくれている気がした。
あぁ、また睡魔に襲われる。気づかないうちに眼を閉じていた。
ガオガオはその間もずっとハナを抱きしめていた。
一つわかった。
ガオガオは、とても心優しいかいぶつだ。